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No.509 思い出すと泣けてくる思い出 より

3 :ななしのいるせいかつ :2006/07/18(火) 22:20:07
ガキの頃、兄弟四人で一年位生活してた事
電気止められて、ろうそく使ってた
みかねた電気会社の人が「三つまでなら電気使っていいですよ」
と言ってくれた時は嬉しかった

188 :ななしのいるせいかつ :2006/09/10(日) 04:02:55
うちは貧乏家族でお年玉を毎年もらえなかった(´・ω・)
小6の元旦の朝初めて父親からお年玉を貰った。
中身は500円玉1枚と手紙。
手紙には「今までやれなくてごめんな。これでビックリマンチョコでも買いなさい。」と
書いてあった。俺は嬉しくて布団の中で泣いた。
23歳になった今でもその500円玉を持ってる。

44 :ななしのいるせいかつ :2006/07/26(水) 04:57:57
小中どっちだったか忘れたが2泊3日林間学校の2日目、寝る前に担任教師が親からの手紙を全員に渡した
周りにいた奴は笑ったり黙ってたりで俺も大したことは書いてないだろうと思ってた
だが内容は俺が生まれたことがとても嬉しかったとか体は一生ものだから気をつけるんだよ、とかそういうものだった
本当に心配して貰ってるんだなとわかってボロボロ泣いた、心からありがとうと思った
青臭い思い出だがあの時のことを思い出すと今でも泣ける

58 :ななしのいるせいかつ :2006/07/28(金) 12:19:51
妻と別れてからも 月に一度だけ子供達に逢わせてもらってました。
毎月その日が待ちどうしくて、今度はドコに連れていってあげようかなぁ?
何を食べたいかなぁ?など思い考えながら逢える日を心待ちにしていました。

けれども 逢えた日には必ず別れなければならない時間がやってきます。
迎えにきた元嫁の車に乗せ「また遊ぼうねぇ」と 声をかける度に 
娘は幼いながらに泣いてはいけないと思ってたのでしょう…
目にいっぱいの涙をためながら、気丈に手を振ってくれました。

車が見えなくなるまで私も目一杯 涙が溢れてくるのを我慢し手を振り続けていました。
もう何年も前の話ですが、今でも すまない気持ちでいっぱいです。悲しい思い出ですが
今でも月に一度 逢わせてもらってるので 悲しい思いをさせた分 楽しい思い出を目一杯作れるように 子供孝行していきます。

163 :ななしのいるせいかつ :2006/08/17(木) 23:07:01
私は継母なんですが、、、
娘がまだ小学1年生の時、怪我して泥まみれで帰ってきたことがありました。
何でも同級生に、
「お前の母ちゃんままははなんだろ?本当の母ちゃんじゃないんだろ?」
 等と4人組にいじめられて来たとのこと。

それで、娘が泣きながら私に、
「お母さんは私のお母さんなんだぞ、世界一のお母さんなんだぞ!」
と取っ組み合いの喧嘩をしてきたんだと。

娘が私に
「お母さんは私のお母さんだもんね。私お母さん大好きだもん」
と泣きながらも笑顔で抱きついてきたのが、すごく嬉しかったし、泣けた。

立派に二十歳になって、今じゃくだらないことで喧嘩もしますが、
この子の母になれて本当に幸せです。

125 :ななしのいるせいかつ :2006/08/08(火) 00:18:59
前に母親が一年以内に亡くなると書いた者です
あれから容体は急変し、医者の話だと治療はやめて緩和に向かうとのこと
今月が覚悟の月になるかも

産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
一緒に笑ってくれてありがとう
心配してくれてありがとう
信じてくれてありがとう
お腹痛かった時さすってくれてありがとう
ご飯作ってくれてありがとう
毎朝起こしてくれてありがとう
応援してくれてありがとう
ありがとう。もっとありがとうって言いたいよ

227 :ななしのいるせいかつ :2006/10/25(水) 08:55:45
わたしの父はいわゆる生活破綻者でたくさんの借金を作り、
母を夜中から晩まで働かせて、雀荘とパチ屋に入り浸る生活。
そのせいで母もおかしくなり、弟たちにはヒスを起こして
虐待まがいのハードな躾を繰り返し、わたしには泣きながら
毎日父への恨み言を聞かせてきた。

「あの人はあんたら(子供)に興味がない」
「あんたらを可愛と思ってない。自分のことしか考えてない」

幼かったわたしはそれを聞き、ショックで愕然としたものだ。
父は確かにいい加減だったが、わたしにとっては優しくて大好きなお父さんだったから。
裏切られた。それからわたしは、反動のように父を恨むようになった。

今、両親は離婚して6年になる。父にも何年も会っていない。
もう父を恨まない。そう思えるようになったのはごく最近だ。
父はわたしたちを養う力がなかったし、家族を持つ資格もなかった。
だが子供に母の悪口を言ったことは決してなかった。
ヒスを起こして泣くまでわたしを殴る母から守ってくれたのも父だった。
バカと思われるかもしれないが、わたしは救われていたと思う。

いまだにぼーっと思い起こすことがある。

2歳か3歳の頃。
両親の間にわたしが入って、手をつないでもらって、どこかへ
出かけるために、駐車場への階段を下りている。

わたしはまだ軽くて、両親の手にぶらさがったまま足を浮かせてる。
両親の顔を見上げたら、右も左も笑顔で、わたしも嬉しくて笑顔・・・
きらきらと陽光が眩しくてすぐに顔を戻す。

あの頃は幸せだった。幸せだった。
幸せな思い出なのに、今でも涙が止まらない。




     

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