父の作った忘れられないもの 第2章 より
- 99 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/06/08 05:25
- うちの父は寿司職人でした。
夜遅くまでやってるお店の職人だったので、いつも私が寝てからじゃないと
帰ってこなかった。朝も、仕入れが早いので、私が寝ている間に起きて出て行くので、
私は、父と一緒に食事を取った記憶がなかった。
お店が休みの日も、お店の人と飲みに行ったりとかで、殆ど父と顔を合わせた記憶がない。
小さい頃は、母と二人、晩御飯を食べながら、「どうしてお父さんはうちでご飯食べないの?
友達のところは一緒に食べるって言ってるよ?」と言って、母を困らせたことがあった。
その話をしたわりとすぐ後、夜中に突然帰ってきた父に起こされた。
「起きろ、お土産だぞ、一緒に食べよう。」と。
食卓には母も起きて待っていた。テーブルの上には、折り詰めが3つあった。
「開けてごらん、お父さんが作ってくれたんだよ。」と母。
中にはマグロ、イカ、ウニ、イクラ、卵焼き・・・私の好きな寿司ばかり入っていた。
美味しかった。でもそれより、それまで一緒にご飯を一緒に食べたことのない父が、
私と一緒に食べているのが嬉しかった。・・・半分寝ぼけてたけどあっという間に全部平らげた(w
「うまいか?」って言われて、「うん」って答えた時の、父の嬉しそうな顔は、
何て言うか・・・今振り返ってみると、誇らしげだった気がする。
それから3年後、父は仕入れの途中に交通事故で亡くなった。
翌年に、独立の予定が決まった矢先の出来事でした。
後にも先にも、父と一緒に食事をした記憶はこの一回しか覚えていない。
自分の働いてる店に家族が食べに来るのは照れくさいのと、けじめがつかないからと、
(父の死後、母が思い出話として教えてくれた。)
一度も父の作る寿司を食べたことの無かった私にとっては、
初めて父の作ったお寿司を、父と一緒に食べた、二重の意味で思い出に残ると言うか、
多分この先も一生忘れることは出来ない思い出です。
そして、あれからもう20年以上経つけれど、あの時のお寿司より美味しいと思うお寿司に、
私はまだ出会ったことが無い。・・・多分、これからもずっと、無いと思う。
・・・長々とすみませんでした。
- 104 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/06/15 22:28
- うちは母親が超絶ナマケモノだったので朝起きられず
私のお弁当をよく父親が作ってくれた。
なかなかおいしかったし、料理好きで楽しんで作ってたみたい。
卵焼きなんかは母親のより味が濃くてうまかったな〜。
焼きそばとかお好み焼きとか鍋とか、それからとろろいもを擦るのも
父親の仕事だったな〜。正月の大きいもちを切るのも。
父の日なんて聞くとついつい思い出す。
親孝行できなくて、花嫁姿見せてやれなくてごめん、父。
あんなふうに寂しく死んじゃうならもっと優しくしてやるんだった。
つまんない自分語りすみませんsage
- 130 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/07/13 22:39
- オヤジか・・・あんまり料理は作ってくれなかった。
小学校の入学祝の時に作ってくれたローストチキン・・・今でも一番うまいと思う。
高校生のとき母親にH本見つかったとき、母親の前では怒っていたけれど後でこっそり
「今度から見つかるなよ」っていってくれた
酒が大好きだった・・・飲み始めると1ヶ月働かないこともあった。
そんなオヤジを見ていたからオレは酒が嫌いだった。
でもサラリーマンになって付き合いで飲み始めた。
それからお酒で何度も失敗した。やっぱり血は争えないな。
こんなオレでも2児のオヤジになれたよ。
結婚式見てもらいたかった、孫も抱かせたかった、いっしょに酒飲みたかった
すべて無理だけど・・・後悔してばっかりだな
今年も墓に酒持っていくよ じゃ
- 132 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/07/14 15:01
- 俺の今の父は2人目です。
一人目は何度も愛人作りまくった挙げ句、家を出て行った。
母は俺が8歳の時離婚して、一人で育ててくれた。
アパートで2人暮らし、生活が凄く苦しかったのを覚えている。
10歳の頃、同じ階のアパートに引っ越してきた新社会人(当時23歳)
が俺の新しい父になる人だった。
母子家庭で寂しそうだった俺を見て、休みの日には良く遊んでくれたな。
釣りにいったり、カブトムシ取りに行ったり、キャッチボールしたり・・
なにか成功すると頭をぐしゃぐしゃ、って撫でてくれた。
髪の毛が乱れるのであまり好きじゃなかったけど(笑)
12歳のときに、母は再婚。14歳年下って考えてみたら凄いことだ。
いつのまに仲良くなったんだろう。今でも不思議だ。
父曰く、「美人だから惚れた」とか・・・
もっとも当時の俺は、友達感覚の兄貴のような人と
一緒に暮らせるようになってそれが嬉しかったことで頭が一杯だった。
〜続く〜
- 133 名前:132の続きです 投稿日:02/07/14 15:02
- 生活は大分楽になったけど、それでもあまり裕福じゃなかった。
そりゃそうだ。
まだ20代といえば、社会では下っ端。稼ぎも少ない。
しかも2人の愛の結晶、「妹」も生まれたし(笑)
でも離婚してからの母は、いつも悲しそうというか、苦しそうな
顔をしていた。再婚してからは本当に幸せな顔をしていた。
ソファで並んでテレビを見ている姿を見るのが
小さい頃の俺の楽しみだった。
そんな俺ももう今は大学4年生。無事就職も決まった。
今まで父の事を「お父さん」と呼んだこと無かったな。
いつも「○○さん」(名前の愛称)で呼んでる。
母もそう呼んでるから小さい頃は違和感無かったし、
おおきくなってからだと、逆に呼びにくくなってた。
親孝行なんか全然してないけど、ほんとに感謝している。
俺が二十歳になったとき、
「妹は世話するからたまには2人で出かけてきな」
と言ったら、少し驚いた顔して、そして嬉しそうな顔をして
「ありがとう」
と言ってくれた。そのとき久々に頭をぐしゃぐしゃ、って
撫でてくれたな。ほんとに久しぶりだったなぁ。
社会人になったら、そんな父に何かプレゼントしたいと思う。
「お父さん。今まで本当にありがとう」と一言添えて。
きっとまた頭を撫でられると思う。
- 140 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/07/15 17:45
- ウチの親父は大酒飲みで、酒乱だった。
飲んで暴れて大騒ぎ・・・。
もちろんオレは、そんな親父が嫌いだった。
でも、そんな親父も初孫が出来て少しずつ変わっていった。
トシのせいもあったのかな・・。
だんだん、酒量も減り、酔うと大人しく寝ることが多くなったって母親が言ってた。
あんまり酔ったら孫に嫌われるから・・・って。
オレたちが遊びに行くときには、これがあの親父かと思うくらい嬉々としてお菓子なんかを娘に与えてた。
あんまり甘いものを与えるとオレたちに叱られるので、外に連れ出しこっそりやって・・結局バレて、叱られてた。
ある日、俺たちが実家に御飯を食べに行ったときのこと。
なんと、あの酒乱親父が味噌汁を作った。もちろん、料理なんかしたこともないのに。
少し不安だったけど、やがて食事が始まり、味噌汁を飲んで・・・みんな唖然!
なんと、味噌汁には大量の砂糖が入っていた。
ただ、親父の狙い通り、娘はニコニコしてすすってた。
親父もニコニコしてたな・・・。
親父が死んだとき、娘はずっと親父が寝かされてる布団の枕もとに座ってた。
親父、あんたの孫は今でも「おじいちゃんやさしかった」って言ってるよ。
- 148 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:02/07/28 17:56
- 前スレ逝ってきたよ〜もう、化粧ボロボロ(w
私は両親、祖父母健在だけどね、ちょっと書かせて・・・
しかもスレ違いになるけど・・・
うちの父ちゃんは漁師なうえ、私も実家から離れて暮らしているから
会えるのは年に数回。
昔ながらの漁師で家事一切は絶対やらない。
そんな父親から二週間ぐらい前に仕事中に電話があって、「近くにきてるから
出てこれるか?」ちょうど昼休みだったから近くのコンビニで待ち合わせたら
真っ黒に日焼けした父がいきなり一万円をさしだして、「ご飯は?なんか買って
け」とコンビニ弁当を買ってもらって、父はそのまま病院に検査をしに行った。
仕事と恋愛問題でかなり精神的にまいってて、ご飯も食べれず激やせした私に
多分びっくりしたと思うのに、何も言わずにお金を渡してくれた父・・・
帰りの車の中で、運転しながら号泣したよ。
仕事、やめちゃったし、ダメ男にもひっかかって、心配ばかりかけてごめん。
そして皆さんにも、ながながとごめんなさい。
お盆には会えると思うから、何か作ってあげるね。絶対「うまい」って言ってくれないけどね(w
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