No.269 母さんが死んだ より [FLASH]
- 1 :Mr.名無しさん :03/06/20 15:42
- 母が死んだ。
43歳だった。
10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった
11日の朝、いつもみたいに御飯作って母さん起こして「ごはんできたぞ」と
でもいくら呼んでも返事がなかった。いつも文句言いながらも絶対に起きてくるのに
おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた
俺がまだ2歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。ほんとよく喧嘩した
会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。アホかと。
そして金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、引っ叩いてまで俺を大学に行かせようとした母さん
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに
なのに母さんは急に死んでしまった
友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない
今年の夏は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて
もう計画だってちゃんと立っててあとは7月待つだけだった
結局俺はなにもしてあげられなかった。
母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった
やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける
なんか泣くのガマンしすぎた
これ書きながら涙とまらない
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。
- 113 :Mr.名無しさん :03/06/20 23:25
- 親が子供を育てるのは当たり前だと思ってた
子供なんだから育ててもらうのが当たり前で
そのことに関して親に感謝なんてしてなかった
俺、悪い子だったよなあ・・・ごめんよパパママ
- 129 :Mr.名無しさん :03/06/21 01:09
- おととし、親父が脳梗塞で倒れたとき、親父が死んで
お袋が泣く姿を想像して胸が締め付けられるようだったよ。
幸い、親父は回復したが足が弱ってて歩くのがつらい。
記憶力も悪くなってしまった。
そんな親父を、お袋は文字通り支えながら散歩に連れ出
してる。
新婚の頃の思い出を語り聞かせながら。
- 205 :Mr.名無しさん :03/06/22 05:51
- 小学5年生のとき、同じクラスの女の子の母親が自殺してしまった。
そのときは、みんなびっくりしたんだけど、
しばらくたったら、みんなそのことは忘れかけてた。
そして6年生の遠足の時、その子が持ってきたお弁当は
焼き鮭(切り身まるごと)だけが挟まったサンドイッチだった。
もちろんパンは普通の食パン。
そのサンドイッチをみたとき、何も言葉が出なかった。
ふだん、からかったりしてふざけてたけど、
そのことは気づかない振りをしなければならないと思った。
そして、自分がいつも当たり前に母親にお弁当を作ってもらえる
ことを、本当に感謝した。
今でもあの鮭のサンドイッチの事をたまに思い出す。
- 226 :Mr.名無しさん :03/06/22 10:38
- 私の母は料理上手でした。
そんな母が毎朝作ってくれる豆腐とワカメの入ったみそ汁が、大好きでした。
おかわりをせがむ私に母は「そんなにみそ汁ばっかり飲んでどーするの」と
笑いながら叱りました。
けれど中学生になって反抗期に入ると、親の作ったものを食べるのが嫌になってきて
朝はトーストやコーンフレークで済ますようになりました。
そうすると母は毎日みそ汁の具を大根やら油揚げやらいろいろ替えてみて
「今日はね、サツマイモのみそ汁なのよ、いいでしょ?」「今日のみそ汁はね・・・」
と私に話し掛けてきました。
ずっと無視していましたが、ある日、母があまりにしつこく言い続けるので、
あんたの作ったみそ汁なんていらない、ほっといてよ、と怒鳴ったら
母は引きつった悲しそうな顔をしました。
それ以来、母は私にみそ汁を勧めてこなくなりました。
けれど必ず父と母、それと私の3人分のみそ汁を作っていたらしく、
冷蔵庫の中に一人分のみそ汁がタッパーに入っているのを毎日目にしました。
そんな日が2年半位続いた頃、母が交通事故で亡くなりました。
葬儀も何もかも終えて冷蔵庫を見ると、例のタッパーが入っていました。
鍋に移しかえて温めて飲みました。
嗚咽が止まらなかった。
本当にごめんね、ごめんねお母さん。
あれからいろんなみそ汁を飲んだけれど、
やっぱりお母さんの作った豆腐とワカメのみそ汁が、一番おいしいよ。
- 339 :Mr.名無しさん :03/06/23 19:28
- 俺の母ちゃんは俺が高校の時に自殺した。
呆然とした。涙も出なかった。
葬式が終わってから、家中の引き出しを開けた。
タンスの中でネックレスを見つけた。
俺はそれを首にかけた。
言葉にできない気持ちで胸がいっぱいになったけど、涙は出なかった。
でもそれ以来、テレビや本で母親が死ぬ話を見ると涙があふれるようになった。
作り話と分かっていても、涙がぼろぼろ出るようになった。
- 352 :Mr.名無しさん :03/06/24 13:24
- うちの親は入院してるのが長かったけど
太ってたのに手足がだんだん細くなって、血管浮き出てきて
トイレにもいけなくなって、記憶もあいまいで言葉もはなせないようになってきて
俺を認識できなくなったときには、かなりショックで
帰りにコンビにで弁当かって帰る途中、歩いてる道でいろんなこと思い出して半泣きで帰った
あの時はなんだかすべてに疲れてたな
あっさり死んでいくのもショックだが
長い時間隣で弱っていく親を見るのもたまらない
しかもぼける前の最後
の言葉が「何もしなくていい楽に死にたい」だったのに
ごめんよ母ちゃん
ぜんぜん楽には死ねなかったよな
点滴やらなんやらついてて
しかも、やせてたのに最後は水ぶくれで太ったまま病院で一人で逝った
病院で最後にもらった洗濯物を見たら、何だかあまりにいつもどおりで
洗濯洗おうとした瞬間
ああもういないんだな、と思って大泣きしたよ
- 434 :Mr.名無しさん :03/06/29 21:01
- 俺の母は俺が中3の頃死んだ。
技術家庭の授業中に担任が飛んできた。
母の死を告げられても不思議と落ち着いていた。
家に帰ると妹が大泣きしていた。父は憔悴していた。
滞りなく、告別式、葬式が終わり普通の日常に戻ったとき
初めて泣いた。食卓の席が一つ空いていたから。
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