PickUp #233  2003.08.12   <- Prev  Home   Next ->


No.233 (*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*) より

33 :もぐもぐ名無しさん :03/02/04 00:10
あの頃、うちは駅からバスで20分の団地に住んでた。
今となっちゃ、お粗末な住宅だけど、当時は「都心の新興住宅地」なんて
呼ばれちゃって、若い夫婦には結構人気だったらしい。
週末になると、家族揃って駅までバスに乗って買い物に行ってた。
そして買い物の最期に、夕飯を食べて帰るんだけど、いつも決まった
某百貨店の最上階のレストラン。最上階っていっても5階くらいだったな。
それでもウキウキして、兄妹揃ってメニューから一生懸命選んだもんだよ。
迷ったあげくスバゲッティーミートソースを頼んでた。いつもいつも。
パスタなんて洒落た言葉も無かった時代。チーズをかけるだけでもドキドキ。
そんな幾つもの家族の、色々な思い出が詰まってただろう百貨店も、
10年前にあっけなく潰れてしまった。そして漏れもあの街から巣立った。

いまでも、スバゲッティーミートソース好きだよ。

37 :もぐもぐ名無しさん :03/02/14 22:49
家庭菜園が流行りだした約20年ちょっと前のこと。
ウチの母親も引っ越して庭がだだっ広くなったのを機会に早速始めますた。
どーせ失敗するだろう、と思って大量に種をまいたら何故か大豊作!
近所のスーパーの売り場に置いてあるより沢山のカリフラワーが採れたので
毎日毎食、大量のカリフラワーが食卓に並ぶ・・・
塩茹、バター炒め、中華炒め、サラダ、カレー、八宝菜・・・
あまりレパートリーが無かった為、上記の物がローテーションで。
元々好きじゃなかったので「もう嫌だ、他のメニューにしてくれ」と頼んだら
カリフラワーのヌカヅケと味噌汁が出ました。

今でも時々、母とその話が出て笑ってます。
そうして実家で遊んで、自宅へ帰る際のオミヤゲは
母が家庭菜園で作った 自家製野菜 です。

60 :もぐもぐ名無しさん :03/05/08 00:16
うちの母親は、いわゆるキッチンドリンカーってやつで、
全然家事も料理もしない人だったんだけど、
唯一記憶に残ってるグラタン。すげー美味しかったなぁ。
中学の時に死んじゃってから10年経った今でもまだ思い出す。

父親も不憫に思ってんのか思い出に浸ってたのかわかんないけど、
母親死んでしばらくの間、ずーーーっとグラタンばっかり作ってた。
今や父親の腕が上がりまくって、グラタンもスゲー美味しくなっちゃって、
それでもたまーに母親の作ったグラタンの味思い出す時があったり。

あの時ってなんだろなぁ。冷蔵庫に入ってるグラタンが嬉しくって、
おなか一杯なのにあっためて食べたりして。

この先、あたしが母親になることがあったら、
できるだけ家族一緒にあったかいごはん食べたいなって思います。

61 :もぐもぐ名無しさん :03/05/08 13:12
俺には食事を楽しむ習慣がない。

俺がものごころついた時から食事の時間は苦痛だった。
母親と祖母の仲が悪くて、食事時間によく喧嘩してた。よくある話だ。
俺は罵り合う声を聞くのが嫌で、いつも5分ぐらいでメシをかっこんでた。
食事なんて行為は単なるエネルギー補給になってた。ウマイもマズイもなかった。

俺も大人になり、人並みに結婚して、娘が生まれた。
相変わらず食事は単なるエネルギー補給だった。
幼い頃の癖が治らなかった。

娘が8歳の時、離婚することになった。娘は俺が引き取った。
離婚して8ヶ月ほどたった頃、娘が「ママに会いたい。」と言うので、
クルマで8時間かけて会いに行った。

晩飯は3人で焼肉を食いに行った。
8ヶ月ぶりに母親に会った娘は、とてもうれしそうだった。
その時の焼肉はとてもウマかった。
俺はゆっくりと食べた。
この食事時間が永遠に続けばいいと思った。

70 :もぐもぐ名無しさん :03/06/02 12:39
俺はやっぱ、俺が15の時に死んだ母親の造るカレーだな。
それとナン。
家で食べるカレーと、外で食べるカレーライスは全然違うものだった。
お袋のはドロドロしてなくてサラッとしてた。
その代わりスパイスの香りは全然別物で格別だった。
最近やっと、本当のインド料理屋でお袋の作ってたカレーに近い物が
食べられるようになった。
褐色の肌の美人のお袋は、あのカレーと共に俺の自慢でもあった。

84 :もぐもぐ名無しさん :03/06/27 08:01
うちの親父は威厳もくそもない。家族からは「じい」と呼ばれ、異様な食い意地のため冷蔵庫も別。
ワープロ、パソコンと一念発起して買ったはいいが結局接続すらままならず放置。趣味の盆栽棚にオカンに車ごと突っ込まれる始末。
それもこれも親父の頼りなさと微妙なわがままが原因。

そんんな親父の唯一いいとこは子供と遊びいくのが好きなこと。

小さいころは休日はいつもあたしと弟をどっかに連れていってくれた。雪国生まれの親父が好きなのはスケート。夏が終わると毎週これだ。それがなかなかうまい。
わまりの人たちを追い越してスイスイ得意げに滑る父。たまに調子こきすぎて転倒することもあったが、滑ってる親父はとっても楽しそうで輝いてた。故郷を思い出してだろう、あたしらが帰ろうと言ってもひとりでねばっていた。

そしてその後かならず寄ってくれるのが「ケンタッキー」。母には内緒で。あたし達はチキンが大好きだった。始めて覚えたジャンクフードだった。
6ピースを買って2個ずつ食べる。すっごくうまかった。脂でぎとぎとになってるあたしらを見て、親父は満足げ。今から思えば、一番親父にとって幸せな時期だったのだろう。

それから数年後あたしは今年二十歳。すっかり思春期からの親父嫌いも板につき弟もうざがっている。母は子供が巣立ったら即離婚のもよう。
ここで白状すると、この前実は親父の財布から金を抜き取ろうとした。その中で見てしまったあたし達の小さい頃の写真。涙が溢れてきた。ごめんねじい。
どんなに威厳がなくても子供のことを思ってくれてる父は最高だよね。今までごめんね。ほんとごめんなさい。

じじい、老後はあたしにまかせて。

料理作ってもらった話じゃないのでゴメソ・・・しみじみしちゃった。

144 :もぐもぐ名無しさん :03/07/21 02:15
小学生の頃、実習で作ったドーナツが美味くてうちでも作りたいといって、作った。
当然温度管理ができて無いからべちゃべちゃで油すって大変なのができたわけだが、
父さんはこれうまいな、っていって、パクパク食べてたっけ。
母さんは元コックだからそれを食ってきてる父さんは勿論舌が肥えているのに。

今、うちは会社が倒産仕掛けで、父の顔には笑顔が無い。
私は遠方で一人暮らしをしている。少ない収入から仕送りをしてもらいながら。

一人暮らしをするようになって料理をし、母の影響か人より美味いらしい。
いつも実家に帰っても、「母さんがいるから私作らないよ」って言ってきた。
でも、今年の夏は帰省したら作るよ。絶対。
有難うっていいにくいから、作るよ。




     

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