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名無しさんスレッド より

190 :大人の名無しさん :02/04/17 20:56 ID:0d55orSx
おい>>1 よ 聞いてくれ
昨日、母の葬式に出たんです。享年54歳。
そしたらなんか自分、涙が一滴もこぼれないんです。
で、よく見たら会ったこともないような親戚のおばさんですら泣いているんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
俺な、親の死を目の前にして放心してんじゃねーよ、ボケが。
目の前に人が死んでるんだよ、母親が。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で葬式か。ほんとありがとう。
パパは息子さんに挨拶してくるから車で待ってなさい、とか言ってるの。いい親父だな。
俺な、親が死んでんだからもっと泣けと。
葬式ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
死に化粧をみた瞬間いつ涙があふれてきてもおかしくない、
泣くか叫ぶか、そんな雰囲気が普通なんじゃねーか。オレ、なんなんだよ。
で、やっと葬式が終わったかと思ったら、なんか次々と母のことが思い出されるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、今さら思い出したところで意味ねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、今度の休みには帰るよ、だ。
俺は本当に休みに帰るつもりだったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
俺、適当に親との距離をとりたかっただけちゃうんかと。
親不孝者の俺から言わせてもらえば今、若者の間での最新流行はやっぱり、
反抗期、これだね。
親ってのはいつまでも生きているもんだと思っている。これがガキの考え方。
親の期待をかなえたつもりで一人暮らし。そん代わりコミュニケーション少なくなる。これ。
で、「少しだけ仕送りいれといたから」 「ああ、無理すんなよ」。これ最期の会話。
今になって後悔ばかりが思い出される、諸刃の剣
まあお前ら若いもんは、ほんの少しでもいいから親孝行しなさいってこった。

607 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/18 19:11 ID:nTJQx8MT
父を肺がんで亡くしました。
海外に単身赴任している3年間のうちに病魔に蝕まれたらしいです。
帰国したときにはもう末期で、手の施しようがありませんでした。
気丈で、一度も痛いとも辛いとも言わず、たった2ヶ月の闘病生活で
逝ってしまった父。

1ヶ月後、元の職場から船便で父の私物が送られてきました。
私には読めない外国語の書類、懐かしい父の匂いのする衣類などなど。
母と思い出話をしながら、それでもまだ懐かしさの方が勝って、
涙は出ませんでした。

いろいろ開けているうちにひとつの段ボールに目が留まり、中をあけてみました。
出てきたのは箱いっぱいの漢方薬。
ありとあらゆる種類の胃の薬。痛み止め。医学書。
父は胃がんではありませんでした。肺がんが全身に転移していたのです。
それなのに胃が悪いと思いこんで、こんなにたくさん薬を買って、
これも効かない、あれも効かないと次々に試していたのかと思うと
急に涙があふれ、体が震え、絶叫してしまいました。
「こんなに辛かったんなら、何で病院行かなかったの!」

パパ、3年間もひとりにしてごめんね。許してね。
パパの病気に気づいてあげられなくて、死なせてしまって、ごめんね。
遅く産まれた私をあんなに可愛がってくれたのにね。
今度パパが生まれ変わった時もきっと私を娘に選んでね。
本当に本当にありがとう。パパの娘でよかったよ。


613 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/19 01:31 ID:X0kAs/tq
父が亡くなったのは地元から遠く離れた病院だった。
地元の病院に連れて帰るはずだった日の朝、結局遠い病院で一人で旅立った。
家族の中で一番自由に動ける私がついていてあげればよかったのにとすごく悔やんだ。

冷たくなった父を自宅に連れて帰った。まだ死んだという実感はまったくなかった。
その日は兄と二人で夜中まで父のそばにいることにした。
お通夜の準備やお葬式の準備で家の中は荷物が運び出されていつもよりがらんとしていた。
「お前ちょっとでも寝とけや」
兄に言われて仮眠をとることにした。朝方、兄が起こしに来てくれて父の遺体のそばにいった。
枕元に見たこと無い古いアルバムがあった。
「これ、見たことあるか?」
兄に渡されて
「いいや、無い」
といって中を開いてみた

 今日、父親になった。
 小さな、小さなこの子を育てていかなくてはならない。
 不安だがうれしい・・・

兄が生まれた日に書かれた父の文章だった。
アルバムの中表紙一面に父になった感想、これからの子供に対する責任
などがびっしりと書いてあった。

「これもらうからな」
なみだ目になった兄が言った。
「うん」
としか私は言えなかった。
仕事ばかりで家にいたことなどなかった父のメッセージを受け取った兄が少しうらやましかった。

今でも、父からなにかしらメッセージがないかなーと探すが、何も無い。
子供も三人目になるとこんなものかもしれない・・・

駄文、すんません 

615 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/19 02:54 ID:d+lfqh7/
昨日、先月末引っ越した前の家のお隣さんから電話があった。
向かいの家の長男が自殺した とのことだった。 まだ13歳だ。
彼が生まれたとき、俺達はまだ夫婦2人きり、1年後に長女が生まれた。
彼が小学校に上がった頃からいっしょに良く遊んだ。 彼のペットのミドリガメの世話も一緒にした。 学校でのいじめが原因だという。 彼の母親が、彼の妹をクラブに送りに行ったわずか10分の間に死を選んだのだと。
いま、俺は彼に会いに行くにも遠すぎる場所で、酒を飲みながら泣いている。
ぶきっちょだった彼、運動が苦手だが心はやさしかった彼、妹をかわいがっていた彼。
天国で安らかに眠れ。

スマソ

616 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/19 13:10 ID:/nDzM2CS
フェルナンデス製、E・ヴァンヘイレンモデル
当時、国産で初めてフロイドローズのチューニングロックのついたギター。
価格は17万円。

当時田舎の中学生だった俺は、それを手に東京へ出るのが夢だった。
だが、そのギターはあまりに高価だったし、バスで一時間以上かかる街の楽器屋へ
行ったところで、田舎の楽器屋ではその現物さえも拝むことはできなかった。
友達が雑誌の通信販売で買ったチャチなストラトをみんなで見に行って、
自分は部屋で、鏡の前で部活のテニスのラケットを抱えてポーズを取って、
ロッキンFのインタビューを受けている所を妄想しているような、
そんなもどかしい田舎の中学生だった。

そんな俺を両親は「ただの熱病みたいなもの」と、相手にしなかったし、
婆ちゃんもまたそうだと思っていた。
ある日漁協の慰安旅行で、東京まで行った婆ちゃんから、
解散場所まで俺に迎えに来いと電話があった。荷物が重たくてしょうがないのだと。
俺が行くと、婆ちゃんはニコリともしないいつものおっかない顔のまま立っていた。
そばに、大きな四角い平べったい箱があり、婆ちゃんは俺に、開けてみろと言った。
エレキギターのハードケースを見たことのなかった俺は、それがそうだと知らずに、
開けてみて、体が震えた。
婆ちゃんは俺の欲しかった奴を知っていたわけでなく、偶然そうだっただけなのだが、
雑誌の写真でしか見たことのなかった黒いボディに縦横無尽に走る黄色のストライプ。
俺はその場で泣いた。すぐ近所に同級生の女の子の家がやってる店があったのだが、
我慢できなくて泣きながら、その心地よいハードケースの重みを感じながら婆ちゃんと帰った。


617 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/19 13:26 ID:/nDzM2CS
俺は東京へ出た。名目は大学に行くため、本当はミュージシャンになるため。
婆ちゃんに買ってもらったギターも勿論持って行った。
しかし東京は、各地から凄腕が集まっているからケタ違いにレベルが高く、
俺は早々と挫折してしまった。

あれからもう十五年以上経って、その間に婆ちゃんも死んだ。

この間、婆ちゃんの部屋で婆ちゃんの小遣い帖を見つけた。
几帳面な婆ちゃんの字を懐かしんでパラパラめくっていたら、

「○○にエレキギター:東京イシバシ楽器店17万5千円也
 (所持金足りず最寄りの銀行にて降ろす)」

と書いてあるのを見つけ、涙が出てきた。
簡単に挫折して、卒業したらさっさと帰って来た俺を婆ちゃんはどう思ったんだろう。
そう思うと、本当に泣けて来た。

627 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/20 14:08 ID:ietIbiLR
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。


●●へ(彼の名前)

ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。


647 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/21 05:04 ID:RTqQK7bH
三つ下の妹がいました。体の弱かった妹は入退院を繰り返し、
そのたびに母が付き添うので、寂しくてたまりませんでした。
ある日、うちにいた妹に「妹なんていらない。犬の方がよかった。」
って言いました。「ワン!」って妹が言いました。半年後に妹は
この世からいなくなりました。どうしてあんなこといったんだろう。
ごめんね、みゆきちゃん、お姉ちゃんがばかでした。

163 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/01/18 16:15 ID:83FjFR72
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。

別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。

ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。




     

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