No.320 【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4 より
- 274 :おさかなくわえた名無しさん :03/05/17 10:43 ID:88wtEDj5
- 就職して初めて一人暮らしをすることになったときすごく不安だった。
毎日緊張しながら働いて、帰ってきても話す相手もいない、TVを見ても
笑うことすらできなかった。
一週間ぐらいした時に母親から電話。『頑張ってる?』と。
それから毎日同じ時間に両親から電話がかかってくるようになった。
いつも元栓閉めろっていうのと施錠しろって同じことだったけど
とにかくその電話が待ち遠しかったし嬉しかった。
もう一つ。当時住んでいた所は近くにスーパーもなく、
車を持っていなかった私は買い物がとても大変だった。
ある日姉と電話していて何気なく『冷蔵庫空っぽで食べるものないよ〜』
と言った。
次の日仕事が終わって深夜に帰宅。何気に冷蔵庫を開けたら
食べ物でいっぱいになってた。姉が買い物をして入れてくれたのだった。
しかも私がいつも買うもの、好きなものばかり。
冷蔵庫開けっ放しで泣きました。
- 384 :。・゚・(ノд`)・゚・。 :03/06/05 18:31 ID:0XkjQrBh
- 結婚したての頃、料理とか家事とか仕事も必死にがんばった。
がんばりすぎてノイローゼになり、胃痛と嘔吐繰り返して倒れた。
もうすぐ1年目って時。
ちょうど結婚記念日は私の誕生日でもあった。
夫は不器用ながらもぎこちない手でカレーを作り、買ってきたショートケーキ
にロウソクたててささやかながら祝った。
照れくさそうに「無理しなくていいから。これからもずっとずっと俺の妻で
いてもらいたいから」と言ってくれた。
もうすぐ2年目。今ではすっかり元気になり、「適当」という技も取得し、
改めて夫の妻になれてよかったと思った。
もうすぐ家族が増えるよ、パパ。もっともっといい家庭作ろうね。
- 677 :おさかなくわえた名無しさん :03/08/10 14:26 ID:xwt0S3fj
- 私が小学2年生の時、同居していた母方の祖母が脳溢血で亡くなった。
生前の祖母は、痴呆症で自分が誰かわからなくても、私をとても可愛がってくれていた。
私が4人兄弟の末っ子のせいか、何時でも何でも他の兄弟よりも優先してくれて、
隣市の市立病院に入院していたときも、「○○(私)が心配〜」と勝手に病院から抜け出してしまうほどだった。
ところが当時の私は、痴呆症でおもらし等をする祖母のことが嫌いで、亡くなった時も全然悲しくなかった。
むしろ、深夜の訃報に伯父と一緒に病院にかけつけた時、亡き祖母の傍らで泣きじゃくる母を見て、
「なんで泣いているんだろう」と不思議に思ったくらいだった。
多分まだ「死」というものを理解出来ていなかったのだと思う。
それから何年も経って中学生になったとき、偶然、押入れの中から祖母の遺品を見つけてしまった。
祖母の愛用していた櫛やデザイン性の全くない金の指輪、それから黒い手帳・・・。
手帳をめくると、そこには毎日の出来事を1〜2行に記した祖母の日記があった。
「今日は○○、元気がない。一緒に遊ぶ友達がいなかったみたいだ。」
「今日は○○に好物のいちごをかった。早く熱が下がりますように。」
「○○〜」「○○〜」「○○〜」・・・
どのページを見ても私の名前ばかりだったが、手帳の中頃から祖母に異変が起きていた。
「○○のかわいいみる しあわせ このごろ 手あまり うごかない」
「てが おもうように うごかな こまた
「らりる る れ れ ○… ○… ○…
手帳の最後の文字は、私の名前だった。
最後の最後まで、私の名前を必死に思い出そうとしていた祖母。
…なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう…
もう祖母には会えないなんて、今頃気づいても遅いのに。
ごめんね、ごめんね、おばあちゃん。
- 804 :おさかなくわえた名無しさん :03/11/09 02:12 ID:8B6014Ng
- 先日、兄が事故で死んだ。
兄は口喧嘩も喧嘩も強くて、いつも俺をからかっていた。
そんな兄はガキの頃、例えば一つしか残っていない
ケーキなんかを俺と兄のどっちが食うかって状況になると
いつも決まってこう言っていた。
「じゃあ、お前、AかBか選べよ。
俺が頭の中で、当たりを決めるから」
俺がAを選ぶと、それは決まって当たりだった。
Bを選ぶと、それも決まって当たりだった。
思えば、一度も外れたことはなかった。
普段俺に偉ぶっているから、素直に譲るのが照れ臭かったのかもしれない。
いま俺の机の隅っこに置いてある3センチくらいのでっかいビー玉も
そうやって「当てた」ものだってことを昨日思い出した。
葬式でも意地張って泣かなかったのに、ぼろぼろ泣いた。
- 927 :おさかなくわえた名無しさん :04/02/03 01:22 ID:X1KyOtZW
- 叔母よ。
去年の暑い夏の日、セミの声と一緒にあなたは逝ってしまいましたね。
あなたが若くして癌に侵されていると知った時、
私の母はただただ青い顔をして、病院の窓から見える美しい春の空を眺めていました。
叔母よ。
母はあなたが逝ってから少し心がおかしいのです。
祖母も祖父も、そして叔母までもが若くして癌で逝ってしまった今、
母は体の少しの異変で癌ではないかと気が狂うほど心配し、病院に通う日々を続けています。
叔母よ。
あなたが残していった高校生の息子は、この春高校を卒業します。
彼の卒業式には叔父と、私の母が出席する予定です。
卒業式には、あの時病室で眺めたのと同じ、美しい春の空が広がっているに違いありません。
叔母よ。
あなたが昔私の進学祝いにくれた時計、そのつもりはなかったのに、あなたの形見になってしまいました。
あの時計はあなたが逝ってもなお、時を刻み続けています。
叔母よ。
あなたの時間は止まってしまったが、あなたが残した者の時間は止まっていません。
私の時計は永遠に動き続けるでしょう。
毎日私の左腕から見守ってくれてありがとう。あなたの妹も、姪も、息子も元気です。
- 487 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/24 00:32 ID:KtJy8k4M
- 私が幼い頃から両親は自営業で忙しく、また末っ子のため、
両親と出掛けたりした想い出は上二人に比べ極端に少ない。
そして二十歳を過ぎた今でも、やはり両親は毎日忙しくお店を切り盛りしている。
旅行なんてもってのほか、一日店を空けるのもやっとという中で
去年母と用事で静岡に出掛けた際、立ち寄った喫茶店。
母はコーヒー、私はケーキとミルクティー。
ラジオのFMが小さく流れている片田舎のひなびた店。
何を話すわけでもなくカウンターに座って、その時ラジオから流れてきた歌が
とても切なくて、今でも強烈に心に焼きついた風景になっている。
遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
ちっぽけな街に生まれ
人混みの中を生きる
数知れぬ人々の
魂に届くように
あと何回こうやって母と時間を過ごせるだろう。
きっとこの曲を聴く度に母と過ごした喫茶店でのひと時を思い出すだろうな。
最近は父と母が少しづつ老いていくのを感じる。
日一日を過ごすたびに別れが近づいているんだろう。
その時を受け入れられるように、一瞬一瞬を大切に過ごそう。
お父さん、お母さん、家族皆が笑って生きていけますように。
- 953 :おさかなくわえた名無しさん :04/02/23 21:31 ID:X9Ecu/2V
- 私は今週末に結婚式を控えている。2年前父を亡くし3人で悲しみを乗り越えてここまできた。
家族で食卓をかこむ日曜も最後かぁ、
としみじみ思って居間へいくと。。。
食卓に並んでいるのは私の好きなおかずばかり。
うれしさのあまり、「わぁ・・!」と言い出したとたん、
大粒の涙が流れてしまった。
見ると母も妹も泣いている。
「さっ、食べよ、おなかすいたなぁ!」
といつものように言う母をみて、
さらに泣いてしまった。
天国のパパ、見てる?
私達、家族になれてよかったね。
バージンロードはママと歩くよ。
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