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嗚咽その3 より

312 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/01 03:24 ID:dSdWYvuj
弟の話。私はいま30代ですが、14歳年下の弟がいます。
弟は、先天的な障害で、身長が伸びません。
でも、性格も明るくとても優しい奴です。
そんな弟が小学生のころ七夕の短冊に書いていた願い事。
「背が伸びますように」両親や私達兄弟にひとことも言ったことは
ない言葉。
たぶん学校で、好奇な目で見られることもあったと思う。つらい事もあったと思う
それを見て涙が止まりませんでした。
弟へ。これからもし、つらいことがあっても、私達家族がいるから。
絶対忘れないで。

338 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/05 04:52 ID:iEb+ajFs
今から3年前、私が29歳の時、母が癌で亡くなりました。54歳でした。

昨日の夜のこと、私の6歳の娘が童謡の本を見ていて「あれっ? この歌知ってるよー」
といって『月の砂漠』を歌い出しました。保育園で習ったにしては古い歌だなあと思い
聞いてみると・・・
娘:「ちがう、○○ちゃん(私の母)の家に泊まった時に○○ちゃんが歌ってくれたー」
私:「えー! だっておまえ2歳半ぐらいだろ、良く覚えてたなー」
娘:「だって、し○ちゃん(娘の名前)が寝るまで、ずう〜っと歌ってくれたもん・・・
   もう一回聞きたいな〜」
母の葬式以来、3年ぶりに家族の前でボロボロと泣いてしまいました。オロオロしている
子供達に、やはり半ベソの家内が「パパはね、悲しくて泣いているんじゃないのよ、
し○ちゃんがそのことを覚えててくれたのが嬉しくて泣いているのよ」と言ってくれて、
その後は子供そっちのけで、家内と2人で号泣。
し○ちゃん、びっくりさせちゃってゴメン。

続くかも・・・

339 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/05 04:53 ID:iEb+ajFs
続き
私の母は小さな出版社を営んでおり、私が入社して8年、家内が4年、何とか様々な
業務をこなせるようになり、やっと親孝行が出来ると思っていた矢先でした。
父と母は15歳で知り合い、22で結婚、24歳で長男の私を生みました。
家はかなり貧乏だったようで、私より二つ年下の妹が生まれた時は
入院・出産費用が払えずに、しばらく病院へ迎えに行かれなかったそうです。

小学校に入った時も、入学式の写真は皆かわいいスーツやドレスを着ているのに
私だけは膝の穴をふさいだアップリケの付いたスッテンテンの長ズボンと、
唯一襟の付いた白いヨレヨレのシャツでしたし、上履き袋も学校推奨の革製の物ではなく
ジーパンの裾を切って取っ手を縫い付けた物でした。
そう、ズボンもシャツも上履き袋も全部母が作ってくれた物でした。
そういえば、よく夜中にミシンをカチャカチャやりながら『月の砂漠』を歌っていましたよ。
自分では良く覚えていないのですが、当時私はそれらをとっても気に入っていたらしく
「これ、ママが作ってくれたんだぜ」と、周りに自慢しては失笑を買っていたそうです。

その後、父の不動産業が軌道に乗り経済的には裕福になりましたが、
お決まりのパターンで愛人を作ってしまい、ほとんど家に帰ってこなくなりました。
たまに帰ってきても、私達が寝静まった頃を見計らって始まる夫婦喧嘩。
酒に酔った母が父を罵倒し、父が母をひっぱたいて家から出ていき、
残った母の嗚咽を聞きながら妹とよく泣いていました。
泣き疲れ、酔いつぶれた母を妹と一緒に布団まで運んだ時も
前後不覚の母の口は『月の砂漠』を口ずさんでいました。
双方とも経済的には自立していたので、父はすんなり別れることが出来るだろうと
思っていたらしいのですが、母は私達への影響を考えて頑として離婚に応じませんでした。

続くかも・・・

340 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/05 04:57 ID:iEb+ajFs
続き
十数年後・・・
そんな母も癌で右乳房全切除となってからは、父に何も言わなくなってしまいました。
「私はもう、女としてはダメだから・・・」と妹に言っていたそうです。
すっかり許されたと勘違いしていた父は、たまに母と2人で旅行とかに行きつつも家には
帰ってきませんでした。母は私に会社の経営的なこと、家内に経理的なことを引き継ぐと
まるで、時間を合わせたかのように、入院。そのまま帰らぬ人となりました。
モルヒネで意識がほとんど無い状態なのに父や私や妹に「ごめんね、ごめんね」と
繰り返し、最後は「ハー、ホーーーー・・・」と深呼吸をしたまま動かなくなりました。
父は「みーが死んじゃったー」と号泣、私と妹も「もう、痛くないからね」と
もう、二度と目を開けることはない母に語りかけるのがやっとで後は号泣。

その後はやれ葬式だの相続だの引継だのドタバタしながら、3年がすぎてしまいました。
昨日の娘の件がなければROMってる予定でしたが、こんな時間に『月の砂漠』を
口ずさみながら書き込んでしまいました。またROMに戻ります。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

最後に・・・
なあ、神様よ、この人にもうちょっとマシな人生は無かったのかい?

356 名前:生きること 投稿日:02/10/06 13:07 ID:GhMfCcJI
長文すまそ
俺は、今思うと幸せな家庭に生まれたんだと思う。
公務員の父、専業主婦の母、3つ離れた弟が一人。
ごく普通の田舎の核家族だったと思う。

しかし俺が消防3年だった頃、突然両親が離婚、原因はおやじの浮気

母親と俺と弟は、追い出される形で、家を出る事となった。
母親は体が弱く、そんなに無理して働ける身体でもなく、無理をしていたんだと思う
それでも、ずっと働き詰の母親の姿を見るのが子供ながらに、辛かった覚えがある。
俺達がいるせいでこんなに辛そうに必死で働く姿を申し訳ない気持ちで一杯だった。

357 名前:生きること 投稿日:02/10/06 13:08 ID:GhMfCcJI
そして厨房に上がった頃、おやじは死んだ。胃癌だったそうだ。
浮気の相手のトウに見捨てられて見取ってくれる人間すら居なかったらしい。
俺はその事に優越感を感じる位、おやじを憎んでいた。そして捻くれてしまっていた。
やさしい母親の諭してくれた言葉すら忘れて、、、

それでも母親は、おやじを憎むなと俺達兄弟に諭した。全て自分が悪いのだと、、、
人を憎む人間になって欲しくないと、、、

358 名前:生きること 投稿日:02/10/06 13:09 ID:GhMfCcJI
そして時がたち、母親は高校へ行かず働くといった俺を高校まで行かせてくれた。
親子3人貧乏で本当に何も無い暮らしだったが俺は幸せを実感していたんだと思う。
やさしい母のおかげか俺も弟も幸いグレずに晴れて高校を卒業させてくれた。

それから俺は営業の仕事をして母親と弟を大事に楽にさせてやろうと、必死に働いた。
昼も夜も、時にはクライアントを騙す様な仕事もしてきた。
それはあの二人を思うと働かずには居られなかった。
そして母親は働かずに住むくらいの収入を得て、家も買い、弟も就職し働き始め
弟は結婚する事にもなり、婚約者も俺達の事を判ってくれていた。
婚約者を連れてきたときの母の嬉しそうな顔が今でも脳裏に焼きついててさ、、
やっとこれで全ての幸せを買い戻した、これからはもっと幸せにならなきゃなって、、、

359 名前:生きること 投稿日:02/10/06 13:10 ID:GhMfCcJI
そんな母と弟が去年高速道路で事故に遭い帰らぬ人となってしまった。
2人とも即死だったそうだ、、、、
弟はその年の暮れ、結婚する筈だった。母親もそれをもの凄く楽しみにしていたのに、、

二人の葬儀の時、俺は、喪失感にさいなまれ何が何か判らなくなってしまい、ただただ
静かに、葬儀を進行させていった。自分が今一体何の為に何をやっているのかすら解らず。
涙すら出ないのだ。自分は、どこか壊れてしまったかのように。

葬儀も終わり、納骨も済み、全てが、終わった。依然涙は出ず終いだった。

360 名前:生きること 投稿日:02/10/06 13:12 ID:GhMfCcJI
その後、事故の相手と保険屋が家に来て事後交渉を始めた時
母親の人生、弟の人生を何だと思ってやがると、腸が煮えくり返ってきて、その時
初めて嗚咽混じりに謝罪を求めた。その時本当の憎しみ慟哭という物がどういう物なのか
わかった気がした。

それと同時に人を憎む人間になって欲しくないと、、諭してくれた母親の言葉も蘇り
俺ははじめて人前で泣いた堰を切ったかのように泣いた。

もうすぐ一年、未だ虚脱感からは抜け出せてません。今日も仏壇に手を合わせ、広い家で一人で
過ごしています。

いつかこの終わりの無い悲しみから少しでも立ち直れるかなー。

664 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/12/11 23:55 ID:B24CStqb
別に鳴咽って訳では無いのですが、私の猫話を書いてみようと思います。
何となく書いてみようと思っただけですので、鳴咽ネタを期待している方は
読み飛ばして下さい。


私が中学の時でした。当時、荒れていた私を和らげようと、母親が猫を貰ってきました。
雑種だが真っ白な小猫で、青い目と長い尻尾が奇麗な猫でした。
家族はミーと名前を付けたのですが、何の芸の無い山田太郎みたいな名前も何ですので、
私だけはその猫をアホと呼んでいました。
アホッ!と呼ぶと、ニャーと泣くので、本人もその名前をいたく気に入っていたのでしょう。

それから毎日、アホを見つけては遊んでいました。
髭を切ってみたり、眉毛を書いてみたり、ヘルメットに入れてグルグル回したり、
猫にしてみれば、さぞかし迷惑な毎日だったでしょう。
でも、寝る時はいつも私の布団に入ってきました。

665 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/12/11 23:55 ID:B24CStqb
私が高校の時でした。家に帰るとアホがものすごい勢いでエサを食べています。
いつもはポソポソと食べるだけなので、珍しい事もあるものだ。と思いよく見ると、
体の色が違います。どうみても、アホではありません。
周りを見渡すと、柱の影でその猫の様子をジッと見ているアホが居ました。
アホに「何してんの?」と聞くと、私の後ろに回り、その猫に向かって「フーッ」。
ひたすら根性のない猫でした。

それから更に年月は経ち、私が29歳。結婚をし、実家から100mの所に
家を購入しました。
実家にはあまり戻らなくなったのですが、週に1,2度私の家の門柱にアホが
昼寝をしているのです。犬じゃあるまいし、何故ここが判ったのか。謎でした。
「アホッ!」っと声をかけると、玄関に入ってきます。
もうこの頃になると、アホも結構な年でした。
フラフラとしながらも、私の家に来るのです。
来ても何をするでもなく、部屋に上がると10分もしないうちに実家へと帰ります。

666 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/12/11 23:56 ID:B24CStqb
この辺になると、毎年、今年は持たないのでは無いか。と家族で話し合ったものです。
食はどんどん細くなるし、大半は寝ているし。
好物のシーチキンもチロッと油を舐めるだけで終わってしまいます。
そう言いながらもそれから更に3年が経過しました。
さすがにこれだけ長生きすると、近所からはバケ猫じゃないのか。等と言われ
私たちも、そう思ったりしました。

私が33歳の冬。18年生きたアホはあっさりと死んでしまいました。
猫は死ぬ姿を見せないといいますが、実家のいつものポジションで横たわったまま
死んでしまいました。
最後を看取ったのは妹でした。死にそうなのは判ったので、泣きながら最後のブラッシング
をしてあげた所、フギャ!と怒りながら蹴ってきたそうです。
その直後に死んでしまいました。
「むっちゃ後味わるい!」妹は今でも言います。ごもっともです。

その年の夏、私たち夫婦には子供が産まれました。
その子の名前はアホと言います。


な訳ないですね。




     

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