PickUp #253  2004.01.17   <- Prev  Home   Next ->


No.253 ★★★★阪神・淡路大震災の報道★★★★ より

377 名前:名無しだョ!全員集合 :04/01/16 22:32 ID:PITcQInZ
あれから9年か・・・

92 :名無しだョ!全員集合 :02/12/16 10:14 ID:3tZRFCed
76番さんと同じようなことだが、。。。豊中南部の実家で震災にあった。
床の間の人形ケ−スなどが全て落ち、モノスゴイガラスの割れる音で目が覚めた。激しい震動ドアも開かなくなった。
すぐにラジオをつけるとどこかの局で、坂上二郎さんの「学校の先生」と言う局が流れてて、その寂しげな歌詞、リズムに背筋がゾ−−−として哀しい気分いなった。
同時に真っ暗闇の中、電気も付かない、ガラスは割れ飛び散り、掃除機は使えず、子供はいるしどうすることもできず途方にくれた。
次の日から尼崎、西宮、神戸方面からの買出し車や人が庄内の街に大勢来て食べ物が随分無くなった。
阪急電車庄内駅のトイレでタンクを持ち、水を汲んで帰る人の列ができた。庄内周辺の道は大渋滞。
駅周辺だけでなく、少し離れた住宅街にまで神戸ナンバ−とかの車の路上駐車も増え、狭い抜け道ですら渋滞した。
もう実家に帰省しておれなくなり、その週の土曜日に札幌に戻った。伊丹空港はそんな人も多く、空港で泣いて家族と別れてる人もたくさんいた。子供だけでの出発させる人もいた。
新幹線も止まってるため空港は大混乱。飛行機も子供だらけ。
宅急便も動いてないので、飛行機に乗せる荷物がダンボ−ルまるごとだったり、ベビ−カ−やチャイルドシ−ト、毛布まで・・あらゆる生活用品が、飛行場の手荷物受取タ−ンテ−ブルをクルクル周り、子供を抱えて、どうにもならないぐらいの手荷物を持った人がかなりいた。
今、思うと豊中は結構ヒドイ状態だった。空港で泣いてた子供やその家族も別れるのがツライだけでなく、身内の亡くなった方を思い、家が無くなりどうにもならなくなり、とりあえず子供だけ非難させた方も多かったハズ。
伊丹空港の手荷物検査定場で泣いてる人何人見たか。・・

118 :名無しだョ!全員集合 :03/01/16 00:49 ID:mIX8W3A7
8年前タンスの下敷きになりました
震災が一日ずれていたら某駅と運命を共にしていました
その駅前交番では警察官が一名亡くなられています
それを思うと…17日は花を手向けに行ってきます
もう8年ですか…早いものです
震災を風化させないで欲しいものですね

199 :名無しだョ!全員集合 :03/02/12 04:26 ID:b4HM9ZGw
日付的には、あの日は私の成人式の2日後でした
あの時間私は数分前までの友人との電話を切り、レンタルのビデオを見ていました。
揺れを感じた瞬間、直ぐにおさまる小さな地震だと思いました
その直後、揺れが激しくなり立ち上がろうとする足が滑り下半身がコタツの中へ滑り込みました
そして、目の前の背の高い(2m程の)テレビラックが私の方へ倒れて来る瞬間に停電で電気が消え、表現出来ない叫び声をあげ
揺れが収まり、真っ暗な中を手探りでライターを探し、自分の部屋を見渡すと
事の重大さに気付き、親の部屋へ無事を確認しに行きました
幸い私の家族は無事でしたが、つい数分前まで話していた友人は亡くなってしまいました。
たった2日前の成人式で集まった、友人達も数人が亡くなりました。

停電で何も情報は入らず(車のラジオを聴けば良いと言う事すら、混乱で浮かびませんでした…)当時の恋人の家や、友人の家等を原付で走って回ったのですが
道が無く、走っていたのは崩落ちた家々の屋根の上でした
屋根瓦の上を走り、ちぎれ下がりショートする電線の横を走り
目にしたのは潰れた友人の家…

その日の夜から、尼崎の親戚の家に行き
いつだったか忘れましたが、やっと写ったテレビの画面から自分が経験した事を知りました
多くの被災者がそうであるように、私自信言葉で簡潔にアノ日をアノ経験を語り尽くす事は出来ません
今も微弱な地震ですら、揺れを感じる度に体が硬直し、手に汗が滲みます
揺れが収まった直後に見た、私の顔の直ぐ横に突き刺さったテレビラックのガラス戸
ほんの数センチで助かった命…
ほんの数分前まで会話していた友人…

昨今の成人式騒動のニュースを見る度に思います
『お前達、幸せやなぁ』と。

321 :名無しだョ!全員集合 :03/11/27 03:04 ID:HOK8mTZB
大震災の時、東灘の我が家は建物の一部が壊れた程度で済み、
家族も全員無事であったが、隣近所では多くの家が倒壊し、
多くの人が瓦礫の下敷きになっていたので、皆、スコップや
ノコギリ、クルマのジャッキなどを持ち寄って、救助作業に
当たっていた。工務店を営む我が家は近くの事務所兼車庫に
置いてあった4dのユニック車にユンボや発電機、そのほか
工具類など、ありったけの資材を積んで来て、それらを手に
作業に加わった。しかし、ユニックやユンボを活用しても、
到底手におえるような規模では無かった。

そこへ、某局のレポーター一行がやって来た。レポーターは
ユンボで瓦礫を取り除いていたオレに向かって、
『すいませんが、何かめぼしいモノは掘り出せましたか?』
などと、まるでオレが宝捜しでもしているかのような質問を
ぶつけてきた。あまりの無礼・不躾な質問にブチ切れたか、
それこそ、マジでレポーターを殴りそうになっていたオレ。
しかし、作業の纏め役をしてくれていた、近所の住人からは
『御大』や『ご隠居』と呼ばれていた爺さん(当時74)が、
オレを宥めつつ、そのレポーターに、
『アンタらも仕事で来とるさかいに、映すなとは言わへん。
 しかし、もう少し言葉を選んで話すようにしてくれよ!』
という旨のことを伝えてくれた。すると、一行はレポートを
続けつつ、可能なメンバーは作業に加わってくれたのである。
その直後に、オレがユンボで取り除いていた瓦礫の中から、
2人暮らしの老夫婦が救出されたのである。老夫婦は多少の
怪我こそ負っていたものの、お互いの手を取って歩けていた。
その風景を見たレポーターの眼には、光るものがあった。

343 :当時在住 :03/12/22 22:30 ID:c37hTLue
当時、某放送局で編集の仕事してたときの話し。 

朝、仕事に行こうと思ってアパートから出てバイクに跨ったその時、
突然揺れだした。地面が、おかしくうねっていて鳥肌が体中に出た。
とにかく動けなかった。バイクごと倒れてそのまま下敷き。揺れてるその間、
見えていたのは、郵便ポストのしたにおいてあった、枯れかかった観葉植物
かなんかの鉢。 
 部屋に戻ろうとしたら、隣の部屋の大学一年生のサキちゃんが泣きながら
裸足で立っていた。指先から血がぽたぽたと滴っていた。とにかく、サキちゃん
と自分の部屋に入った。普段から散らかっている部屋が、一段と散らかっていた。
とにかく、サキちゃんの手当をした。包帯を探すのに20分以上かかったと思う。
それから少ししたら、余震が来た。サキちゃんは俺に抱きついたまま動こうと
しなかったから、無理矢理引っ張って外に連れだした。外は、とんでもないことに
なっていた。けがした人や、泣き叫ぶ人。まさに地獄だと思った。サキちゃんは
恐怖と寒さで震えていた。とにかく、職場に連絡したかった。でも、電話はもちろん
輻輳を起こしていて使い物にならなかった。サキちゃんを、アパートの住人に預けて
、自分はハンディカムとレコーダーを持って職場に向かった。途中で、休憩してたら
ゼイゼイ息を切らしながら座っていたおじいさんがいた。あまりにも苦しそうだったから
、ポケットに入れておいたゲータレートを手に握らせた。声が出ないらしく、手を合わせるだけだった。「がんばらなあかんよ!!おじいちゃん!ね!」と、泣きながら励ました。あの時の、おじいちゃんの顔が今でも忘れられないなぁ。 

344 :当時在住 :03/12/22 22:30 ID:c37hTLue
それから、職場でマイクロ回線で伝送されてくる素材や撮影クルーが送ってきたテープの
編集で大変だった。放送では流せないような映像や、涙を誘うような映像ばかりで、精神的にも
肉体的にも疲れた。それから、数日後友人が亡くなったとの連絡が入る。
 やっと、アパートに帰ると荒れた部屋だったけど、落ち着けた。サキちゃんも、元気になっていた。
自衛隊さんに貰った缶詰を二人で食べた。沢庵がとても大きくて美味しかったのが印象的
だった。黙っていても暗くなるだけだから、部屋を探し回ってオセロを見つけて、サキちゃんと
やった。足りないコマは紙を切って作った。 

その後の事は色々な事がおきすぎて忘れた。思い出したくない。

369 :美雨 :04/01/13 19:54 ID:???
3連休に母の実家のある京都へ行った。
前の年に亡くなった伯母のお墓参りと私の結婚の報告のため。

16日に神戸の新居の掃除や先に住んでる彼の
洗濯物を片付けて私一人、東京へ帰った。

夜中、電話好きじゃない彼から電話があった。
色々取り留めのない事を話して、ずい分長電話してしまった。

「ん?変な音する。あれ?」って彼が言って電話が切れた。

何となくつけてたNHKの画面に
‘関西方面で地震が・・・’の文字を見ても
「あぁ、地震だったんだ」としか思わなかった。

あんな大きな地震が関西で起こるなんて思ってなかったから。
それでも何か引っ掛かる物があって早朝テレビを見続けた。

情報が入る度、心臓が締め付けられた。
高速の映像を見た後はよく覚えていない。

現地に行って目の前に広がる光景の恐ろしさに震えた事、
ヘリがうるさかった事、冬なのにそれほど寒くないのは
あちこち燃えているからだと悟った事・・・

彼のお葬式までは不思議と泣かなかった。
今は日テレの新番組のタイトルに腹が立って泣けるのに。

280 :ウイング :03/07/04 14:55 ID:oy7ynNKQ
僕はその当時21歳。
一つ下の彼女は20歳だった。

15日に成人式を迎えた振り袖姿の彼女と写真を撮った。
16日の夜「今日現像あがってきたから明日写真もって行くわ、おやすみ」
それが彼女との最後の会話になってしまった。

僕の家は揺れは大きかったが周辺で倒壊や火事などは全くなく、暫くすると電気も回復し「ずいぶん揺れたな」としか思わなかった。
何気なくテレビをつけ、倒れた本棚を片付けていたら家が倒壊し火が燃え盛っている彼女の自宅周辺の映像が流れた。
頭の中が真っ白になった。

僕は原付に飛び乗り彼女の家に向かった。
信号は消え、道路は陥没、隆起し崩れた家・塀が道をふさぎ大渋滞。
その間をすり抜けなんとか彼女の自宅前にたどり着いた。
僕は凍りついた。
15日にその前で彼女と別れたその家が姿形も無く崩れ落ちていた・・・
彼女の名前を叫びながら周辺を探しても姿はない。
するとかすかに「助けて」と声が聞こえたような気がした。
周辺では被災を免れた人達が僕と同じように行方のわからない人達を探していた。
「かすかな声や物音が聞こえるかもしれへんからみなさん少しの間静かにして下さい」
僕がそうお願いするとわずかな声、物音も聞き逃さまいとみなさん耳を澄ませてくれた。

そこへ静寂を切り裂く轟音が空から聞こえた。
マスコミ・テレビ局のヘリコプターだった。
おなじヘリコプターが頭上を何度も往復・旋回した。
聞こえるのはヘリコプターの爆音だけ。
こんな中でかすかな声も物音も聞こえるわけがない。
僕達はヘリコプターが去っていくのを待ち続けた、しかしその数は減るどころか増えていくばっかり。

281 :ウイング :03/07/04 15:14 ID:oy7ynNKQ
お前らは上から見てるだけで地上の悲惨な状態がわかってるのか?
一人でもたくさんの人達を助けようとしている人達の邪魔をしているのか?
そんな言葉ばかり頭に浮かんだ。

重機のないなか、人海戦術で掘り起こしていく他なかった。
そんな方法で救出作業が進むはずがない。
梁を動かすだけで一日仕事。

彼女の変わり果てた姿を見つけたのは地震発生当日から五日後だった。
泣いた、泣き続けた。
一週間前に艶やかな振り袖姿を見せてくれた彼女がこんな事になるとは・・・

それ以来マスコミは信じていない。
もしヘリコプターがこなかったら助けられたんじゃないか?
今でもそう思い続けている。




     

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