親父と野球を見た時の思い出 より
- 50 名前:大阪人 投稿日:02/05/24 16:12 ID:rGmGkfkB
- うちは親父阪神ファンで、俺巨人ファン。
よく甲子園に一緒に行った。
巨人戦以外は阪神ファンのふりさせられ、ライトスタンドで阪神応援。
(掛布〜!!とか言ってた w)
そのかわり巨人戦はレフトスタンドで観戦。本当は悔しいくせに、
原や篠塚が打つと、「良かったなあ」と言ってくれた。
そんな親父も昨年末逝ってしまった・・。生前、「もう一度阪神の
優勝見たいなぁ〜」とよく言っていた。
だから、原巨人を応援しつつも今年は阪神の優勝を願っている
裏切り者っす・・・・
- 52 名前:代打名無し 投稿日:02/05/24 16:19 ID:19wgVX1/
- 親父は長島ファソだった。
だが、俺は阪神ファソになってしまった。
でも親父は阪神-ヤクルトとかの券を取ってきてくれて、
何度か野球を見に行かせてくれた。
ある時阪神がボロボロに負けていた。
俺が8回くらいに「帰る」ってごねて、親父と帰り支度を始めたら、
近くにいたヤクファソのジジイが、俺に「駄目虎カエレ!」とか煽ってきた。
俺はまだ小学生くらいで、本気で泣きそうになってしまった。
だが、親父はまるで自分が虎ファソかのように、ジジイに因縁ふっかけた。
その時はどういう経緯があったかは(親父が)怖すぎて忘れたが、
ジジイが俺に土下座して謝っていた記憶がある。
そんだけ。
- 58 名前:47=命日記念 投稿日:02/05/24 17:30 ID:yYsOrOB7
- うちの親父は阪神ファンだったらしい。
「らしい」というのは、葬儀の際に親父の同僚の人に聞いて初めて知ったから。
後で確認したら当然お袋は知っていたが。
ひとりでに巨人ファンになっていた小学生時代の俺を連れて行ってくれたのは
後楽園の巨人戦。しかし今思うと対阪神戦は一度もなかった。
当然親父も巨人ファンだと思いこんでいたのだが・・・
中学くらいからは殆ど親父と会話していなかったので、ずっとそう思い込んでいた。
野球を好きになりだした子供の俺のために多忙な時間を割き、自分は我慢して
巨人戦ばかり見せてくれたんだな。
お袋によると定年したら一度甲子園に阪神戦を見に行くのが夢だったらしいが
そんなささやかな夢さえ叶わず逝ってしまった。
たったそれだけのことなんだけど、何故か無性に
「この親父を超えるのは並大抵なことじゃできない」と思った。
- 80 名前:代打名無し 投稿日:02/05/25 04:30 ID:PQOTdp4j
- 親父は広島育ちの広島ファン。
昔よくTVを見ながら、当時ストッパーだった津田の配球に
あ〜だこ〜だと文句をつけていた。
隣で飯を食いながらあきれていた折れ。
そんな親父も、津田も、今はもういない・・・
- 100 名前:代打名無し 投稿日:02/05/25 18:46 ID:31wUSKph
- ええスレなんで、オレも御邪魔させて貰います。
死んだ親爺は、川上の頃からの超G党。その影響でオレも王巨人の頃からファンに。
ただ、親爺はGが負ける(及び劣勢になる)と、ドンドン機嫌が悪くなる。
厨房のオレに真顔で「原は来年お払い箱だよ。」「王のこの馬鹿ッがッ!!」とか
本気で怒り狂う。藤田、シゲオの時代になっても負ける度に怒ってた。
正直、家庭の雰囲気が超悪くなるので、オレも母親も親爺とテレビ中継を見るのは
ちょっと嫌だった。89年の日本一は、マジで有り難かったくらいだ(笑)。
ただ、オレもだんだん強くなって言い返すようになってった。
あるとき親爺の物言いに本当に腹が立ったので、「親爺が死んだら、オレも
ナイター観るとき、楽なんだろーなー!!何年後かにさあ!」と
捨て台詞を吐いて、車でプチ家出をしてしまった。
母親の話によると、親爺は凄く悲しそうな顔をしていたそうだ。
その件があってから、数ヶ月後親爺は事故で急死した。
今思えば、親爺は祖父の代からの小さな町工場を切り盛りしいて、ストレスの
吐け口が、G戦ナイターでブーブー言うことしかなかったかも。放蕩息子だった
オレは親爺の後を継いでみて初めて、親爺の辛さがわかったDQNだった。
プチ家出の事以外にも色々あって少し冷戦状態のまま親爺は死んでしまったのだ。
1年後に母親も病気で死んでしまったので、オレは今独りでナイターを観ている。
昨日の試合なんかは、親爺の怒声が聞こえてくるようだった。
>93の言うことは、オレにとって本当に耳が痛い。なんでもっと理解してやって
ドームのチケットでも取ってやらなかったのかと、心底後悔している。
全くの御節介だが、可能な人は親御さんに孝行してあげて下さい。
、、、したいときには親は無し、、、って笑っていたもんだけど、あの句は本当だった。
- 101 名前:代打名無し 投稿日:02/05/25 20:02 ID:MCAx6orA
- 5歳の時に父に死別し、自分の家は母子家庭だった。弟が1人いる。
当時母子寮住まいで部屋は狭く、母はスーパーの精肉店の隅でパートで
生計をしていた。給料は15マソぐらいで、母の帰りは不定期で日祝もパート
で働いてた。
そんな自分も野球少年で、漏れの家には不釣合いなウエブが眩しい刺繍入り
の慶彦モデルが転がってた。勿論漏れの我侭で購入してもらった代物だった。
そんな自分だが、1年に1度は市民球場に弟と一緒に連れてってもらってた。
招待券で入場した事もあったが、全くの野球オンチな母は何を思ってチケット
を購入し、2日分のパート賃金を浪費してまで漏れと弟を広島市民球場によく
連れてって貰ったのか・・・当時の漏れは幼すぎて微塵も考える事ができず、
ただ純粋に一生懸命に白球を追っていた。
- 108 名前:代打名無し 投稿日:02/05/26 00:39 ID:6q9RPloX
- 20数年前の後楽園球場。
親父も俺もGファンだったので、知り合いのつてで回してもらった
1塁側内野指定席で観戦。相手とか試合展開とかは覚えていないが、
リードされていたので7回くらいで球場を出て、家についたら逆転していた。
一番いい場面を見逃しているあたりがトホホ。
その後も招待券をもらっては自由席で見ていたのだけれど、
ドームになってからは、あの閉塞感がいやで行かなくなってしまった。
親父とは「やっぱり外がいいよな。これからは神宮に行こう」と
話してはいたものの、行く機会がないまま時は過ぎ、いつしか俺が
ヤクルトファンになってしまったので、本当に「一緒に観戦」という
ことすらなくなってしまった。
そして、俺が初めて神宮に行ったのは92年の日本シリーズ初戦。
当然ヤクルトファンなので1人で観戦。当日は俺の好きな杉浦の
サヨナラホームランでヤクルト勝利。家に帰ってきたら、まだ
巨人ファンだった親父に祝福された。
その親父が突然死んでしまったのはその翌日。
長嶋の復帰をあんなに喜んでいたのに・・・・・・・・・・・・・
今でも、日本シリーズが近づくと、親父と野球のことを思い出す。
- 113 名前:代打名無し 投稿日:02/05/26 12:33 ID:a+G2zLbW
- 昔から病気がちだった親父はほとんど入院していて
運動会、参観日、PTA会議などに来れなかった
もちろん家計が厳しく母親も働き詰で来てくれる余裕などなかった
そんな家庭環境だったので唯一の楽しみが野球観戦(テレビ)で
野球をやりたくなって、はじめて親に野球をやりたいとワガママを言った
そんな俺は日常の嫌のことを忘れさせてくれる野球に没頭した
小学校6年になるころにはエースに成れる位まで野球に打ちこんだ
試合がある度に親父の見舞いにいき話を聞かせるのが楽しみになり
試合に負けると親父は優しく慰めてくれた、もちろん勝ったときは喜んでくれた
六年の最後の夏に地区予選の決勝まで進んだ
親父は無理をして観にきてくれた
当然いいとこを見せようとした私は四球を連発した
そんな私に親父は「がんばれー」と大声で応援してくれた
その年の冬に親父は亡くなったが一番の思い出はその時のことだ・・
野球少年を見るたびに親父を思い出す
そんな野球に感謝している、ありがとう野球、頑張れ野球少年。
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