PickUp #283  2004.07.19   <- Prev  Home   Next ->


No.283 お前ら、かーちゃん死んだら泣くか? より

647 :Mr.名無しさん :03/11/14 12:14
俺が物心ついた頃から入退院を繰り返してたママンに、泣かれた事あるよ。
「母親らしい事を何ひとつしてやれなかった」つって。
馬鹿じゃなかろうか。

お前がインコに一生懸命話しかけてるの見て育ってペットショップで働いてるし、今もインコ飼ってるし。
多趣味な所も、喋り好きな所もお前ソックリじゃねーかと。

十分母親の役割果たしてるじゃねーか。満足してるっつーの。
伝えそこなったけどな('A`)

111 :Mr.名無しさん :03/10/30 22:32
祖父が死んだ時、親父の兄弟達は泣きまくってた。ただ、親父は淡々と葬式の準備を行った。
出棺の時も焼いたときも親父は淡々と事務をこなすように段取りを仕切っていた。
結局親父は葬式では泣かなかった。

家に帰って一緒に飯食って、プロ野球見てたんだけど
その時、親父の目から涙がこぼれてたよ。
多分、自分でも気づいてなかったと思う。
俺、どうしていいのか分からなくなって、ただ気づかないフリをしてた。
あんな冷たい親父でも泣くんだなぁって思った。

324 :1/3 :03/11/01 18:48
うちはビンボーだった。
かーちゃんは「雪印ローリー」と「毎日新聞朝夕刊」を
配って俺を食わせてくれた。
かーちゃんは免許を持っていなかったので
ボロイ自転車で配達していた。
雪の日はよく転んで、キズを作って帰ってきた。
台風でも配っていた。風邪で高熱を出しても配っていた。
ある日、とうとう倒れてしまった。すると、配達先のあるオヤジが
ボロ長屋にまで押し掛けて、「新聞を配れ!」と怒鳴りつけてきた。
かーちゃんはせんべい布団からよろよろと出てきて、
一生懸命謝っていた。

325 :2/3 :03/11/01 18:49
かーちゃんは実家も貧乏で高校進学出来なかった。
だから、バカなオイラを大学まで行かせてくれた
合格したときは泣いて喜んでくれた。
大学の校門で写真を撮って大喜びしていた。
苦しい家計から、学費と毎月5万円仕送りしてくれた。
その後、かーちゃんは長年の無理がたたったのか、慢性腎不全にかかり
透析をするようになった。このころから、誰かにいじめられている・
お金を盗まれた・探偵に見張られていると妄想を喋るようになった。
それでも、かーちゃんはオイラには優しかった。

326 :3/3 :03/11/01 18:49
ある日、「頭が痛い、ノーシンをちょうだい」といったかと思うと
意識がなくなった。脳出血による脳死だった。ICUに運ばれたが
意識は戻らなかった。オイラがあわててICUに行くと、かーちゃんは
眠っているようだった。1週間後にかーちゃんは死んだ。
棺桶のかーちゃんを見てると、今までのことが思い出されて
号泣した。声をあげて泣いた。


俺は母親孝行が出来なかった大馬鹿者だ、と。

396 :Mr.名無しさん :03/11/03 06:26
父ちゃんは小さい頃死んだ。
死という概念が無かったから理解出来無かった。
母ちゃんは去年死んだ。
誰も居ない所で号泣した。ずっと。

661 :Mr.名無しさん :03/11/14 22:33
この間、なんとなく家に電話したらいつもはおかんが電話に出るのに、なぜかばあちゃんが電話に出たんだよ。
それで「おかんは?」って聞いたら「入院したって。」
あんまり病気とかしてなかったし、顔見たばっかりだったからびっくりしてね。
その後、おかんから電話かかってきて、病気自体はたいしたこと無かったんで安心したんだよ。
でも話してるうちに、仕事忙しくて連絡できなかったらうっとおしいくらいに「元気か」とか[大丈夫か」とか電話して
くるくせに、自分の調子が悪くなったら連絡入れなかったことにだんだん腹が立ってきてね。
思わず電話で怒っちゃったら、「心配かけてごめんね」なんて泣きやがるんだよ。

生まれてすぐに親父が死んじゃって、ずっと女手一つで育ててくれたからね。
たいした親孝行もしてないし、嫁も孫も見せられるかどうかわからんけど、せめて長生きぐらいして欲しいもんだよ。

687 :Mr.名無しさん :03/11/16 02:49
うちのおかんは4年前に癌で逝った。
俺の大学の卒業試験が始まる頃に分かって、余命3ヶ月。
俺は毎日病院に見舞いに通いながら試験受けてた。
卒業までもつかどうかは分からなかった。
正直、卒業出来るか微妙だったから必死だった。

追試も終わって卒業が決まった頃、病院から電話がかかってきた。
明らかに錯乱した母が、卒業できるのかと何度も訊いてきた。
慌てて病院に走ったが、もう普通の会話は出来ない状態だった。

その後、母は医者の宣告通りぴったり発病から3ヶ月で逝った。
葬式の取り仕切りを手伝った。葬式からの帰りに親父が発作を起こして倒れかけた。
香典の集計をし、間近に迫った国家試験の勉強と、目の前の雑事をこなすだけで
1ヶ月があっという間に過ぎた。
涙も出なかった。

葬式から約1ヶ月後、卒業証書を手にして実家に帰った。
親父と二人仏壇の前に座ったら、途端に涙が流れ出して止まらなくなった。
たっぷり30分は二人で泣いてたと思う。

738 :ちんぽけもん :03/11/19 12:03
高校1年の8月、母親がガン再発により医者に余命半年を告知される。家族・親戚は皆知っていたが、俺だけはまだ若いということで知らされていなかった。
母親の体の異変(痩せる。腹水たまる。)に気づいてはいたが、こちらが気を使ってることを察知されたくないので、無理して明るくふるまった。

12月、学校の保護者懇談会に父親が来て、その帰りに車の中で言われた。
「かーちゃんもうだめかもしれん」
家に帰って号泣したよ。家で療養していた母親に気づかれないように音楽ガンガンにかけて大泣きした。
自分の死は医者に宣告された時に覚悟していて、本人は死に対して恐怖はなかったようだった。

しかし日につれて落ちていく体力にトイレに行くのにも苦労する自分の姿をうらんで泣いたときは、俺は自分の部屋にダッシュして音楽ガンガンで号泣した。

1月末頃、入院した。本人は自分の死が近いことを悟り、葬式の手配、喪服の手配、俺と兄の隠し貯金のこと等を親戚に頼んでいた。(後日談)

2月5日、容態が悪化した。しかしなんとか復帰し、今までには想像もしなかったくらいご飯を食べる。医者曰く、「ひょっとしたら・・・あした・・・」 
俺はその日は病院で泊まりたかったが、母親が学校は休むなということで、帰った。

2月6日 昼ころ学校に連絡があった。容態が悪化したので早急に病院に来るようにと。
着いたときは家族、親戚が既に集まっていた。母親はなんとか息をしていた。看護婦曰く、耳だけは最後まで聞こえるから話掛けてあげてと。
何を話しかけたかは覚えてないけど。けど、息を引き取るほんと直前に母親がはっきり言ったよ。
「ありがと。ごめんね。」

その後の通夜・葬式では泣き疲れたのと、これからは父・兄の3人で暮らしていかないとという
責任感みたいなので泣かなかった。あと、同級生が来てるということで少しの変なプライドも邪魔した。

後日、親戚のおばさんが母親の最後のメッセージが書かれた紙をくれた。容態が悪化しだしたときに最後の力で書かれた言葉。
「自分の人生、自分の好きなことをしなさい。」

こんな俺ですがもう25歳。元気にやってますよ。

749 :Mr.名無しさん :03/11/19 20:01
おれのおふくろは昨年、うつ病で入院していた。

話をきいたとき耳を疑った。
おふくろはいつも明るく元気な人だった。
子供が大好きで、保母の仕事を生きがいにしていた。
そんなおふくろが何故?と思った。

おふくろが死ぬほど悩んでいたのに、気付いてやれなかった自分を恨んだ。
激しい無力感に苛まれ、自殺も考えた。

悪いことは重なり、
おふくろの看病があるからと、
転勤の話を断り続けてきた親父はリストラされてしまった。

今では母も回復し、親父も再就職できた。
家族を食わせるために遅くまで働いている親父。
単身赴任で頑張ってる親父。
辛くてもそんな素振りを見せない親父。
ありがとうな、親父。

おれは、おふくろも親父も大好きだ。
どっちが死んでも泣くと思う。
いままで世話になった分、親孝行してやるから長生きしろよ。

471 :わかめ :03/11/06 10:36
母が死んでも、泣けなかった。
記憶の中の笑顔が多すぎて、どうにも受け入れがたかった。
病室に遺品を受け取りに行くと、隣のベッドの人が「本当に良い人だったのに・・・」と泣いていた。

葬式の時も、俺は泣かなかった。
家に入りきらないぐらいたくさんの人が来ていた。
親父も親戚の人たちもみんな泣いていた。
思考を止めて、曇り空を睨んだ。

母が骨だけになって炉から出てきたとき、俺はちと泣きそうになった。
隣にいた叔母が、座り込んで泣きわめいた。
長い箸で、事務的に骨を拾った。
強い人間になりたいと思った。

一ヵ月後くらいだったと思う。
高校の寮に入るため、荷造りをしていた。
ハンカチを探して棚を漁っていたら、何故か母の闘病日記が出てきた。
手を合わせ、中を覗いてみた。

そこには見舞いに来た人の名前と、貰った見舞いの品が書いてあった。
たぶん退院したら見舞いのお礼をするつもりだったんだろう。
母らしい気遣いだった。
行間には闘病の辛さが淡々と綴られていた。
髪が抜けた、とか下血が出た、とか。
日記を閉じ、荷造りを中止して自分の部屋に戻った。

472 :わかめ :03/11/06 10:36
俺は全然知らなかったよ。
見舞いに行くたび本当に嬉しそうな顔して、辛そうな素振りなんぞ微塵も見せなかった。
俺がロクでもない日々をぼんやりと過ごしている間、母は一人で苦しんでいたんだろう。
俺は、本当に、どうしようもないクズだ。
この世でたった一人の母親の死に対して、涙も流せなかった。
今思い起こせば、それは本当にくだらん矜持だったんだと思う。
それを『強さ』なんて言葉に転嫁して、独りよがりの妄想に浸っていた弱い人間だった。

ようやく俺は、泣くことができた。


生きる意味を考えることはあまり好きじゃない。
けれども母の生きた証が俺自身であるとすれば、今こうして生きていることが大切な意味を持つんだろう。
母から教わった人への思いやりは、今でも俺の大切な宝だ。
誰よりも優しく、強かった母。
その姿は、俺に一生分の生きる勇気を与えてくれた。
感謝なんて単純な言葉では表せない。
他人に注ぐ愛情がそれに報いるものであるなら、俺は生涯をかけて心を尽そうと思う。




     

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