No.210 【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4 より
- 23 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/12/14 05:55 ID:IiQ9wJsQ
- 小学生の頃、喘息持ちで殆ど毎晩の様に発作が起きてた自分。
夜中に発作が起きて、気が付くと必ず母が背中をさすってくれていた。
今はもう喘息は治ったけれど、あの頃のことは多分一生忘れません。
お母さん有難う。今更口に出すのも照れくさいから、ここで書きます。
- 26 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/12/16 16:22 ID:x0vjFGPw
- 私は運動(体育)が苦手で、幼稚園〜小学校の運動会の50m走などでは
いつもビリか下から2番目の順位で、1位になれたことがありませんでした。
うちの両親は「みんなはできるのにどうしてお前だけできないんだ!」とか
「1位になってみなさいよ、気持ちいいよ〜」などと言ってきましたがおばあちゃんだけは違いました。
5位になって私がおばあちゃんに「また5位になっちゃったよ・・・」と言うとおばちゃんは
「別に1位じゃなくてもいいんだよ、何位だって自分ががんばればいいの」
と言ってくれました。
逆に言うと親じゃないからそういう無責任なことが言えるんだと思う
人もいると思いますが、私にはとても嬉しい言葉でした。
高校受験の時、成績が悪くて希望通りの高校に入れないとわかった時にもおばあちゃんは
「どんな学校だってがんばって勉強すればいいんだよ、いい学校に入って大学出たからって
自分が幸せになるとは限らない、自分がいいと思った道をすすみなさい」
と言ってくれてとても気が楽になり、楽しい高校生活を送ることができました。
おばあちゃんの言葉でどんなに安心できたか。
1番にならなくても、何事も最後まで努力してやりとげるということを教えてくれました。
おばあちゃんありがとう、将来結婚して子供ができたら同じことを言ってあげようと思います。
- 42 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/12/19 15:33 ID:W8dhf851
- 大した話じゃないけど。。
子供の頃、母にくっついて近所のスーパーに買い物に行くのが好きだった。
小学生くらいになると、荷物を母と手分けして持って帰るようになった。
子供の私には、パンやお菓子といった軽いものしか入っていない袋を渡し、
牛乳やビンの入った重い袋を提げる母。
その習慣は私が大人になってもずっと変わらなかった。
そして私は結婚して、母のようにスーパーに買い物に行くようになった。
先日、実家に帰ったときに母と久しぶりに買い物に行った。
母は昔と同じように、軽い袋を私に持たせようとした。
私は「私だって今は毎日これくらいの荷物持ってるんだから」と笑って、
重いほうの袋を持った。
「ああ、そういえばそうだねー」と母はちょっと寂しそうに笑った。
この人の前じゃ、私はいつまでも子供なんだな。
今までありがとうお母さん。もう楽していいんだからね。
- 56 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/12/23 07:44 ID:7X56fp/Z
- 私が小学4年生から別居→中学2年生で離婚した両親。
現在私は父の子供。
高校を通いたかった私立にいれてもらい、鬱病になり中退。
そして17歳の誕生日をすぎてから一人暮らしを始めました。
部屋も借りれなくて親名義でお父さんが家賃を払ってくれているから、
心配させたくなくて水商売してました。
そんな私にも結婚したい相手がみつかって、二人で挨拶に行った時。
照れながら「こんな娘でよかったら」と言ってくれたお父さん。
自分の様な辛い思いをさせたくないっておばあちゃんから聞いたよ。
この前実家に帰った時も「お母さんのこと恨んでか?」って、
悲しそうな顔で心配してくれたね。
そんなことないよ。
今まで色々迷惑かけたけど、幸せな家庭を作ります。
ありがとう。
お父さんの娘でよかったです。
長文スマソ。
スレ見てたらどうしても書きたくなりました。
- 194 :おさかなくわえた名無しさん :03/03/29 17:58 ID:zDGFeNcH
- 結婚式に、両親と兄2人が歌を歌ってくれた。小田和正。
「あなたに会えて本当によかった 嬉しくて嬉しくて言葉にできない」
反抗期や何かが思い通りに行かない時、イライラをストレートにぶつけてしまった両親。
兄2人はブラコンな私が懐いていってもクールな対応しかしてくれなくて寂しい思いをしていた。
4人が照れくさそうに、でも一生懸命に歌ってくれる姿を見ていたら涙が止まらなかった。
もう6年経つけど、結婚式は私にとって、大好きな人と夫婦になれた日であると同時に
自分がどんなに素敵な家庭で育ってきたかを改めて思い出させてくれた日でもあります。
- 201 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/02 03:02 ID:hBsxNeQh
- 些細なことですが、今年の正月に帰省した時。
周りのみんなが席をはずし、75歳になった親父と二人きりになった。
ほろ酔い気分の親父はコタツの上の蜜柑を手に取ると、皮をむきなが
ら言った。
お前を初めて汽車に乗せたのは、脱穀機の部品を買いに町へ連れてっ
たときだった。駅で蜜柑を買ってくれとせがまれたが部品が思った
より高くて金がなかった。帰りの汽車の中で、向かいの席で蜜柑を食
ってる子供をじ一っと見ているお前がかわいそうでたまらなかった。
初めて聞いた。小さい頃の朧な記憶に、雪の降る町で親父に手を引か
れていたことや、遊具のあるデパートの屋上で遠くを見ていたことや、
セピア色の照明と蒸気機関車特有のにおいのする夜汽車がセットにな
ったのが有ったがそのときのことだったのか。
町といっても今では自家用車で30分もあればいけるし、地方都市だか
ら首都圏のはずれのちょっとしたターミナルにも及ばないけれど、
当時は一日がかりだったし、一人で行けたのはやっと高校生になって
からだった。
俺は親父に連れられて初めて汽車で町に行ったことが想い出に残り、
親父は蜜柑を買ってやれなかったことが想い出に残った。
惚け初めているのに、40年も昔の、こんな些細なことをまだ覚えて
いるのが親なんだ。
- 210 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/15 15:55 ID:I1GzJ1gt
- このスレを見ていたら、いつもそっけなくて厳しかった
親父が俺の事で思い切り泣いた事を思い出した。
俺はあまり勉強もできず、ようやく入った三流大学でも完璧に落ち
こぼれてしまった。もう為す術もなく、自殺しようと連絡を絶って
あてもなく彷徨い歩いていると、どういう訳か親父が俺の事を探し
出して家に連れ戻した。
お袋は家の玄関で俺を一目見るなり号泣していたが、
親父は何も言わずに俺を連れて居間に入った。
居間で親父が開口一番「何で自殺なんか考えたのか」と問い詰めて
きた。俺が何も言えずうつむいていると、親父は突然涙をこぼし
ながら「大学の事で悩んでいたのなら、そんな大学は辞めても
いい。大学を卒業しなくても人生なんてどうにでもなる」と
言った。
普段「勉強しろ」しか言わない親父の意外な言葉に、私が呆気に
とられていると、親父は「いいか、どんな理由があっても親より
先に死んだら親孝行になんかならん。元気で生きてくれるのが
一番の親孝行なんだ」と言葉を詰まらせながら号泣した。
突然の親父の言葉と涙に、俺も堪えて
いたものが切れて号泣してしまった、
後にも先にも、親父の涙を見たのはこの一回きりだ。
- 145 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/11 02:07 ID:bQjlOMXZ
- 90歳を過ぎてもボケにはほど遠く、元気だった曽祖父は、
「150歳まで生きる!」とよく言っていました。
そして、特に可愛がってもらった私や従姉に、
「結婚する前に相手を連れておいで。いい男かどうか、おじいちゃんが見てあげるから。」
と言ってくれました。
元気だったから、それから1年も経たずに亡くなるなんて思って無かったよ。
私が結婚する時、旦那になる人を連れて、曽祖父の仏壇のある遠縁の親戚の家に行きました。
曽祖父の仏壇のある家は「祖母の実家」にあたる遠縁の家なので、
母も祖母も「わざわざ結婚の挨拶に行かなくてもいい。」と言ったけど、
どうしてもおじいちゃんに、私の旦那になる人を見せたかったんだ。
だって、おじいちゃんが見てくれる約束だったから。
ねえ、おじいちゃん。
私の旦那は、おじいちゃんから見ていい男ですか?
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