泣ける話 より
- 8 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/21(水) 01:39
セブ島から特攻出撃した大和隊隊員植村少尉が幼いわが子に
あてた遺書。
素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りも
したし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって
私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のこと
をよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残して
あります。
素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやり
の深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったの
を見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまって
も、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい
ときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の
お顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると
真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって
下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福を
のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても
親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って
おります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで
貰いなさい。
昭和十九年○月某日 父
植村素子へ
追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて
自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒に
いたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。
- 88 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/30(金) 22:45
著書「知覧特別攻撃隊」より。
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遺書
政憲、紀代子へ
父ハスガタコソミエザルモイツデモオマエタチヲ見テイル。
ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、オカアサンニシンパイ
ヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオオキクナッタレバ、
ヂブンノスキナミチニスヽミ、リッパナニッポンジンニナルコト
デス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。「マサ
ノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナッテ、フタリヲジ
ット見テイマス。フタリナカヨクベンキョウヲシテ、オカアサ
ンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」「キヨ
コ」ノオウマサンニハナレマセンケレドモ、フタリナカヨクシナサイヨ。
オトウサンハオオキナジュウバクニノッテ、テキヲゼンブ
ヤッツケタゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニ
ナッテ、オトウサンノカタキヲウッテクダサイ。
マサノリ キヨコ フタリヘ
父より。
久野正信 中佐 第三独立飛行隊
昭和二十年五月二十四日出撃戦死 二十九歳
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幼い子供達にも読めるようにカタカナで書いた遺書が泣ける...
- 100 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/04/01(日) 00:33
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美命 二十六歳
マリアナ島にて戦死
季代子 かう呼びかけるのも最後になりました。短かつたけど優しい妻でした。有り難く御礼申し上げます。まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。
短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。
私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。
さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。至らない身、お詫びを致します。
何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。
どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。さやうなら。
昭和十九年五月三日 伊藤 甲子美
季代子様
- 101 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/04/01(日) 00:36
海軍中尉 富田 修命 二十三歳
台湾高雄西海上にて戦死
九月二十五日一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いうことなし。お母さんへ、ご教訓身にしみます。
お母さんご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。−−−−それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、こう叫びつつ死んで征つた幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!
こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいつて下さい。一言で充分です。
いかに冷静になつても考へても、何時も何時も浮かんで来るのはご両親様の顔です。
父ちやん!母ちやん!僕はこう何度もよびます。
「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であつたことに就いて大きな誇りを持つて下さい。勇ましい爆音をたてて先輩がとんで行きます。ではまた。
- 120 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/04/01(日) 19:31
著書「知覧特別攻撃隊」より。
遺書
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母を慕いて
母上お元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
相花信夫 少尉 第七十七振武隊
昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳
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