No.424 【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4 より
- 347 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/02 13:25 ID:5uUCYBF1
- お酒とエコーの夕バコ、歌が大好きなじいちゃん。
小さい頃夏休みといえばいつもじいちゃん家だった。
小学校高学年ぐらいから、親や親戚などといるのが恥ずかしく思え
「じいちゃんちにはリンスがないから行かない」とか
訳のわからない、今思えば意地悪なことを言って
あまり家に行かなくなった。
高校卒業後東京に行きたいと言った私の味方をしてくれ、
周りを説得してくれたのはじいちゃんだった。
年に一度位帰省し、一度だけじいちゃんと焼酎を飲んだ。
普段は飲まないようなお茶で割った焼酎。
無理して飲んだ。
じいちゃんは一緒に飲んだことをすごく喜んでくれた。
ご機嫌で十八番の「みかんのはな」二人で歌った。
お酒には自信があったが
じいちゃん到底かなわず、先につぶれてしまった。
次の日、東京に戻る私に高菜づけを持ってくるからと
朝、電話があったのに、昼近くになってもこないじいちゃん。
そこに、じいちゃんと一緒に住んでいた従兄弟から電話があった。
「今、家が火事になってじいちゃんが・・・・」
私に早く高菜漬けを持っていこうと、天気の悪かったその日、
ストーブのある部屋で洗濯物を干したのが原因。
私さえ帰省していなければと、何度も何度も思った。
じいちゃんの最後の顔も見てあげられなかった。
- 349 :347続き :03/06/02 13:41 ID:5uUCYBF1
- 火事で火傷を負い、葬式には出れなかったばあちゃん。
じいちゃんを止められなかったと自分を責めていた。
みんながそれぞれいろんな理由で自分を責めた。
お葬式の日、火葬場までの通り道にばあちゃんが入院していた病院があった。
霊柩車の後ろのバスに私達は乗っていた。
病院の前で包帯だらけで看護婦に付き添われたばあちゃんが
霊柩車を必死に追いかけ、
見えなくなるまで深く深く何度も頭を下げていた。
バスの中のみんなが今までで一番泣いていた。
あれから四年。
じいちゃん、曾孫ができたよ。
抱っこしてもらいたかったな。
でも、じいちゃんの変わりにばあちゃんがすごくかわいがってくれるよ。
不思議なことに私にも妹にも子供が生まれる前日
じいちゃんが夢に出てきた。
何も言わずにこにこ笑って肩をぽんぽんとたたいて何度もうなづいていた。
見守っててくれてるんだなと思った。
もうすぐ実家に子供を連れて帰省するからね。
エコーと焼酎もってくね。
子守唄に「みかんのはな」歌うといまだに涙が出る。
- 569 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/27 12:36 ID:o3cwYn/U
- 小学校に上がる前の思い出です。
「みんなのうた」かなにかにアイスクリームの歌というのがあって、歌詞が
おいしいおいしいアイスクリ〜ム
王子様でもたべられな〜い
みたいな歌なんですけど、ある日その歌を母と一緒に聴いていて、私は母に
「王子様に生まれなくてよかったー。」言いました。
母が「どうして?」と尋ねると
「だって、わたしにはお母さんがアイスたべさせてくれるからー。」と答えました。
すると母は急に私をぎゅっと抱きしめ、泣き出してしまいました。
そのときはただ「どうしたの、お母さん?泣かないで?」と言って母の腕の中で
おたおたしていたのですが、そのうちに私ももらい泣きして、最後には
二人して抱き合って大泣きしました。
当時私は、母子家庭のため母の仕事中は託児所に預けられることが多かったのですが
その帰り道のスーパーでご褒美のお菓子を買ってもらえるのが
とてもうれしかったという記憶があります。
あまり裕福ではなかったけれど、
あのとき二人で抱き合って泣いた時の事を思い出すと、悲しいというより
むしろ幸せな、暖かく優しいイメージがうかんできます。
今は私一人東京にいるけれど、成人式には帰って、親孝行したいです。
- 791 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/07/20 18:34 ID:d7GRY1gx
- こないだ父の3回忌が過ぎました。
父の日の翌日の早朝、散歩の途中に事故で亡くなりました。
その年の父の日のプレゼントとして「カッコなんてどうだっていいんだ。
ちゃらちゃらしなくていいんだ」といっていつも作業服ばかり着てる父に、
ポロシャツと麻のパンツを買って送りました。
が、土曜日の集荷に間に合わなかったために父が亡くなった日の午前中に実家に届きました。
楽しみにしていてくれたのに、間に合わなかった。
ごめんなさい。
棺の中で着てもらったけれど、裾上げも出来ない娘で(叔母にやってもらった)
ごめんなさい。似合ってたのに。
間に合わなくて本当にゴメン。
- 976 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/10/05 21:11 ID:fWts+Ezo
- 前、実家帰って、帰る時のこと。
俺は母子家庭で仕送りもらってるくせに
冗談めかしに帰りのタクシー代と電車賃ちょうだいと母にせがんだら
「何言ってんの!うちもキツキツで生活してるのに、自分で払いなさい!」
と怒鳴られた。
俺も腹立って、電話でタクシー呼んでそのあとは一言も母とは口聞かなかった。
しばらくしたらタクシーが来て、俺は何も言わずに家を出てってタクシーに乗り込んだ。
ちょうどその時、母が財布もって慌てて外に出てきたけど、
その時ちょうどタクシー発進。
俺は自分の情けなさと母ヘの申し訳なさと感謝の気持ちと後ろめたさに
振り向くことができなかった。
タクシーの中で涙こらえるのに必死だった。
後味の悪い帰省だった。
- 920 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/17 10:24 ID:JJfPd0xs
- 実家の両親に彼が私との結婚を申し込みをしに挨拶をしに来た。
会話は和やかで結婚の話にも触れていたし、
両親も私と彼の結婚を祝福してくれていたが、彼は、
「お嬢さんと結婚させてください!」のようなセリフを言えないでいた。
彼は話を切り出すタイミングを失っている様子だった。
結局、彼は確信の言葉を口にせぬまま宴は終了した。
私は彼を送るために玄関に先に出た。
しばらくして、彼も玄関の方にやってきた。
彼は両親にペコリと頭を下げて私の実家を後にした。
私は彼を近くまで送っていった。すると、彼がポツリと言った。
「お父さん、泣いていたよ・・・。」
私はどうして父が泣いていたのか彼に尋ねた。
「○○ちゃん(私)が、先に玄関に行ったでしょ。その時、俺、お父さんに
『○○ちゃんを幸せにしますから』って言ったんだ。
そうしたら、お父さんは俺の手を握って、薄っすら涙を浮べながら、
『娘を宜しくお願いします』って言ってくれた。」
私はその話を聞いて、目頭が熱くなった。
その後、しばらくして私は彼と結婚した。
たまに実家に帰ると、父は殆どお酒が飲めないのに、
夫と酒を飲みたがった。後で聞いた話だが、
父は親類に以前、「○○は嫁には出さん!」と語っていたらしい。
しかし、父は夫を本当の息子のようにとても可愛がってくれ、
夫をいつも誉めてくれた。
結婚3年目の今年、父が他界した。夫は
「お父さんにロクに親孝行をしてあげれなかったな・・・」と言った。
私も、父に親孝行らしい事を殆どしてあげれなかった。
でも父は、息子と一緒に酒を飲めることが出来て、
もしかしたら幸せだったのかな・・・と思うことが、慰めになっている。
- 907 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/15 02:45 ID:p5+uz+tJ
- ウチはもともと5人家族だった。
私が物心ついたときには、両親と父方の祖母と弟がいた。
今は3人家族。
弟は肢体不自由児だった。
不自由な手足で家の中をあちこち遊びまわり、他人だと何を言ってるかわからない
言葉でいろんなおしゃべりをしながら毎日楽しそうに生きていた。
弟は陽気で明るく素直な性格だったため、いろんな人から愛された。
自分の持ってる障害を自覚することがあまりなかったようだから、卑屈にならず常に楽しいことだけを見て生きてきたのかもしれない。
道ですれ違う人にも誰彼構わず「おじちゃん、おばちゃん」と声をかけ、相手が障害児を見て思わず怯んでいるのに、満面の笑顔で弟は声をかけた。
いつの間にやらみんな、車椅子に座ってる弟と目線を合わせて話をしてくれたりしたものだった。
楽しいことが大好き、賑やかなことが大好き。
そんな弟の性格が悲劇を呼んでしまうことになった。
土曜日の昼下がり、団地の下ではたくさんの子どもが楽しそうに遊びまわってた。
弟はきっとそれを見たかったんだろう。
誰も予測できない事故が起きてしまった。
落下した2階の屋根で鼻血を噴出し、意識がないところへ母が駆けつけ、バスタオルで鼻血を抑えながら救急車の到着を待った。
私は高校生だったのだが、そのときはクラブで帰るのが遅く、学校は事務の関係で土曜日は3時以降電話が繋がらなくなるので、私は普通に家に帰るまで事故のことを知らなかった。
事故の話を聞いて病院に駆けつけたときには、たくさんの機械と管に繋がれて顔半分を紫色にして苦しんでいる弟がいた。
その時の事故がきっかけになって、弟は1年後、植物人間になってしまった。
当時中学生だった弟。学校で先生によく修学旅行の話をしていたそうだ。
弟はディズニーランドに行くことを、心から楽しみにしていたらしい。
家でもよく
「いつディズニーランドに行くの?」
と両親に質問していたと思う。
植物状態になってしまった弟の耳元で「はよ元気になってディズニーランド行こうな」 と弟の担任が涙混じりに声をかけていた。
植物状態になって半年後、弟と同学年の子どもたちは修学旅行に行った。
ディズニーランドにあれだけ行きたがってたのに…、避けられなかった運命だったなら、せめてディズニーランドに行ったあとでもいいじゃないか!
と誰に向かって怒っても仕方ないことで私は泣いて泣きまくった。
私が社会人になった年に弟は亡くなった。
足腰もおぼつかなくなり、少し痴呆がきはじめた祖母が泣きながら弟の遺体に対面した。
「なんでわしゃあ、こんな年になって孫の死に目に合わなあかんのじゃ〜〜ぁ… わしが変わりに先に逝ってやりたかった〜〜〜ぁ…」
と震える声で泣いていた。
小さく縮こまって泣いていた祖母の姿と声が忘れられない。
祖母もその後、痴呆症が酷くなって入院した病院で亡くなった。
うちは5人家族だった。
賑やかだったあの頃はもう帰ってこない。
祖母が死んだあと迎えた犬が、新しい家族となって静かになってしまった我が家を賑やかにしてくれた。
何故か犬は、弟の位置にいる。
そして自然にやってしまってることなのだが。
家族3人が携帯電話を持っているが、3人とも着信音の中に必ずディズニーの音楽がある。
両親はディズニー音楽を、いなくなった弟との繋がりのようにどこか大事にしてるようで
新機種に交換するたび、ディズニー音楽を入れてくれと私に頼んでくる。
弟のことを思い出し、涙を流すことはもうない。
あれだけ一生懸命に生きた弟を、可哀相だと思うことはない。
きっといつまでもディズニー音楽を、着信音に使うことはやめないだろうと思う。
SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright (C) 2002-2005 泣ける2ちゃんねる