思い出してホローリくる家族との思い出 より
- 14 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/10/25 19:50 ID:F/yAwdfr
- 今、病院で実習をしている。
今日初めて入院患者さんのところへ連れて行ってもらった。
患者のおじいさんはベッドの上にあぐらをかいていて、
奥さんらしきおばあさんが傍らにいた。
薬の説明をさせてもらったんだけど、ろくにできなくて
ほとんど先生とその夫婦の話を聞いてるだけだったんだけど
その患者さんの話し方が、去年死んだおじいちゃんに似ていて。
その奥さんも、よくしゃべるところとかが自分のおばあちゃんとかぶって。
なんか、自分のじーちゃんとばーちゃんがしゃべってるみたいで。
病室を出てから、泣きそうになった。
おじいちゃん。
おじいちゃんが病室のベッドの上で言った
「それでもまだ生きる希望があるんだ。」っていう言葉が忘れられなくて
私は病院で働こうって決めたんだよ。
その言葉で、生きたいと願って頑張る人の強さを知って
少しでもそんな人たちの手伝いをしたいと思ったの。
- 15 名前:14 投稿日:02/10/25 19:51 ID:F/yAwdfr
- おじいちゃんのお葬式で、親戚のおじさんから
「おじいちゃんは君たち(兄と私)が大学卒業するまでは
生きていたいって、いつも言ってたんだよ。」って聞かされました。
私たちが成長するのをずっと楽しみにして見守っていてくれたのに
あんなにあんなにかわいがってくれたのに
あんまり優しくしてあげられなくて、ごめんなさい。
かわいい孫じゃなくて、ごめんなさい。
おじいちゃんが死んじゃってから、小さい頃おじいちゃんの自転車の
後ろに乗っけてもらった時に見た景色とか、熱を出した時必ずおでこに
当てられたおじいちゃんのひんやりした手とか
いろいろ思い出して泣きました。
バカな孫です、私は。
おじいちゃんの言葉に影響されて目指した夢を叶えることが
今さらながら私にできる孝行だと思っています。
頑張るから、見ててね。
長文の上、スレ違いな気がする・・・スマソ;
常駐板に帰ります・・・
- 45 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/11/10 23:32 ID:Rrd8yMDe
- 母親と父親が離婚した。
母は働きにでていた。
そしてよく夜,幼い私たちをおきざりにして飲みに出歩いていた
私は夜お母さんがいないのがすごく寂しかった。
飲みにでかけようとすると私と弟がぐずるので、
母は「今から会社にいかなくちゃいけないの」と言った。
幼心に「お母さん大変だな、こんな寒い夜にしごとなんて」
と思い、いつもとはわけが違うので私たちはぐずらなかった。
気持ちよく母を送り出した。
寂しくても、「お母さん仕事やねんから」と弟と耐えた。
けど、どうしても寂しかったので、昨日お母さんに買ってもらったジャンパーを来て、
お母さんに暖かいお茶を差し入れもっていこうと、夜中に思い立った。
私7歳弟5歳。
お茶を用意するあいだ、ほくほくと幸せだった。
寒い思いをして、記憶をたどってお母さんの働いているとある店舗についた。
シャッターがしまっていた。
だまされたのだと知った。
泣きながら弟と一緒に帰った。
次の日それを母につげると
「そんな疑うような確かめるようないやらしいことして!!最低やな!!」
ときつくにらまれた。
私はただお母さんに会いたかっただけなのに。
- 306 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/08/21(火) 07:54
- 2年前に亡くなった父は営業職30年のベテランでした。
さすがに喋りがうまくて、ともかく人をそらさない。
どんな話題でも話を膨らませるし、笑いのツボもおさえてるし、
我が父ながら素人にしておくのが惜しいと思うくらいでした。
一方僕は、小さな頃から無口で、これが親子かと疑うほど口下手。
そんな僕が去年就職して、不運にも営業職に回されました。
毎日が苦痛で苦痛でたまらなかったのですが、
先日帰省したおり、実家の母から
「仕事毎日大変やろ?お父さんも勤めだした頃は、
毎日くたくたになって帰ってきた。他人と喋るのが苦手な人やったから」
と、父の意外な側面を聞くことが出来ました。
口から生まれたかのような父にも人知れぬ努力があったのだと知り、
仕事辞めようかと悩んでいたのですが、もう少し頑張ってみようという気になれました。
ありがとう、お父さん。
- 312 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/08/22(水) 10:33
- 何年か前の年末、いつもは手をつけない押入れの大掃除をした母が、
「こんなの出てきたのよ」って防災用リュックを持ってきた。
母自身もいつ用意したものだか忘れているくらいの代物だそうで、
何が入っているのか全然わからなかったらしい。
非常用として封筒に入れてあったお金(なんと10万円分!)は、
まだお札が聖徳太子と伊藤博文だったし、缶詰類もところどころサビていた。
「でね、これみて!」って母が笑いながら差し出した白い布は、
動物かなにかのバックプリントの入った児童用のパンツだった。
私はもう20代半ばだったのに。
ひとしきり笑った後部屋に帰ってから、何かホロリとした。
15年以上放置されていたそのリュックから出てきた、
乾パンの缶詰のサビがうつったパンツを見て、親の愛を感じた。
- 319 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/08/24(金) 03:12
- 母に毛糸の帽子を編んだ。変な形になって、母はいらないと笑った。
中学生だった私は結構がっくりきてしまった。ちょうど遊びに
来ていた祖父が来て、俺がもらうよ、と言って持って帰った。
その祖父は私が高校生のときなくなった。
49日がすぎて祖母が祖父の品物を片付けているときに、私の
編んだ帽子を取り出していった。
「じいちゃん、孫に編んでもらった帽子だって行って、
ゲートボールするときかぶっていってみんなに自慢してたのよ」
じいちゃん、お小遣い貰うばっかりでなんにもしてあげなかった。
今、生きていてくれたらどんな帽子でも買ってあげるのに。
- 339 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/08/31 17:07 ID:/Zw0XanQ
- 大学の時、私は実家を離れて一人暮らしをしていました。
一人暮らしに慣れて、なかなか実家に帰らずじまいでした。
ある日、まだ講義を受けている時間に、電話がかかってきて、
「今、アンタの下宿先にきてるから、はやくかえっておいで。」と言いました。
私はちょうどそのころ、男に二股かけられ、あげくの果てに、授業もいそがしく、
友達には裏切られ、精神的にまいっていて、イライラしていました。
私は母に、
「どうして連絡ナシに、急にくるの?!私だって予定があるのに!
もう、かえって!!」と、言ってしまった。
家に帰ると、机の上に母が実家から作ってきたお弁当とおこずかいと手紙。
「暖めて食べなさい。体に気をつけて頑張るんですよ。何があってもお母さんは
あなたの味方です。母」
私に、何かがおこったというのを、多分感ずいたのでしょう。
その手紙と、手作りのお弁当を見て、大泣きしていました。
あとから弟から聴いた話では、母は目を真っ赤にしてかえってきたそうです。
そんな私も、卒業して、地元に就職。
ケンカも未だにするし、八つ当たりもしちゃうけど、
お母さんの子で、良かった。
いつか親孝行できるようにがんばるね。
- 358 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/09/03 02:27 ID:ez6nhyJs
- 死ぬ程学校へ行きたくなくて、家出を試みた。
地元の小さな駅でベンチに座り、始発を待っていたら
そこへ父が現れ、強制的に家へ連れ戻された。
家へ帰るまでの車中、父はずっと無言だったが、
家に着いたとたんに私に向かい泣きながらこう言った。
「俺は、お前がいなくなったらどうすればいいんだ」と。
普段絶対に泣いたりする事のない父の涙にびっくりした反面、
私の為に泣いてくれた父の愛情が嬉しかった。
お父さん。あの時は私を見つけてくれて、ありがとう。
- 398 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/09/08 15:41 ID:Xkg2KHD2
- 私が中学生だった頃、父に連れられて親戚のおばちゃんの家に行った。
おばちゃんは若い頃結婚に失敗し、弟は戦争で死に、姉(父の母親)は先月肺ガンで
死んだばかりでアパートで一人暮しをしていた。
私が来た事をすごく喜んでくれて、お餅をいっぱい焼いて昔のお金をくれた。
でも正直、ごちそうとお小遣いを期待していたわたしはガッカリした。
おばちゃんの家のテレビが無くなっていることに気付いた父が「どうしたの?」と
尋ねると「お水をこぼしちゃって修理に出してるの」と笑って答てたのをよく覚えてる。
その夜、おばちゃんは倒れて帰らぬ人となった。
お通夜の時、「おばちゃんは貧乏だったからお餅と古いお金しかお前にやれなかったんだよ」と聞かされた。
後日テレビも質に入れていたことがわかった。
どうしてあの時、家にあるテレビをすぐに持って行ってやらなかったんだろうと父も後悔している。
おばちゃん、あのときはまだ子供で、がっかりしてゴメンね。
今なら週一回でもアパートを訪ねて寂しい思いをさせなかったのにね。
経済的にも援助できたのにね。
- 408 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/09/09 01:39 ID:HIdn7A7w
- >390と同じような事があった。
お腹の中でこどもが死んでしまって、掻爬しなければならなかった時。
私と全く同じ状態の人と2人で同じ日に入院した。
手術の前の晩に、子宮口を開く為の処置をすることになって
覚悟は決めていたつもりだったのに、いざ処置してみたら
精神的に追いつかなくなってしまい
痛みと、口では説明できない大きなショックで
自分のベッドに戻るなり声を出して泣いてしまった。
相部屋で、他にも切迫流産の人とかも入院していたし我慢しなくちゃと思っているのに
でも口に手を当ててこらえてもこらえても嗚咽が止まらなくてどうしようもなかった。
ふと気付くとカーテンの隙間から一緒に入院した彼女が私を呼んでいて
「痛む?大丈夫?あまりひどいようだったら痛み止めもらった方がいいよ。」
とやさしく声をかけてくれた。彼女は私よりも痛みがひどかったようで、
看護婦さんが痛み止めを持ってくるのに間に合わずにトイレで吐いていた。
手術が終わり退院して何日か後の診察日。
待合室で彼女と会った。あの日泣いていた私のことを心配していてくれた。
彼女は今までなかなか妊娠しなくて不妊治療を受けていたそうだ。
「でも今回で妊娠できるってわかっただけよかった。あなたは私より若いんだから
また、頑張って。元気でね」
と言って帰っていった。
あれから4年が経って、私も2歳の子供がいます。
久しぶりに彼女の事を思い出して泣いてしまった。どうもありがとう。
長文失礼しました。
- 409 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/09/09 01:42 ID:HIdn7A7w
- 私も家族の話じゃなかった・・・。しかも長文、今すぐ回線切って(略
- 410 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/09/09 09:24 ID:nV6LBD2Q
- >409
今すぐ回線切って子供にほおずりする事。
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