No.447 【さて】育児板・泣いた話 part2【ほんのり】 より
- 225 :名無しの心子知らず :03/03/11 06:31 ID:ZRoe7UQj
- 昨日、第二子である男の子が帝王切開で生まれた。
しかし、取り上げた直後から呼吸が浅く、肌の色も悪い。
産科、小児科の先生が新生児室の前で、大声で議論している。
すぐさま状況説明がされたが、陥没呼吸で危険な状態だという。
確かにレントゲン写真に肺の形が写っていない。
おまけに、そこの医療設備では、手の施しようもなく、
近くの大学病院のNICUに緊急搬送するという。
(後に一過性多呼吸と判明)
誕生後20分という、緊急状態だった。
帝王切開で朦朧としているヨメを横目にしながら、
着の身着のまま救急車に飛び乗った。
早く着いてくれ、と心の中で懇願しつつも、かなりの渋滞。
ほとんどの車が道をあけてくれるのだが、
昼時の幹線道路は、やはり交通量がすごく、
救急車はノロノロと進んでいく。
しかも、左前方の一台のミニバンが路肩に移動してくれず、
そのおかげで救急車はほとんど停止状態になった。
- 226 :名無しの心子知らず :03/03/11 06:36 ID:ZRoe7UQj
- すると、救急隊の隊員さんが顔色を変え、メガホンに鬼気迫る大声で、
「前のミニバンの方! 生まれたての赤ちゃんが乗ってます!
車を寄せてください! お願いします! 時間がないんです!」
思わず目頭が熱くなり、涙がこぼれ落ちた。
こんな時に、男がだらしないと思いながらも。
ありがとう、ありがとうと心の中で繰り返した。
ちなみに現在、母子ともに安定しています。
搬送後「お大事にしてください。子供は宝です」
とだけ言って、足早に帰路につかれた救急隊の皆様。
緊急時でバタバタしていたため、名前すら覚えていませんが、
あなた達は医師と同じくらいの命の恩人です。
心からお礼を言わせてください。
- 92 名前:名無しの心子知らず 投稿日:03/01/26 23:44 ID:n9OQ//C1
- もうすぐ5歳になる長男が産まれた朝、病院では深夜から
妻の父、私、私の母と妹の4人がその時を今か今かと待っていた。
産声が聞こえ、初めて対面する我が子が分娩室から出てきた。
他人事のようにしか感じられず、実感がない。
私が1つのことだけを考えていた。
私は3歳の時に交通事故で右脚を失って義足を使用している。
それでも、非常に幸運なことに、それなりの職に就き、皆に祝福される結婚をした。することができた。
日常生活にもさほど不自由はしていない。つもりだ。
私は先天的であれ、障害の有無は1/2の確率だと思っている。
「有る」か「無い」かの2つに1つだと。
我が子はどうなのか。五体満足なのか。処置されながら、時折しか見えない我が子の体を食い入るように見つめる。
手足の指の数や、目鼻口などのパーツが揃っていることを視認。
第一段階をクリアしただけで、もうどうでもよくなった。
「いらっしゃい。よくきたね。これから楽しいことばっかりだよ」
心の中でそう思って小躍りした。
だが、よくよく見ると、右脚が明後日の方向を向いている。
皆もそれに気づいているようだが、誰も口にしない。
私だけが疑心暗鬼でそう見えているだけかもしれない。
「あの脚、ちゃんと立てるのかな?」私は口に出して皆に確認した。
- 93 名前:名無しの心子知らず 投稿日:03/01/26 23:46 ID:n9OQ//C1
- 母の顔が青ざめている。
母は私が産まれたときに、まず手足の指の数を数えたという。
船乗りでいつも不在の父の分まで頑張って私を育てた母。
私は母を安心させることのできる、自立した障害者になりたかった。
長男の誕生で、更にその理想に近づけると思っていたのに。
しかも私と同じ右脚。タチの悪いジョークのようだった。
おそるおそる医者に尋ねてみると、
「内反脚ですね、今はなんとも云えませんが..etc」と言われた。
このことを妻に伝えると、ひどく動揺した様子だったが、
「大丈夫だよ。医療も進歩してるし、新生児だし」と妻や家族を励まし、
帰って寝ることにした。
病院を出ると、外は肌寒く朝日が昇りつつあった。
ああは云ったものの、頭の中はそのことでいっぱいいっぱい。
車を走らせて、最初の信号停車で
「まぁ、最悪切断して義足だっていいじゃん。」と思ったら、
自分の中で全てが解決して、うれしくて涙が出た。
生涯で唯一障害者でよかったと思えた瞬間でした。
息子よありがとう。
長男は手術することもなく、当初の矯正だけで今に至っています。
- 680 :名無しの心子知らず :03/10/10 16:28 ID:AOhtY5ZE
- 二度の流産を経験している母親は三人目の俺を何とか薬で止めてやっとの思いで出産した。昭和51年のことだ。
たまのように育てられたらしく、祖母や親戚の話によると紙おむつではなく布製の高級品でおならをしただけで、オムツを取り替えていたとか。
しかし元々病弱だった俺は一歳半の頃 風邪をこじらせ肺炎になった。
町医者では話にならなかったようで隣町の総合病院を紹介してもらった。
一通り診察をしてもらい告げられた結果が「ダメな確率70%」だったそうだ。
父も母も目の前が真っ暗になったと後年はなしている。
実家にはいまだに当時の病室での写真やビデオが沢山残っていて
自分の最古の記憶以前の映像資料を垣間見ることが出来た。
両手両足にかわるがわるに点滴をされ副作用で顔がぷっくり腫れ上がっている俺自身がいた。
この年になってもあの映像は痛々しかった。
- 681 :名無しの心子知らず :03/10/10 16:29 ID:AOhtY5ZE
- 当時まだ50代だった祖母は本当にどうやったら俺を目に入れられるか
本気で悩んでいたくらい溺愛してくれたそうだ。
そのほかでもない祖母が病院に駆けつけて来たらしく事の顛末を聞き冗談抜きで気絶したとか。
状況は予断を許さなかったらしい。
かなり重度の肺炎で片肺が駄目になってしまった。
よく耐えたなと自分でも思うが、俺の胸にはでかい手術痕があり肺は一つしかない。
俺は神は信じない。
だが今の俺があるのは、あの時祖母が真冬の2月、身も凍るような寒空の下、
神社でお百度参りをして 本気で
「私の命はいらない。だから孫を助けてください」
一往複ごとに刺さるような冷たい水をかぶり神に祈ってくれたからだと思う。
そんな祖母も今年で80歳の大代。ばぁちゃん本当にありがとう。
おかげさまで結婚もして二人の子供に恵まれて
今ある幸せは全て貴方のおかげです。
「ひ孫の次は玄孫の顔も見るぞ!!」
皺だらけの顔をクチャクチャにしていっています。
- 612 :名無しの心子知らず :03/09/04 23:58 ID:XlgyJP3p
- 6歳の息子と話をしてたら
「僕は生まれる前にお空から母さんをずっと見てたんだよ。
それで母さんが僕を呼んでくれたから お腹に入ったの」って。
ソレを聞いて泣きそうになった。
しかしその後一言・・・
「お空で見てたとき母さんにシッコかけてやった」
SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright (C) 2002-2005 泣ける2ちゃんねる