No.199 やさしかったお婆ちゃんへ より
- 50 名前:49 投稿日:02/08/09 20:35 ID:5R4QExzR
- おばあちゃんの記憶で一番はっきり思い出せるのは、
遊園地に行ったときのこと。
20年近く前は姉・兄・私の三人を連れてってくれたけど、
姉が自分の友達と遊ぶようになってからは兄と私だけになり、
最後は私だけがおばあちゃんと遊園地に行った。
小さいけれど眩しかった遊園地で、めいいっぱい遊んだ。
乗物券が無くななると、遠慮容赦なくおばあちゃんに
お金を貰いに行った。
手を出す私におばあちゃんは気前よく小銭をくれた。
「私はあそびまくってるから楽しいけど、ずっと
ベンチに座ってるおばあちゃんは楽しいのかな?」
と子供心に不思議だった。
陽あたりの良いベンチで膝をニコニコ微笑む
おばあちゃんの顔を思い出すたびに、泣けてくる。
こんどあらかわ遊園地に行ったら泣くかも知れない。
もうおばあちゃんとの新しい思い出は作れない。
毎年お年始の挨拶の帰りに「おばあちゃんまたね」
って言ってたけど、それももう言えない。
そう考えると、とても悲しいです。
- 53 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/08/10 02:10 ID:Dd3cMj9k
- もう亡くなってから7年くらいたつけど、今でも亡くなったなんて思えない...。
実家に帰れば「おかえり」って迎えてくれるような気がする。
母とは折り合いが悪かったと私はずっと思っていたのに、
遺品の日記には母の悪口なんて一言もなかった。
むしろ母を応援するようなことが書かれていた。
今まで母の涙は見たことがなかったけど、
その時ばかりは泣き崩れた。
そして母は泣きながら祖母に謝罪していた。
大好きだよ、おばあちゃん。
貴女のように年をとりたいと、心から思う。
結婚して幸せな人が書き込むスレ より
- 486 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/03/29 16:43
- うちの舅姑なんですが、とても仲良しだった。
舅は酒好きで、しょっちゅう酔っ払っては、
「今度生まれても、おかーちゃんと一緒になりたい」が口癖だったのね。
姑は、
「こんな酔っぱらいはこりごりだわ〜」って言いながら笑ってた。
で、舅は60代で亡くなったんだけど、舅の遺体を棺に納めたときに、
姑が遺体に頬をつけて、
「また、一緒になろうね。ありがと」って囁いてた。
私もダンナと仲良しだけど、義両親みたいになれたらいいなと思ってるよ。
- 808 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/04/05 21:47
- 両親は、良い子なので大事にしてくれた。
学校の先生は、勉強のよくできる良い生徒なのでかわいがってくれた。
会社では、仕事ができるからといって上司や周りが取り立ててくれる。
周囲の人々はみな、自分に何かを求めて、その成果を認めてくれていた。
だが、自分の連れ合いは、自分に何も求めず、ただ愛してくれている。
自分は、結婚して幸せになった。
- 932 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/04/09 15:49
- 486とかぶっちゃうけど、私の祖父母もそんな感じだった。
祖父が亡くなる時、最期癌の痛みでもだえながらも
歯を食いしばってる祖父を見て周りに居た親戚一同は
「おじいちゃんがんばって、死なないで」と言ってみんなで
声を張り上げていたが、祖母は祖父の手を握って一言、
「おじいさん、もういいよ。あたしは幸せだったよ。
ありがとう。ありがとう。」って言ったら
意識も朦朧としてたはずの祖父がうっすら目をあけて
手を握ったまま小さくうなづいてそのまま他界した。
愛だと思った。
● 大人になってから知った家族の秘密 2 ● より
- 12 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/09/10 18:14
- 大好きな叔父が養子だったこと。
その叔父の出生の秘密は、昔工場で働いていた女工が
工場に手篭めにされて妊娠、そして叔父を出産、
里子にだした後、その女工さんは結婚をしたそうです。
私の祖父母に叔父は何の縁があったのか引き取られて
回りからは「祖父の愛人の子?」と言われながらも
手塩にかけてそだてたようです。
父や叔母も当時はもう高校生だったこともあり
ベビーシッターをしていたとか父は部活に連れて行ってたようです。
叔父が就職時?のための健康診断で自分だけ血液型が違うことに気づき
祖母に告げたところ、「医者へ行ってもう一度調べてもらって来なさい!!!」と
祖母は一喝したそうです。でもね、やっぱりその時でわかっちゃったらしい。
私たちが生まれて、従兄弟9人全員が叔父のことが大好きでした。
その叔父が28歳の時に急に勤務先(大阪)から実家に戻ってきた。
なんと末期がんだったとのこと。それから2ヵ月後に他界しました。
火葬場で親戚一同号泣でした・・・あんなに人が泣いている
のは見たことがないです。
- 13 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/09/10 18:15
- (続き・・・)
叔父がもう危ないと言われたときに、父が「生みの母親」の
親戚にそのことを告げに言ったそうです。
もと女工である「生みの母親」は、再婚後に子供にめぐまれ
叔父と年のかわらぬ子供ができ、
どこかの裕福な家庭の奥さんになっていたらしい。
お見舞い・通夜・火葬場・葬式、
どれにも生みの親は来ませんでした。
親戚の方が変わりに来て焼香してくれたのみ。
がん末期のベッドで最後に一度でいいから会いたいって
叔父は言ってたらしいです。
もう、30年も前の出来事ですが、今でも叔父の死の時を思うと
悲しくって・・・・
家庭版 ★泣いた話★ より
- 58 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/09/30 10:21
- 子供の一番のお友達が脳腫瘍でなくなった。
それが我が家が転勤で引越しする前日の3月末こと。
引越しの荷物に囲まれて子供と二人で泣いたよ・・・
まだ小学1年生だったのにさ・・・
その子が2学期に植えたチューリップ、
うちの子が代わりにみずやって育ててたんだけど
誰のよりもよく育って、終了式の日には一番に花を咲かせてた。
それを先生が終了式の後にお見舞いに
病院に持っていったときはもう意識がなくって・・・
お葬式にはいけないからと思って子供と二人で最後にお宅に伺ったときは
枕元にも急ごしらえの祭壇にもチューリップがいっぱいになってた。
私たちもチューリップの花束を持っていって
お母さんがその子に抱かせるようにしてくれて
「このお花は○○(亡くなった子)が抱いていくからね」といってくれた。
今でも思い出すと泣けてくるよ・・・
- 65 名前:名無しさん@HOME 投稿日:02/09/30 11:52
- 義父はとてもいい人で、私は実父と同じくらい頼りにして
誇りにしてきました。
その義父が去年暮れに白血病、余命一年の宣告を受けた。
楽観的な義父は「まあ一年って言っても年寄りだし、3年はいけるさ」
なんていって、次のお正月にはみんなで冥土の土産にハワイに行こう!
なんて冗談めかして言っていました。
それがだんだんと病状が進んでGWには衰弱がひどくなってきて
入退院を繰り返すようになりました。
6月のはじめの土曜日、ちょっとはなれたところにすんでいるので
週末にしかお見舞いにいけない私たちだったのですが
義母や主人がちょっと席を外れたとき、義父が私を枕元に呼びで
「○○これ・・・もういけそうにないから・・・ありがとうね。」
と封筒を渡してくれました。
中にはドル札が・・・
義父は自分はいけないかもしれないと思っていたんだと思います。
でも、もしやの回復を信じて自分の足で銀行に行って
ドルに替えてきて・・・
それを私に託してくれたんだと思うのです。
それから3日後、義父は亡くなりました。
封筒の中には、お金と一緒に義父の字で
「子供たちを、よろしく頼みます、長女の結婚式までは生きていたかったです」
と書いてありました。
残されたこのお金は長女の結婚式まで大切に残しておきたいと思っています。
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