No.430 二度と会えない友達 より
- 468 :大人になった名無しさん :2005/07/17(日) 19:49:51
- 幼稚園の年中のとき、園内で一つ上の子と派手にぶつかった。
それからその子と幼稚園で会うと、二人して
「あの時の!」
「あの時の!」
と指を指しながら笑いあった。
何かの漫画みたいに思えて楽しかった。
それから少ししてその子は卒園してしまった。
帰る時のバスの中からその子が見えた。
下に弟か妹がいるらしく、母親と迎えに来ていた。
「こっちに気づくかな〜」とわくわくしていたけど、結局気づかなかった。
それから、バスの道順が変わってしまい、私の乗るバスはその子の住んでいるの方向には行かなくなってしまった。
もう名前も、顔も、何を話したかも覚えていないけれど、もしもう一度巡り合えたなら、二人でもう一度、
「あの時の!」って言って笑い合いたいと思う。
幼稚園時代の私が唯一友達だと思えたあの子と。
- 402 :大人になった名無しさん :2005/03/27(日) 19:48:27
- 物心つく前から、親は「友達なんか要らない」とずっと俺に教えてきた。
事実2人ともそういう付き合いのある人間は皆無だった。
親戚付き合いさえしない。祖父母にも会った事がなかった。
大学の時に父が死んだ。葬式の列席者は母と俺だけ。
(あれは葬式なんてものじゃなく単なる手続きだった)
だが涙を母に見られたくなくて、一人で会場の外に出たら、一人の老人がいた。
話しかけてきたその爺さんが俺の「祖父」だった。
俺の頭を撫でながらひたすら、ただひたすら
「息子(俺の父)の育て方を間違えた」
と謝っていた。
母には内緒だが、未だに連絡を取り合って爺さんとはたまに酒を飲みに行ったりしてる。
俺の人生で始めての「友達」
- 445 :大人になった名無しさん :2005/06/15(水) 14:25:57
- 最近小学校の集合写真をひっぱりだして眺めていたのだが
(小3の時に転校して、その前の学校のもの)
前列にいた色の白い奇麗な顔立ちの子が目に入った
ふとそこから一つの記憶を手繰り寄せた
あまりにも懐かしかったから
もともと少し体の弱い子だったのだが
俺が小3で転校してから数年後の小5の時、
前にいたその学校の運動会に遊びに行ったときのことだ
ふいに友達から例のその子の死をしらされた
夏休みを待たずに肺の病気であっけなく逝ったそうだ
特に仲のいい奴ではなかったのだが
いつもプールサイドや運動場の片隅で寂しそうな目をして
休んでいた光景が脳裏をよぎった
友達が全くいなかったわけではないのだが
みんなにとってとてもデリケートな存在、特に目立つわけではないのだが
いつもみんなどこかしらその子の事を気にかけていた
泣きはしなかったがしばらくはその子の事で頭がいっぱいだった
そんでまた、こうして夏がくるんだなぁと今しみじみ思った
- 493 :大人になった名無しさん :2005/08/09(火) 06:09:10
- 三歳ぐらいの時から、毎日のように遊んでくれた1コ上の兄ちゃんがいた。
成績優秀でスポーツ万能。しかも超優しい。
一人っ子の俺にとって、ほんとに兄ちゃんみたいな存在だった。
小4の時、真冬にサッカーしてて
林に入ったボールを取って戻ってきたら兄ちゃんが倒れてた。
慌てて抱き起こしたら吐いちゃって
その時は風邪ひいてるって言われてバイバイした。
しばらくして入院したって聞いて、病名も知らないのにお見舞いに行った。
退院できたけど学校には滅多に来なくなった。
外で遊んじゃいけないらしいんで、毎週土日は兄ちゃん家にくにおくんをやりに行った。
よく兄ちゃんのママンから「来てくれてありがとうね」って言われて
近所のオバチャンからは「○○君と遊んでるなんて偉いわね」って言われた。
言葉の意味が俺にはさっぱり分からなかった。
(はぁ?友達なんだから当たり前の事じゃないの?)
純粋にそう思えるぐらいバカなガキだった。
しばらくしたら絶対良くなって、また外で遊べるって思ってた。
親にも兄ちゃんのママンにも、そのうち良くなるって言われたし。
- 494 :大人になった名無しさん :2005/08/09(火) 06:27:55
- ある日、やけに兄ちゃん宅に抜け毛が多いなって事に気付いた。
身長も俺のほうが上になったし、外に出ないから肌真っ白だし、腕も超細いし。
その事を親に話したら、脳腫瘍っていう難しい病気なんだよって初めて聞かされた。
兄ちゃんがあんまり長くないって事、なんとなく分かった。
それから急に顔合わせるのが辛くなった。
遊びに行く機会が段々減っていって、最後は全く遊ばなくなった。
しばらくして、晩飯の時間のニュースで
「病気と闘う中学生」みたいな感じの特集に兄ちゃんが出てた。
見るのが嫌になってチャンネル変えた。親に思いっきりビンタされた。
結局会う事になったのは2年ぶり、兄ちゃんが棺の中に入った時だった。
兄ちゃんのママンから「何か言ってあげて」って、凄い優しい声で言われた。
俺が遊びに行かなくなってから、どんな気持ちで毎日家の中で過ごしてたんだろうって
そう考えたら胸が張り裂けそうになって、何も言葉にする事ができなかった。
結局自分の事しか考えて無かった。もっと沢山会ってあげればよかった。
本当にごめんね。謝っても謝り切れないけど
あれからは身近な人を、いつでも大切にしようって思えるようになったんだ。
今年も線香あげに行くよ。
- 487 :大人になった名無しさん :2005/08/01(月) 16:36:21
- 先週、親友が死にました。
小学時代は、俺も彼も裕福とはいえない家庭だったので
ファミコンも家に無く、平日は学童保育所に預けられていた。
鉄ゴマの技を競ったり、模様が剥がれて砂色になった
サッカーボールを蹴ったりして終日あそんでいた。
学校でミニ四駆が流行ったときも、2人とも本体は持ってたけど
カスタムパーツを買うこともできず、
ダンボールで組み立てたコースや滑り台走らせてたっけ。
中学時代、俺はタバコやらカツアゲやらが横行する学校についていけず不登校になった。
新聞配達をしてお金を貰えるようになり、スト2と読書に没頭した。引きこもりだ。
彼はサッカー部で頑張って部長になり、県大会出場までチームを引っ張っていってた。
それでも彼は暇が出来ては遊びに来てくれ、その時だけは俺も外で遊んだ。
高校は、俺は業者テストの偏差値さえあれば単願受験できる私学になんとか合格し
彼はスポーツ推薦で市立に入った。
高校を卒業し、彼は福祉の仕事がしたいとろうあ教育の教員になるべく北海道の大学へ進学した。
しかし在学中に父を亡くし、一人になってしまった母のためにやむなく中退して、彼は戻ってきた。
そして彼は、昼は俺と彼が通っていた学童保育所(児童館になっていたが)で
ほぼボランティアのような給料で働き、夜はガソリンスタンドで遅くまでバイトしていた。
そして夏休みに入ったばかりの先週、学童のキャンプで川に流され、帰らぬ人となりました。
急遽戻ってきた児童たちは全員泣いてました。
半ば呆然とするなか、俺にすごい良くしてくれたおばさんのためにも葬儀の手伝いをする中
俺の母が、1枚のはがきをもってきました。
2005.夏 長瀞にてー
彼がキャンプから俺に宛てた絵はがきだった。
「涼しくてサイコー」
彼が俺にくれた最後のメッセージ
- 374 :大人になった名無しさん :05/03/17 01:48:02
- 時々ふと思うんだが、自分も相手も生きているかぎりは再会できる可能性は無限大だ。
だけど、たとえクラス全員・・学年全員が今集まったとしても、もう二度とあの時は戻らないんだよなぁと。
どんなに中1の林間学校が楽しかったとしても
どんなに中2の体育祭が印象に残ってるとしても
どんなに中3の修学旅行にもう一度参加したいと思っても
どれだけ人が集まって条件が揃ったとしても
もう過ぎた時間は戻せない。
そう考えたら、二度と会えない友達がいたとしても、自分の心の中でずっと生きていればそれでいいんじゃないかと思う。
SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright (C) 2002-2005 泣ける2ちゃんねる