No.421 子供の頃、家が貧乏でトラウマとなった人 パート3 より
- 22 :大人の名無しさん :03/09/25 18:49 ID:kZYW1xyi
- ちょうど高校に入学した頃に、親が多額の借金を背負い込んでしまい、
学費どころか毎日の飯の心配までしなければならなくなった。
幸か不幸かバイト先で知り合った未亡人に見初められ、
就職するまでツバメまがいのようなことをして面倒を見てもらった。
まともな人の道を踏み外してしまった事、
親を恨もうにも、もっと大変な目をしてる親を恨めず、
情けなさと心苦しさで何度も泣きそうになった。
でも本当に辛かったのは、割り切ってツバメをしていたはずなのに
相手を本当に好きになってしまって、再婚を機に別れを切り出されたときだった。
でもそれは自分の立場を考えると拒否もできず、
自分の中でも決着をつけるために、お世話になった期間に与えてもらった
お金を就職してから数年かけて集め、きっちりと彼女に返した。
- 96 :大人の名無しさん :03/11/22 16:34 ID:AbKKhyYS
- 母親が小6の時に男と失踪。父は飲んだくれて働かなくなった。
父はあちこちで飲み歩き そのうち1週間に1度しか帰ってこなくなった。
そんな時、私は初潮を迎えた。ナプキンがいる。でもお金がない。
小さな商店のおばあちゃんの目を盗み、ナプキンを抱えて走って逃げた。
初めての万引きだった。
情けなくて、怖くて、おばあちゃんに悪くて、自己嫌悪に陥った。
父は相変わらずお金を入れてくれない。電気がまず止められた。
中学に入ると友達になった子の家の製麺所でバイトを始めた。
自給300円、2時間、週2日。そのうちガスも止められた。
水道だけは止められなかった。冬でも水で身体と髪を洗った。
ガスも電気も無くてもまだましと思えたほど
辛かったのは給食費が払えない事だった。
給食費を集める日、男の子から「お前だけなんでいつも払わんのか?貧乏?」
そう言われてもう学校へ行かなくなった。好きだった男の子も笑ってたから。
何も良い事がなかった中学時代。中学出るとすぐに田舎を離れた。
17年経っても帰りたくないや。。
- 180 :大人の名無しさん :03/12/16 22:54 ID:XCvp/rmD
- 中学の時、太ももが肉離れで1.5倍くらいの太さになって激痛で動けなくなった
事があったんだけど、両親は(母はママ母)
「何でそんなケガして帰ってくるんだ!」
と怒なるばかりで病院に連れて行こうともしなかった。
床にまっすぐ体を倒して寝ると痛みが激しいので、半身おこして上半身柱に縛って何とか寝ました
(親は見て見ぬふり)。
明くる朝、こずかいはおろか生活に最低限必要な下着等も満足に買ってもらってなかった俺には日課の新聞配達が待っていた。
出来そうも無いので、父親に車で運んでもらうよう頼んだ所
「朝早くからウルセ〜ナ!」の一言。
結局一人でチャリで運び、学校へ行ったのですが昼ごろ痛みが限界に達し、病院に行くと内出血が固まりかけていたとの事で緊急手術。
手術終わった後、病室で両親が金が掛かるだなんだとグチグチほざいてました。
幼い頃からそんな事がいくつあったでしょうか、あれから19年、33歳に私もなり、結婚もして子供も居て幸せなはずなんだけど、心の埋まらない隙間を今も実感してやりきれないことがあります。
- 280 :大人の名無しさん :04/02/21 15:31 ID:iG9yLgGm
- 俺んちもガキの頃、貧乏だった。
おもちゃなんて買ってもらった記憶すらない。
小遣いだってもらったことがない。
でも、食うものはなぜかたくさんあった。
それは近所の人が(じいさん、ばあさん)が自分で作ったナスやらトマトやらスイカやら、それはもう桁外れの量をくれるんだ。
理由はその頃は知らなかった・・・
うちは農地解放前までは陸軍に飛行場を提供したくらいの大地主で、うちのじいさんは小作人の面倒見がよく近所では結構したわれてたらしい。
当時にしては、珍しく、自家用車もあったらしい。
ある日、小作人の子供がひどく熱を出した。
それを聞いたじいさんは子供を車に乗せ進駐軍の医療施設へ運び、日本の金など受け取らなかったアメリカ人に大事にしていた明治の20円金貨を渡し治療を受けさせたと、ばあさんが言ってた。
その後、農地解放で土地を手放すことになったのだが、それでも何町歩もの田畑はあった。
2代目のオヤジが保証人の判さえ押せなければ・・・・
- 281 :大人の名無しさん :04/02/21 15:44 ID:iG9yLgGm
- 続き。
オヤジは子供の頃から贅沢に育ち働くことを知らず田畑を切り売りして生活していたが昭和40年くらいに当時で2億円の保証人になってすべてをなくした。
その頃、住んでた家はばあさんの実家が家だけはと買い戻してくれてなんとか生活できた
そう言えば、こんな話がある。
子供の頃、近所の家の敷地に入ってクワガタを獲っていて花壇を踏み荒らしたんだ。
そこの若嫁さんが俺を捕まえてうちに怒鳴り込んできた。
ばあさんと二人で謝りに行ったらそこの曾婆さんが出てきて逆にひれ伏すように謝るんだ。
そこの子供は勉強が良く出来たんだが金がなく学校へ行けないのを聞き、うちのじいさんがだれにも言わず金を出して学校へ行かせてたんだって。
のちに、金を返しに来たんだが絶対受け取らなかったんだって・・・
そんなじいさんのおかげで俺は今でも、近所のジジババには○○様と呼ばれている。
- 322 :大人の名無しさん :04/03/11 13:02 ID:tLJE3M6P
- 13歳のとき両親離婚。。。
給食費も即日支払えるのは稀で1〜2日遅れで収めてた。
欲しい物は有ったが、「買ってくれ」とは言えなかった。
高校はお金の掛かる私学に逝けるわけもなく、公立の中から選択。
大学進学はしないつもりだったが、、、どう工面したのか母が入学金を
用意してくれた。新聞配達 アルバイト 奨学金を使い卒業。。。
漏れが24歳の時に無理が祟ったのか母親他界。
今、3○歳で妻子餅だが、事あることに当時の母の苦労を考え自分を戒めるようにしてる。
命日が来る度に「生きてれば○○歳か・・・」とつぶやいてる自分がいる。
せめて、孫の顔を見せてあげたかった。
- 532 :大人の名無しさん :04/05/07 01:03 ID:kGb/+rTC
- 俺は両親が歳をとってからの子だったから、お袋なんか小学生の時に50歳を過ぎててお婆さんみたいに見えた。
家が貧しくて朝から晩まで働き詰めのお袋だった。
町内会か何かで遠足へ行った時、みんなのお母さんは若々しく見えるのに俺のお袋だけお婆さんみたい・・・
いつだったか友達に
「お母さん来てないの?」
って言われた時、何とも言えない悔しい気持ちになった・・・・・・
それ以来、人前でお袋と一緒にいることが恥ずかしくてお袋の事避けるようになってしまった・・・
本当は「大好きだった」のに・・・
遠足で行った先にゲームコーナーがあって、みんなは「お札」の小遣い貰って遊んでた。
俺はみんなが遊んでるのを見てるだけ・・・
その時お袋が
「あんたも遊んで来なさい」
って「300円」渡してくれた。
「なんでお札じゃないんだ」と思ったけど子供心に「無理してくれたお金なんだ・・・」って感じた。
みんなは次から次へと遊んでたけど、俺はその「300円」が何だか使えなかった・・・・・・
でも結局使ってしまったあと「お袋が無理してくれたお金を無駄に使ってしまった・・・」と凄く悪い気がした・・・
家は貧しかったけどお袋なりに精一杯の贅沢をさせてくれたと思う。
そんなお袋も、もうこの世にはいない・・・・・
結局、最後の最後まで働き詰めだった。
家計を支える為、体調の不調を感じながら仕事してて病院へ行った時には「手遅れ」の状態。
ショックだった・・・
入院中も日に日に弱っていく姿を見るのが怖くて、見舞いもほとんど行かなかった・・・
でも、まだ元気のあった頃、1人で見舞いに行き1時間くらいお袋と喋ったかな・・・
本当に久しぶりにあんなに話をした・・・・・・お袋も嬉しそうだった・・・・
もっと楽させてあげたかったな・・・・・・
- 547 :大人の名無しさん :04/05/09 12:30 ID:SWekyId8
- わたしも女なのに小学生時代何一つまともな新しいもの着ていなかった気がする。
冬になると少し大きめの毛糸のジャンパー着せられていた。
友達はみんな赤やピンクのかわいいポリエステル(かな?)のジャンパー持っていたのに、
わたしは6歳上のお姉ちゃんが着ていた恐ろしくレトロなジャンパーだったの。
襟がものすごく大きくてえび茶色で、ジッパーも下のほうの縫い目が
5センチくらい外れていた。重い割りには暖かくないの。
どうしても友達が着ているようなのが欲しくて、ある日友達3人狭い家に呼んで、ジャンパー姿を見せて
「みんなこんな軽くて暖かいジャンパー着ているんだよ。わたしも欲しいな」って直訴したんだ。
母親は何も言わずにちょっと悲しそうな目をしていた。
何日かたって、学校から帰ってくると
「欲しがっていたジャンパー買ってきたよ」と母の声。
飛び勇んで机の上にあったジャンパーを見ると机の上には山吹色と白のツートンカラーでポリエステルのジャンパーがきちんと畳んでおいてあった。
母親に
「ありがとう。着ていい」と言ったら
「大事にしなさいよ」と言われて早速それを着て外へ遊びにいった。
1枚の洋服でこんなに明るくなれるんだってそのときは思った。
- 548 :547続き :04/05/09 12:45 ID:SWekyId8
- その日はすごく嬉しくて友達に見せて自慢しちゃったりして、ちょっとだぼだぼじゃないの?なんて言われたりして寝るときまで着ていた。
翌日学校にも着ていき、授業中ふと気になって袖口を見ると毛糸のゴム編み部分がほつれて穴が開いているの。
あれ?と思って逆の袖口部分を見ると覚えのないしみがあるのを発見。
よく見ると胸のあたりにもしみがいくつかあった。
授業中にいきなりブルーに。
これは新品じゃなかったんだ!
家で脱いでよく見ると裏面の使用人の名前がマジックで書かれていたよ。
母親はその名前に気が付いていないんだろうなあと思った。
古着だったことがわかり文句言おうと思ったけど、仕事から帰ってきた母親に何もいえなかった。
涙が出てきてそれでも一生懸命どこかからこのジャンパー探してもらってきてくれたんだっていうことだけでもうよかった。
それからわたしは2度と母親に洋服買って欲しいと言わなかった。
そのジャンパーは3年間くらいボロボロになるまで着続けた。
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