PickUp #455  2006.03.11   <- Prev  Home   Next ->


No.455 嗚咽 より

318 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/01 22:55 ID:qSqyuoC0
美術館でバイトをしていた。その日の仕事は地元の公募展の受け付け作業。
いっしょに一人、審査員の先生も同席してくれる。
その時にいてくれたのは、やさしいおじいちゃん、と言う感じの彫刻の先生。

一緒に並んで座っている私が咳をしていると「手を出しなさい」と言う。
不思議そうに手を出すと、服のポケットから出した缶入りの南天のど飴の小さな缶を振って、
私の手のひらに飴を落として「たべなさい」と優しく笑った。

私は風邪気味でその日は何度も咳をし、そのたびに手を出しなさいと言われた。
「大事にしなさい、人間は簡単に死ぬからね」とぽつんと言われ、
「やだー、先生、そんなに簡単に死にませんよー」と笑っていったら
「そうだなぁ、そうだなぁ」と優しく笑った。

半年後、新聞の死亡記事でその先生を見つけた。
その数日後に美術館でバイトをした時その先生の話になった。
癌だった先生は、告知を受けており、私が飴を貰った頃はすでに自分の死期が近い事を知っていたという事だった。

その半年後、某美術展の地方巡回展があり、私は売店のバイトをする事になった。
開会日の前日、会場の売店の整理の合間に作品を見てきてもいいと責任者にいわれて会場を回った。

とても優しく笑っている女の子の彫刻に喪章がついていた。
審査員出品作。
その先生の最後の作品だった。
優しい笑顔がふいに浮かんで、トイレにかけこんで泣いた。

816 名前:大人の名無しさん 投稿日:03/01/21 03:45 ID:LtX4/zV3
中学の時、苛められていた。
学年のヤンキー軍団にターゲットロックオンされていた為、学年の半分以上が敵だった。
残りには無視されたり陰口を叩かれた。

そんな私にも友人が4人いた。
でも彼女達に飛び火するのが怖くて、奴らが近づいたときにはそっと離れたりしていた。

ある日、私はヤンキーの一人に手酷い苛めを受け、不覚にも泣いて逃げ出してしまった。
その後先生に連れ戻されたが、家に着くまで涙が止まらなかった。
自殺しようとマンションの階段から身を乗り出したりしようとしたときもあったが、残される家族や友人達のことを思うと死ねなかった。
私は生きた。

数年後、もう就職もしようかという年になって友人の一人と久しぶりに話し込んだ。
そしてその時、私が泣いたあの日、友人Kちゃんが私が帰った後ヤンキー軍団のいる教室へ直談判をしに行っていた事を知った。
別段ケンカが強いわけでも、格闘技を習ったりしているわけではない普通の女子中学生が
私の為に危険も顧みずに奴らの中に飛び込んでいったそうだ。

初めて知った事実。
家に帰って、机に座ったら涙が溢れて来た。
ありがとう、ありがとう!
中学時代、彼女達がいなかったら今私はここにいない。
改めて彼女達に感謝しながら、その日は声を殺して泣いた。

今はもうバラバラになってしまったけど、彼女達が何か助けを求めてきたらいつでも力になりたいと思う。
そして、何十年経ってでも友達でいてください。
おばあちゃんになってもお茶しよう。

967 :大人の名無しさん :03/02/13 11:18 ID:UoByDRy+
私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、母と暮らしていた。
母は私を育てるため、毎日毎日遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさんあった。
休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。

父兄同伴の遠足や運動会も、
友達みんながお母さんと嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちになった。

私は手のかからない子供だったと思う。
自分の感情を抑えて「会社休んで参観日に来て。」なんて無茶を言ったことなんかなかった。
一人遊びも上手だった。
すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。

968 :大人の名無しさん :03/02/13 11:19 ID:UoByDRy+
小学校3年くらいのことだった。
遠足に行った後、作文を書くように言われた。
「五感」をテーマに書けと言われたんだと思う。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明してくれた。
私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。

遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで歩くわけだが、私は列の一番後ろを歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだがその時、
先生が来て、私と手をつないで歩いてくれた。

いつも先生が手をつなぐのはもっと手のかかる子ばかりで私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙で前がよく見えないまま学校に着いた。

作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと思う。
私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。

友達たちは私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで私に聞いてきたが、
振り切ってトイレに走って行ってまた泣いてしまった。

678 :大人の名無しさん :03/09/07 20:40 ID:6jPyEKof
当事15歳の弟が13階建てのビルから飛び降り他界致しました。
両親の離婚で、就職を余儀なくされ・・きっと愚痴を言いたかった状況の中・・文句もいわず・・

そんな私は今年で33になり・・あれから18年が経とうとしています。

結婚後現在、4歳を迎える直前の娘に恵まれている中・・
昨日夢を見ました。。。

「姉ちゃんが買ってくれたクレアラシル、ありがとうな・・
 いっつも思ってくれてありがとう。。。
 ねえちゃん、身体壊れてるよ・・
 病院に行ってきな・・・」

最近弟の夢も少なくなっていたこの所で・・忠実に病院に行ってみました。
結果、大腸がん。。

先生いわく、後2週間送れれていても微妙だったとの事。
明日、手術ですが、自覚症状が無かった為・・
本当に不思議でもあり、弟に感謝しています。


弟が死んでしまった日・・
「私のお腹に戻ってきなよ!・・」
って毎日呪文のように唱えていましたが今日の出来事を通し・・・

いつも私を、見ていてくれている貴方に・・・

心からありがとう。

872 :大人の名無しさん :04/08/26 22:29 ID:7gbIl0kj
娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。
千の春を迎えられる位長生きして欲しいという願いを込めて名をつけたのに、
あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。
先天性の免疫不全症候群で、生まれてから一度も病室の外に出ることはなかった。

「いつになったらお外へ出れるの?」

悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。
結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。

小さな身体で懸命に、最後まで、生きることを諦めなかった千春。
闘って、闘って、闘い抜いた千春。
とうとう力を使い果たして、眠るように逝った千春。

「よく頑張ったね、えらいぞ、1等賞だ。だからね、もういいからね、おやすみ」

主治医の先生が看取った時に、優しく千春の頭を撫でながらそう言って泣いていた。
私は主人と一緒に泣きながら、そんな先生に何度も何度も頭を下げた。

小さかった千春をもっと小さな一握りの灰と骨にして、海と山に撒きました。
外の世界に焦がれ続けていた千春を、また狭くて暗い墓の下に閉じ込めたくなかったので。

千春、千春、今あなたはどこにいるの?
空? 海? 山? 幸せでいる?
今はまだ、あなたのことを思い出すと涙があふれて止まらないよ。
おかあさんの娘に生まれてくれてありがとうね。
またいつか会おうね。




     

SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright. (C) 2002-2006 泣ける2ちゃんねる