No.348 (⊃д`) せつない想い出 その6 (´・ω・`) より
- 82 :おさかなくわえた名無しさん :04/10/16 06:46:23 ID:FrQBd0CA
- 思い出すと泣けてくるんだが‥
幼稚園の頃、同じ年で
近所にフィリピン人の男の子がいたんだ。
話すのは日本語だったしよく一緒に遊んだ。
その子は入園してなくて不思議で、なんで幼稚園来ないんだ?と何度か聞いた。ニコッとして「僕は行かなくていいんだ」としか言わないんだよな。
今思えば色々事情があったんだろう。近所には他に子供もいなくて、いつも俺が幼稚園から帰るのを外でポツンと待ってる。
たまに知らない奴に、フィリピン人だ〜とかからかわれてた。俺はその度「やめろ〜」って叫んでたけど、何故からかわれるのか意味がわからなかった。
その子の母親は昼も夜も働きづめで、うちの母チャンがご飯食べに呼びなって、よくうちで一緒に飯食ってた。母親が迎えに来た時玄関でいきなり俺を抱きしめて「ありがと、いつも遊んでくれてかばってくれてありがと」って泣いた事があった。
驚いて母チャン見たら母チャンも泣いてる。
もじもじとしてるしかなかった。
小学校に上がる前にどこかへ引っ越してしまったが、引っ越す日に俺が気にいってた車のオモチャをあげて又遊ぼうと言った。転んでもからかわれても泣かなかった奴が初めて泣いた。
俺も大泣きしてしまった。
元気でいるか?
元気でいて欲しい。
- 170 :おさかなくわえた名無しさん :04/11/11 12:02:36 ID:ZOClxOR5
- 昔犬を飼っていた
飼っていたと言っても 飼いたくて飼ったわけではなく
もともと飼っていた親戚が 仕事の都合で
世話ができなくなり 仕方なしに飼うはめになったという感じだった
主に散歩などの世話をしたのは母だったが
俺もそれなりの事はしてたので 犬もなついてくれた
だけど「どうせあと何年もすれば死んじまうんだろうな」という
冷めた思いが俺の中に常にあった
犬が老いを見せ始めて何年か経った冬
朝起きると母が「○○ちゃん死んじゃった」といって目を赤くしていた
俺は「ああ遂にその日が来たんだな」と思ったけど
それほど悲しく感じなかった
いつもどこかで考えていた事だからと思う
葬式みたいなことを済ませた日の夜
寝る前に歯を磨こうとして
犬がいつもいた勝手口の前を通った
だれもいない勝手口を見て 今さらながら涙が出てきた
- 357 :1/2 :04/11/27 15:03:02 ID:f0e1w0he
- 両親は自分が幼い頃に離婚して、母が昼も夜も働いて私と兄を育ててくれました。
子供の頃に数回ほど会っていた父は突然どこかに引越してしまい、唯一の連絡手段だった
携帯電話も解約され連絡が一切とれず、所在も生死も判らない状態に。
子供には甘い父親でしたが実際は酒ギャンブル借金当たり前、その上離婚後は母に
養育費を一度も払わず逃げたりした父を、私はあまり信用しきれず育ちました。
そして行方が知れなくなって10年近く経ち、遠く離れた県から手紙が届きました。
内容は「あなたの父親が生活保護を申請しています。ですが出来たらあなたたち家族で
養えませんか?」というお役所(うろ覚え)からのもの。
ようやく父の所在が判った事、それに父が生活保護を申請していたことに驚きました。
ですが我が家も借金があり金銭的にも余裕が無いのと「養育費さえ払ってもらえてたら母も
借金を作らずに済んだのに!」というドロドロした思い、自分が幼い頃に父に言われた言葉に
騙されて傷ついて長い間苦しんできた事もあり、非情かと思いつつ「養えません」と
手紙を返送しました。兄の元へも同じ手紙がいっており、父と暮らしたがった兄も
既に結婚しており今の生活にいっぱいいっぱいで金銭に余裕が無いので断念。
でも兄は手紙を返送する際、「何かあったら連絡ください」と携帯の番号を追記してました。
その数日後、兄の電話に入った連絡は父の訃報でした。
もう既に父の遺体は父の親戚に引き取られて葬儀も済まされており、私達家族が
その親戚宅に訪れた時、最近の父の事を聞きました。
私たちがあの手紙を受け取った時、父は末期ガンで入院していたこと。
大好きだったタバコも買えないくらいお金に困っていたこと。
ガンが進行してもう目が見えなくなっていたこと。
病床で「子供たちに会いたい」と言っていたこと。
知らなかった。もっと早く知りたかった。
過去のことにこだわってもう2度と会えなくなるなんて、自分は馬鹿だ。
せめて何かしてあげたかった。本当に馬鹿だ。馬鹿だ。
兄は号泣していました。訃報が届かなければ、その数日後の週末に妻と子供を連れて父に会いに
行く予定だったと涙ながらに語っていました。父に、俺の家族を、孫を、見せてあげたかったと…。
母も泣いていました。でも私は…心が乾いて泣けませんでした。
ぼんやりと魂が抜けたみたいに過ごし、その晩風呂に入って色んな事を思い出してました。
両親が離婚した後、兄妹で父の所に泊まりに行った時に食べきれないくらい夕飯を
作ってくれて、にこにこしながら「いっぱい食べろ」と言ってた父。
親戚の所で見せてもらった、記憶の中の面影を残した数年前の写真の父。
思い出してたら、いつのまにか風呂場で嗚咽を漏らして泣いてた。
どうしても止まらず数十分ほどただ泣いてた。家族も気づいたろうな。
父に何もしてやれなかったことを思うと、今でもせつなくてたまらない。
私は幼い頃からの夢だった職業に就けたこと、兄に可愛い子供たちがいること、
あなたが会いたがっていた子供たちの未来をせめて伝えたかったな。
- 430 :おさかなくわえた名無しさん :04/12/02 16:23:41 ID:iMIEb+xn
- 母親が死んでから、今までごろごろしていた親父が台所に
立つようになった。
毎晩ステーキばかり。(本格的な作り方だったけど)
私は肉好きだから喜んで食べてたけど。
その様子を見て父親が「うまいか?うまいか?」ってにこにこ聞く。
ああくそったれ。
親父、母親がいなくなった私に何を食べさせたら喜ぶのか
今までほったらかしにしてたからよくわからなかったんだな。
あのな、別になんでも良かったんだよ。
夜中こっそり仏壇の前で泣いてるあなたに、ご飯を作ってもら
えるだけで良かったんですよ。
数年後、私が料理をするようになったけど、親父は何を食べても
「うまい、うまい」としか言わなかった。
それ。作ってもらえるならなんでも美味しいんだよ。
- 493 :おさかなくわえた名無しさん :04/12/12 18:30:29 ID:SAtrbW1A
- もう10年も前の話
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・
「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。
何ということだ。娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。
SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright (C) 2002-2005 泣ける2ちゃんねる