PickUp #278  2004.06.23   <- Prev  Home   Next ->


No.278 (*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*) より

351 :234 :03/09/09 06:20
成人T細胞白血病リンパ腫(だったかな?)という長ったらしい名前の病気で、
母は俺が中2の時入院した。
俺はアホだったもんで、母がどんなに重大な病気を患っているのか知らなかった。
ああそうなんだ、よく分からんがすぐに帰ってくるんだなって思ってた。

母が入院してから一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、三ヶ月が経った。
会うたびにやつれてゆく母の顔を見て、鈍感な俺でも死を目前にしていることが
はっきりと理解できた。
母は病院のベッドの上でも笑顔を絶やさず、俺の前では泣き言など一切口にしなかった。

抗がん剤のためか、髪の毛が抜け、口内がただれ、ほとんど食事も摂れなくなっていた。
今日はリンゴジュース三分の一飲んだんだよって誇らしく言う母親を見て、
俺は見舞いの帰りにいつもトイレの個室で声を出さずに泣いた。

自分で稼げるようになったら、美味いものたくさん食べさせてあげようと思ってた。
お前も大きくなったんだねって、微笑みながら言って欲しかった。

でも俺の母は、ジュース飲みながら死んでいった。
無力な中学生の目の前で、静かに息をひきとった。

叶うことのなかった親孝行の夢。
そして、コップに残ったほんの少しのリンゴジュース。
それらを思い返すたび、どうしようもなく悲しくなるのです。

362 :354 :03/09/15 02:58
大切な人との別れは辛いよね。
どんなに手を尽くしても、充分ということはないと思うんだ。
ああしてやれば良かった、こうしてあげたかったって思いは必ず残るよ。
生意気だけど、私がもし234さんのお母さんだったら、
多感な時期に残していかなければいけなかった息子が
立派に大人になってくれていれば、それだけで嬉しい。
そして、折に触れて思い出してくれているなら、それでもう充分。
きっとお母さんは、「後悔だなんて思うんでない、短い間だったけど幸せだったよ」って、
そして、「アンタも幸せになりなさいね」って言うと思うんだ。
気の利いたこと言えないけど、大切な人への思いは
悲しい思いよりも楽しい思いに変えていけたらいいね。
ゆっくり、少しづつね。

252 :もぐもぐ名無しさん :03/08/17 11:27
突然母親が聞いたこともないような病気で入院することになった。
病状は思ったより深刻であることは分かったが
アフォな漏れには良く理解できんかったが
医者が「なんでも好きなものをさせて、好きなものを食べさせなさい」ってセリフが
遠からず母親の命が尽きるのだということは理解できた。
病室に戻り、何が食べたいかと聞いたら「バターロール」と答えた
親孝行なんぞ今までしたことがない漏れは
上等のバターロールを手に入れることが、唯一の使命であるかのように街へ出た。
既に日が暮れ、コンビニは開いてたが、コンビニのパンではダメだ。
取り合えず地元の高級ホテルへ向かい、事情を話しパンを分けてもらえないか交渉した
しかし「当ホテルではそういったことはしておりませんので」とか
「パンの販売はしていません」とか断られ続けた。
ここではダメだと思った漏れは東京へ向かうことにした
東京のホテルで一番最初に思いついたのが帝国ホテル。
すでに深夜になっていたので、一旦自宅へ電話し帝国ホテルへ向かうことを告げた

253 :つづき :03/08/17 11:42
閑散とした深夜のホテルのロビーに入り
事情を話し始めた途端に
「○○様ですね。支配人よりお預かりものがございます」と
ホテル従業員は言い、漏れに紙袋を渡してくれた。
中には手紙とバターロールが3つ。
手紙にはこうあった「ご家族からお電話をいただき、当ホテルのパンを
ご用意いたしました。ご事情お察し致します。
私が直接お渡しできればよいのですが、念のため預けておきますので
お納め下さい。このパンは夕食用に焼いたもので
時間が経っておりますのでお代は結構です。できれば朝食用の
焼き立てを召し上がっていただきたかったのですが。
ご病気のお母様には冷たいものは体に障りますので
トースターなどで暖めでお召し上がりください。
お母様が1日も早くご回復されるようお祈り申し上げます」
漏れは何度もお礼を言い、支配人宛ての簡単なお礼のメモを渡しホテルを後にした。
トースターを持って病院へついた時はすでに日が昇っていた

254 :つづき :03/08/17 11:50
病室で言われた通りパンを温めると
ふんわりとパンの香ばしいかおりが漂ってきた。
母親は時間をかけてそれを食べて
「こういう時は、こんなシンプルなパンがとてもおいしくってね」と笑った
父親に後から聞くと、このことがあるまでは母親がパンが好きであることを
知らなかったようだ。ゴハン党の父親に合わせて朝食はいつもゴハン。
本当はパンを食べたいと思っていたのに、我慢して合わせていた母親。
これが良かったのか分からないが、母親は医者も驚くような回復を見せ
なんと退院できることになった。
その後の経過も良好で、パン好きの母親は今日もうまそうにパンを食べている。

345 :もぐもぐ名無しさん :03/09/06 13:49
25年位前の話。
当時うちは貧乏だったし父親は家庭を顧みない上に重度の偏食家だったので、
家族で外食なんてしたことなかった。
母の実家に行くと、叔母(独身)はいつも私達3姉妹を引き連れて商店街に連れていってくれた。
商店街の本屋で「小学○年生」や「なかよし」なんかを1冊づつ買ってもらい、
最後に3階建てのレストランの2階で食事をするのがお決まりだった。
いつも頼んでいたのはスパゲッティナポリタン。たしか380円だった。
田舎だからか店の対応がのんびりしていて食事がなかなか出てこない。
待ちきれなくてパタパタしている私達に、叔母はいつも「出来たか聞いといで」って言った。
たぶんウェイトレスさんにうるさいガキって思われていたろうな…。
たぶん調理は下の階でまとめてしていたんだろう、
料理の載ったエレベーターが止まる音が聞こえるたびに自分の番かと期待で一杯だった。
黒い鉄板の上でジュウジュウ音を立てているスパゲッティは目にも美味しそうで、本当に嬉しかった。
叔母は「火傷するんでないよ」って言いながら、頬杖をついて目を細めながら私達を見ていた。
あの頃、うちだけじゃなく、どこも豊かではなかった。
そういえば、叔母はいつも自分の分はオーダーしていなかった。

現在、私は当時の叔母の年齢をはるかに越えたし、叔母も孫がいてもおかしくない年齢になった。
楽しい思い出の少なかった子供時代に輝く記憶をくれた叔母さん、本当にありがとう。

371 :234 :03/09/16 06:30
>>362
さっきから涙が止まらない。
優しくて強かった母だから、きっとそう思ってたよ。

食べ物とは関係ないんだが、この間親父の結婚(再婚)パーティーに出席するため、実家へ帰ったんだ。
で、半分物置き化してた自分の部屋を片付けてたら、かなり昔のアルバムを見つけた。
多分俺が5〜6歳の頃の写真でさ、みんな本当に幸せそうに笑ってたんだよ。
親父と喧嘩したとき、「母さんが死んだのは俺のせいだと思ってんだろ!」って叫んだ兄も、門松
作りながら笑ってた。

声上げて泣いたよ。
この写真の中の家族のように、もう一度笑える日が来たらいいなと思いながら。

380 :もぐもぐ名無しさん :03/09/18 20:35
この頃現役引退したお父んが私に代わって台所に立ってくれるんだけど、
始めは精々塩辛い野菜炒めしか作れなかったのがだんだん上達して来て
ここ数日白身魚の煮付けが出てくる。なんでこんなに続くのかな、と尋ねて
みたら、「お前がおいしい言うからやんけ」と。
今度は祖母(父の母)の卵焼きを目指すらしい。
頑張れお父ん、取りあえずは私を超えてみろ。そしてご馳走様、感謝を込めて。

485 :もぐもぐ名無しさん :03/10/31 17:33
私のじいちゃん、子供の頃菓子屋に奉公に行っててお菓子も作れるの。
父親(じいちゃんの婿養子にあたる)がいなくなった私達兄弟を不憫に思って
忙しいなか遊んでくれたり、畑で野菜作ったりしてくれてた。
そんなじいちゃんの思い出の味、それはカスタードクリーム。
おしゃれなお店で作るような味じゃなくて、
もっと素朴でシンプルで、軽い口当たりで大好きだった。
パンに塗ったりそのまま舐めたり、ホントに優しい味だったんだ。
あの優しい味で育ったと思うとありがたいよ。
じいちゃん、冬の寒い日に倒れてそのまま亡くなったけど、
亡くなる前に「育ててくれてありがとう」と伝えられなかったのが、
そしてあのカスタードクリームの作り方を聞いていなかったのが悔やまれる。
私は家を出て結婚もして、だけどじいちゃんの写真を飾ってお水もあげてる。
いつかあのクリームの味が再現できたら、
まっさきにじいちゃんの写真の前に供えたい。
じいちゃん、精進するから待っててね。

406 :234 :03/09/25 19:10
盆と正月に母の実家に行ったとき、兄と一緒に必ず立ち寄る場所がある。
母の実家のほど近く、一軒の古い雑貨屋だ。

まず兄がガラス戸を開け、「こんにちはー」と声を掛ける。
暫くして足をひきずりながらおばあちゃんが出てくる。
「あぁ、よう来た!」
にこにこしながら店の冷蔵庫からジュースを出し、俺たちに振舞う。
時にはアイスだったり、お菓子だったり。
俺たちはジュースを飲みながら近況を話し、おばあちゃんはにこにこしながらそれを聞く。
記憶に無いほど昔から、それが習慣になっている。

おばあちゃんには片足が無い。
何故なのか知らないし、知りたいとも思わない。
優しくて暖かいおばあちゃん。
それで十分だ。

「あんた方が毎年元気な姿を見せてくれるのが嬉しくってねぇ・・・」

俺たちもばあちゃんの元気な姿を見るのが嬉しいんだよ。
恥ずかしくて、一度も言ったことが無い。

407 :234 :03/09/25 19:11
帰り道、俺と兄はいつも無言になる。
たぶん考えている事は同じだ。
また顔を見せに行こう。

ガキの頃はジュースやお菓子欲しさに。
けれども今は、あの笑顔が見たいから。

大人になって、自分を取り囲む環境が大きく変化してしまった。
住む場所も変わったし、付き合う友人も変わった。(母親も変わったw)
でも、変わらないものもある。
それが永遠に続かないことは知っているし、だからこそかけがえなく大切に思っている。

一年後、二年後、三年後・・・あのばあちゃんは元気だろうか?

母が死んだとき、泣いてくれた人だ。
家族ではないけれど、家族と同じくらい大切な人だ。

486 :もぐもぐ名無しさん :03/10/31 22:25
>>485
良い孫持ったなー。 天国の爺ちゃん。





























487 :485 :03/11/01 00:31
ううん、全然良い孫じゃなかったよ。生きてる間にもっと
「じいちゃん、大好きだよ」って言ってあげたらよかった。
今毎日写真を見ながら「とっても好きだったんだよ」と言いながら
泣きそうになってるよ。後悔してる。
今「ありがとう」と言ってあげたい相手がいる人、
恥ずかしくても、言ったほうが絶対いい。




     

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