PickUp #042  2002.05.22   <- Prev  Home   Next ->


◇ 心霊ちょっといい話 ver.3 ◇ より

191 名前:  投稿日:01/10/24 19:10
心霊ではないんですが、
母が死んだ次の日に手紙がきていたのには泣きました。

数年前私は東京の会社に勤めていて、
母が倒れたことを聞き一度見舞いに地元には帰ったものの、
ちょうどそのとき仕事の過渡期でなかなか休みをとれず、
半年ほど様子見に買えることもできない日が続いてました。

ちょうどそのとき、私が付き合ってた女性のことを、
両親とも認めてくれず、特に母親は
「絶対に結婚は許しません」の一点張りで、
プロポーズまでして、二人の間では婚約してはいたものの、
結婚となると、家同士のこともありますし、なかなか出来ないでいました。

母が入院しているときにも、電話をかけると必ずその話になってしまい、
病気だというのにもかかわらず、電話ごしにけんかするばかりで、
正直なところ、心の中で母を憎んだこともありました。

そうこうしているときに、急な母の病状の悪化。
危篤の知らせが入った3時間後には息を引き取るという突然の死でした。

(続く)


192 名前:  投稿日:01/10/24 19:10

母の死に目にも会えず、急いで実家に戻った時にはもう母は実家に運ばれ、
冷たくなった母の手を握り、とても後悔していました。
「何でもっとやさしくしてあげなかったんだろう。」
「何でもっとお見舞いにきてあげなかったんだろう。」
「何で結婚のことを反対されたからといって憎んでしまったりしたんだろう。」

後悔先に立たず、死んでからわかる親のありがたみ、そんな言葉が
身に染みて分った気がします。

お通夜、葬式、後片付けなどを済まし、後ろ髪が引かれる思いで、
仕事がたまってしまった東京に戻りました。
借りていたマンションの郵便受けに溜まった新聞や手紙。
何もする気が起きないまま、呆然とそれらをテーブルの上に投げ出したとき、
目に飛び込んできたのは、母の字で書かれた私宛の手紙。

状況が飲み込めないまま、その手紙を手にとり、中身を読み出した私は
その手紙が母からの最後の手紙ということを知りました。
なくなる前日に、珍しく手紙を書こうと思ったのでしょうか、
病状が悪化し、震える手で、書いたであろうその手紙。
まさか自分が死んだ後に私に届くとは思ってなかったのでしょう。

「今度来るときはもうちょっと長くいれるようにしなさい。」
「仕事ばかりしてないで、たまには東京を案内して頂戴。」
と、生きていたころには、うざいと思っていつもけんかになるような内容。
でも、その時、初めてわたしは、母は寂しかったんじゃないか、と思いました。

そんな手紙の中に、意外な事がかかれていました。

(続く)


193 名前:  投稿日:01/10/24 19:10
「今度帰るときは○○さんもつれて帰ってきなさい。渡したいものがあるから。」

その一行に、最後の最後になって、母が私たちのことを認めてくれたということを悟りました。

よくある話ですが、私が小さいころから母は、大切にしていた指輪を私に見せながら、
「おまえが独り立ちして、お嫁さんを連れてくるようになったらこれをその子にあげるからね。」
と言っていました。多分その事なんだろうと・・・

それから数日して、改めて現在の私の奥さんとなる人を始めて実家に連れて行き、
正式に父と亡き母を前に、結婚する旨を伝えました。

今思うと、母はなんとなく自分の命のことを分っていたのではないかと思います。
だから、最後の最後に、あのような手紙を送ってきたのではないかと。
そう考えると、とても切ない気持ちになります。
もうちょっと冷静にちゃんと話し合えばよかったなと。

今では、2人目の子供も無事生まれ、一人目もわんぱくざかりで、手に余るほどですが、
でも、こうやって幸せな家庭をもてるようになったのも、母のおかげと、
そして、いつも草葉の陰から見守ってくれているからだろうと奥さんともども感謝しています。

長くてすみませんでした。


679 名前:麻布 ◆1F42ZK8k 投稿日:02/04/03 02:18
七宝のブローチ

朝の9時を回り、私服に着替え「昨日はいろいろあって大変だった・・・」と思いながら
深夜勤務を終えて廊下を歩いていると、簡単なソファーと自動販売機の置いてある喫煙所
でなにやら患者さんどうしで雑談に興じているAさんと目が合った。

「○○さん点滴中はベットに横になっていてくださいね・・」と私服であってもやはり看護婦
の顔。仕事から解放されたこともあってちょっぴり口をどがらせても笑顔。

手をふってバイバイ・・そして階段を下りようとしてAさんから声をかけられた。

「看護婦さん、○田さん、退院するんだって、良くなったんだぁ、いつも死んだおとーさん
みたいだなんていっていたから、寂しいだろう?」

私はえーと思ったがその場では言葉を飲み込んでしまった。 「だって昨日・・・」

「さっきまでAさんと何人か話し込んでいたんだよ、8人部屋でいっしょだった何人かで、俺も
退院したらどこかで会おうなんて話してたんだよ、個室に移ったときは「ああ悪いんだなぁ」
なんていってたんだけど、一番先に退院だもなぁ・・・」

「もうすぐ迎えが来るから」といって、さっき帰ったんだけど、「ナースルームへ行ったら看護婦
いなくて・・・」と○○さんに渡してと、これ預かったんだよ。

見ると小さな箱だった、中には七宝焼きのブローチがはいっていた。

それは確か遺品とともに、昨日、ある施設の職員の人にわたしたはず、検温に行くといつも
そのブローチを触りながらいろんな話をしてくれ○○さん、奥さんと別れたこと、子供さんが
いたこと、生きていれば看護婦さんと一緒の歳ぐらいだよ・・なんていつも話してた。
ふと、目を移すとと窓の向こうに黒塗りの寝台車がうごきはじめたところだった。

私は叫びながら、かけだしてしまった  「おとーさんまって!!」

泣きながら、思った。「私は知っている、母は父は死んだと言っていたが、本当は別れた事
そして、死んだ父がはじめて買ってくれたって大事にしていた母の宝物。

それが七宝焼きのブローチだということを」


695 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:02/04/08 19:30
ここのスレを読んでいてふと思い出したので書きます。
私の祖母は小学五年生の時に亡くなりました。

私が24歳ぐらいの時(二浪して就職まぎわ、藁)にいきなり
夢に現れました。そして、長い暗い洞窟を手を引いて歩くのです。
「おばあちゃんここどこ?」と聞くと「ヨナグニだよ」と
言います。私はそこはいったい外国なのか、なんなのかわからない
まま祖母に手を引かれて歩きました。

祖母は洞窟の突き当たりまで来ると、紙のようなものと
入れ歯を燃し始めました。「おばあちゃん、何やってるの」と聞いたら
「●●さんが入れ歯忘れたからね、届けてるの」と言います。
私は心細くなって「帰ろう」と言うと「幸せにね」と言いました。
その後、いきなり真っ暗な島のシルエットを一瞬見ました。
そうかと思うと、満開の桜の花が視界いっぱいに咲き乱れていました。
夢なので、こまぎれなのです。

目が醒めて、私はその夢の話を母にしたところ、話は親戚に伝わりました。
祖母の言う●●さんは、祖母の義理の姉で、祖母の死後にすぐ亡くなった
のだけれど、バタバタした葬式だったということでした。後で仏壇を
探したら入れ歯が出てきたとか…夢のおかげでお墓に納めることが出来たと
感謝されました。が、これだけでは終わりませんでした。つづきます。


696 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:02/04/08 19:36
「ヨナグニ」という言葉がひっかかっていたので、地図を
調べたら、沖縄に「与那国島」という島があることを知りました。
当時、私がなんとなくつきあっていたオトコノヒトが
沖縄出身だったので、何気なくその話をしたら、
「与那国は神様の島。きっとおばあちゃんが燃していた紙は
ジーチンという死者に捧げる紙のお金だよ」と言いました。

だいぶ後になって、その人と結婚する時に
祖母が「幸せにね」と言った言葉がはじめて蘇りました。
そういう意味だったんだね…おばあちゃん…

わかりづらい話ですいません。桜が咲くとなぜか思い出します。

713 名前:再会 投稿日:02/04/12 13:57
重い病の為、幼子2人を残して
この世を去った妻

別れの挨拶も交わせず・・・
その事が頭から離れませんでした

それから約一年後、
背景は朝もやのかかったパステル調な所
場所はわからないけど自分一人がいる

前方のもやの中に人影が見える
こちらへ音も無く寄ってくる
誰?と思った瞬間、目の前に懐かしい妻の顔

沈黙の内、妻を思わず抱きしめる
そしてキスをした  
そのままの時間がしばらく続いた。

そして、目がさめた
自分の顔が、今まで笑っていたんだと感じた
本当に会っていたような、唇に残る感覚

たったこれだけの夢を見ただけで
その日は、朝から気分が良かった

妻を夢で見たのは前にも先にもこれが一回きりです
普段の欲望・欲求が夢になったかも知れませんが
それでも、いいんです。


718 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:02/04/14 23:06
病院勤めしていた私。結婚退職しちゃったんですが
色々とありました。
仲の良い患者さんが亡くなってしまう事なんてしょっちゅう。
でも病院では泣くに泣けなくて大変でした。

でも、どうしても悲しくて泣いてしまった事があります。
その日退院予定のおじいさん。家族のお見舞いなんて皆無に等しく
退院しても施設に入れられる事になっていました。
朝から何か調子が良くなくて、退院を延ばす様に話をしていました。
でも家族が断固反対。無理矢理引き止める事が出来る程でもなかった
ので、そのまま退院する事になった。

 朝、食事を運ぶと何か元気で一生懸命話かけてきた。
忙しかったが、うんうん、と話を聞くと、嬉しそうに笑って泣いていた。
どうして泣くんだろう、退院するのが分かってるのかな?
と思った。痴呆も進んでいたので、分かるはずがないのだけど。

 が、急におじいさんがおかしくなった。
気付いた時、私は深夜明けで帰宅する直前、昼間勤務の人が
居なくなったその時、様態が急変した。
そのまま亡くなってしまった。

 当然家族は医療ミスだ何だと言いまくってきた。
お見舞いも来ない家族に限って騒ぐ人が多いのだが、まさしく
典型だった。
でも、その騒ぎはすぐに終結。理由はこのおじいさんの奥さん。
おばあさんの登場で。
このおばあさんも高齢の為、一人では外出も難しく、お見舞いに
来たくても子供の手を借りなければ来れない人だった。

 おばあさんが子供たちを叱りつけてくれたそうだ。
看護婦さん達の事、お医者さんたちの事、何も見ないでと。

 おじいさんがなくなったベットはすぐに洗浄に出された。
空いたはずのベットなのに、そこにはそのおじいさんが居た。
寝ぼけ気味だったかもしれないが、当たり前の様にそこにいた。
その時疑いもしなかったのだが、懐中電灯の明かりの中で
笑っていた。私も笑ってまた朝来ますね、おやすみなさい。
何かあったら遠慮しないで呼んでくださいね。
と、枕もとにナースコールを置いた。あれ?と思ったのは
朝だった。

 不思議な事にこのおじいさん、時々外来でも見かける。
あれ?と思って振り返ると当然居ない。
でもいつも近くに居る様な気がしてならない。でもいつも
微笑んでこちらを見ている。怖くないのも不思議。
長い入院生活で一番仲良しだと言われていた私に時々会いに
きているのかも、と思った。

 病院にはこんな話、結構あります。皆言わないけど。



     

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