No.459 【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4 より
- 19 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/12/13 12:07 ID:kf9E/pmK
- ステキな思い出ではないんだが・・・
俺は3食のうち朝飯をよく食べる奴で
パンとか1日で3つも食べる日とかもあった。
で、ある日母親が10個くらい一気にパンを買ってきて
意味がわからなかったから
「こんなに食べれるわけないじゃん」とか言ったら
「○○よくパン食べるから買ってきたんだけど・・」みたいな事言ってて
マァ金ももったいないしって思いながら2日にわけてパン全部食べた。
その4日後に母親が死んだ。
父親に聞いたところ病気で余命宣告されてたらしいのだが俺ら子供には黙っていたらしい。
不器用な母親の最後の心遣いだったのかな
あのパンは。
- 668 :おさかなくわえた名無しさん :03/08/05 01:07 ID:xJtTfcZ9
- 私は地方の高校を卒業して東京の大学に進学しました。
実家は小売業をしていて、父と母が2人で自宅横の店を経営していた。
兄弟は4人居て俺を含めて2人が大学に在学し、下の妹と弟は高3と中2だった。
今思えば、とんでもなく金がかかる時期だったはずでした。
その頃は気にしてもいなかったけど。
大学2年の冬休みに帰省をした時に母へ、
「友達にスキー旅行誘われてるから道具代とツアー代のお金ちょうだい。」
と15万円ほど小遣いとしてもらった。
翌日から3泊4日でスキーに出掛けて4日後に帰宅した。
帰宅したのは夕飯前の時間だったけど私は旅行疲れで寝てしまった。
目が覚めたのは、よる11時過ぎだった。
腹が減って目が覚めた。
居間に行っても妹がテレビを見ているだけで、晩飯を作って欲しい母は居なかった。
どこにいるのか聞くと店に居るとのことだった。
こんな時間まで何をしているのかと見に行くことにした。お腹も空いたし。
店に入っていくと、母は床にしゃがんで一心不乱に商品を並べていて私が入ってきたことに気づきませんでした。
じーっと後姿を見ていて、はっとして涙がこぼれてしまいました。
母の手は埃で薄汚れ、着ていたズボンもセーターも毛玉だらけだし何年も着ていてよれよれでした。
自分は全然お金を使わないで、息子の学校や遊びのお金をいやな顔ひとつせずくれてたなんて。
こんな時間まで仕事して。
小学校の頃は、母に対して朝起きるの遅いし家の中が掃除しきれてなくて、散らかってていやだなと思っていた。
店が忙しかったからしょうがなかったのだが。
でもこんな姿見てしまったら、今までなんとわがままに過ごしていたのかと悔やみました。
母に「もう遅いで明日にしたら」というと
「あ、起きたの?ご飯食べて無いでしょ。ここ寒いし、後で作ったるで部屋で待っとって。」と言われた。
また涙が滲んできたので悟られないように後ろを向いて戻りながら
「ん、わかった」と歩いて部屋に戻った。
今、36歳で妻、一男一女の父。
親の有難みが一番わかる。
「これからがんがんお返ししていくからな」
- 671 :556 :03/08/05 23:38 ID:Ahc9Z+9R
- おかんが若くして死んだのは、前にも書いた通り。
「子供に忘れられてしまっては、母親があまりにも可哀相」
と親父は思っていた節があり、おかんが死んでも、
「誕生日」と「母の日」を祝うのが恒例行事だった。
(そんなことしなくても、子供が母親を忘れるはずないんだけどね・・・w)
お祝いと言っても、特別なことをする訳ではなく、母の日だとカーネーションを買ってきて、飾っていた。
当然、我が家は「白いカーネーション」。
ある日、図工の課題として、「好きな花」の絵を描くことになった。
漏れは、迷うことなく「白いカーネーション」を描いたんだが、級友達に
「カーネンションは赤い。白いカーネーションなんておかしい」と言われた。
すぐに先生が事情を察知して、
「カーネーションには赤いのだけではなくて、白いのもあるのよ」
とフォローしてくれ、それ以上大きな「事件」には発展しなかった。
当然、級友達に悪気はなく、先生のフォローを当時の漏れも理解していなかった。
赤のカーネンションと白のカーネーションの違いを理解するには、みんなあまりにも子供だった。
消防だから仕方ないんだけどね。
赤と白の違いを知って以降、この「事件」を思い出すとちょっと切なくなる。
- 682 :おさかなくわえた名無しさん :03/08/13 02:22 ID:ar9Tdhd7
- 自分が中3の受験生の時、本当に勉強しなくて
成績とかオール2ですごい馬鹿だったんですよ。
そんで毎日、夜に出歩いてすごく祖母とかに心配かけて。
ある日ね、いつもより馬鹿騒ぎして家に帰ると。
母がスーツ姿で寝てたんです。
その後に初めて、祖母から聞いたんですよ。
母は深夜も、レジのバイトをして働いてるって。
それで疲れているから、よくその格好のまま寝て、すぐ仕事に行くんだよって。
で、もっと詳しく聞かされました。
母は、俺の父の借金を返すために毎日、俺が小3の時に離婚した日から働いてるって
小さい頃、よく父が母を殴っていたのを見ていてそれが原因だと思ってたけど
他にこんな理由があったんだって、祖母が全部言ってくれました。
母は俺に心配をかけさせないよう、働いてる事は言わなかったらしい。
それを聞いた時、いままで言ってくれなかった事や父の事、母に言ってきた暴言を思い出し、
なにより祖母の真剣な表情に祖母の前で泣き崩れました。
そして母が起きるの待ち、母に謝りました。
今までの事を、そしてなんどもなんどもありがとうって言いました。
母は
「あんたとお婆ちゃんを支えて、あんたの成長した姿を見るのがもう私の生きがいなんや、
だから顔あげ、親に頭さげるもんやない。しっかり頑張り、それで充分や」
って言ってくれました
俺はこの日、家族がいかに大事なのかと学び、すごく生き方が変わりました。
親がいかに子を大切にして、育てて貰った恩を大切にしなければならないのかという事を。
長文スマソ。誰かに大切さが伝わったら幸いです。
- 665 :おさかなくわえた名無しさん :03/08/04 20:19 ID:5WdpDHYV
- 去年の夏から、私は病気になって、会社も休んで自宅療養することになった。
今思い出しても凄まじい状態で、生き地獄と言っても過言ではない。
苦痛もすごかったけど、見た目が醜くなるのに耐えられなかった私は、しょっちゅう泣いてた。
そんな私をいつも励まして、身の回りのことを嫌な顔一つ見せずにやってくれた両親。
でも、そんな両親に対してさえ、私は
「両親はこの苦痛を感じないんだからうらやましい」
なんて思ってた。
ある時、遠距離恋愛してた彼氏と電話中、
「もう嫌。死んだ方がまし」
と言ってしまった。
それに対して彼氏は、
「お前が死んだら悲しむ人、たくさんいるよ。
俺も悲しい。それに、お前の両親がどんな気持ちになると思う?」
それから、
「病気で、治らなくて本当に死んでしまう人だっているんだよ。
お前のは、治るんだからね。軽々しく死ぬなんて言うな。」
それを聞いて自分が恥ずかしくなったものの、やっぱり
「他人に私の気持ちは分からない」
なんて思ってた。
- 666 :665 :03/08/04 20:20 ID:5WdpDHYV
- それから数ヵ月後。
大分体も良くなってきて死ななくて良かったな、なんて思えるようになってきた頃。
彼氏のお母さんが亡くなった。
癌だった。
彼氏が、お母さんの病気のことを知ったのは秋頃だと言ってた。
ちょうど、私と上の会話を電話でした頃だった。
「治らない病気の人もいる」
それは彼自身のお母さんのことだったんだな、と気づいた。
彼のお母さんとは私も仲良くさせてもらっていたんだけど、
彼は私が余計なことを考えないように何も言わなかったんだ、と言っていた。
自分の馬鹿さ加減に嫌気がさした私。
何て甘ったれだったんだろう・・・。
そんな私に彼は、
「俺は大丈夫だよ。母親は俺が泣くことより幸せになることを望んでいるだろうから。
だから、俺は明るく幸せに生きてくよ。
お前も、親孝行しろよ。
したいと思ったときにはできなくなるかもしれないんだから」
泣きました。
弱くて、自分の病気に甘えていた私。
本当に馬鹿だったと思う。
その後、両親に話しました。
「私、もう甘えない。
頑張って体治すことに全力投球する。
本当に、ありがとね。
私死ななくて良かった。
生きていて良かったよ。」
そうしたら母が、
「あなたも辛いだろうけど、見ている方もすごく辛かったのよ。
代われるなら代わってあげたいって、何度も思った。
一緒にがんばろうね。」
と言ってくれた。 二人で泣いてしまいました。
両親からもらったこの体、病気だろうと何だろうと生きていて良かった、と本当に思う。
早く治して、思いっきり親孝行するようにがんばります。
両親、彼氏に心からありがとう。
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