思い出してホローリくる家族との思い出 より
- 24 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/07/26(木) 04:15
- 母のお葬式の時、斎場で「まま・・まま・・」と私(当時8才)が泣いてたら
横にいた兄(当時11才)が「泣いても母さんも悲しむから、泣いちゃだめだ・・」
と私を励ましながら自分も涙流してた。すごく印象に残ってる・・・
頼りになるお兄ちゃん、今でも大好きだよ。
- 35 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/07/26(木) 22:56
- 「あ、今日のハンバーグおいしいー!」
おいしそうに食べる兄 その日は、私が作ったの
その次の日未明に、兄は事故で亡くなった
私高一の春のこと…・
- 46 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/07/27(金) 03:47
- 中学生の時、母と大掃除をしてたら母が初給料で、自分の為に買ったとゆう指輪が出てきた。
デザインも古く、安物のちっぽけな指輪だった。
母は3人兄弟の長女で中2の時に父親を亡くし、祖母と一緒に家計を支える為に高校進学も諦め、卒業と同時に東京に働きに出るしかなかった。
安給料の中から半分以上は仕送りをした。
自分の為に唯一買ったのがこのオモチャのような指輪。
母の苦労を思って、大泣きしてしまった。
母はビックリしてたけど黙って頭をずっと撫でてくれてた。
なのに高校の時、財布から金抜きとってばっかいてゴメン
- 75 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/07/27(金) 19:41
- 結婚当初は凄く貧乏で、私の実家の両親(別に裕福でもない、ごく一般的な家)が
しょっちゅう車で食料や家庭用品、お金の援助をしてくれた。
阪神大震災の時は、体育館に避難して2日後、実家の父と弟が片道6時間かけて
歩いて迎えに来てくれた。
今年のお正月、父親と2人で話をした時、父親が自分自身は末期癌なのに、
「体には気をつけろよ、あんまり無理すんなよ」と励ましてくれた。
など諸々思い出す度に泣いてる。
親孝行はしてもしてもし足りないくらいにしても罰は当たらない。
(一概にそうだと言えない例もあるが)
生きてるうちは「ありがとう」って言えないけど、死んでから言っても遅い。
感謝の気持ちはずっとあったけど、伝わってたかどうか。今じゃ分かんないしな。
- 81 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/07/28(土) 01:32
- 小さい頃から子供にあまりかまわなかった父。
悪い人ではなかったが、自分の気の向いたときしか相手にしなかった。
3年前、私が眼の上の手術をしたとき、手術の日だけ一人でお見舞いに来てた。
手術後で私の顔が腫れているのを見てすごく狼狽して
「お父さんが代わりに手術を受ければよかったね。」
と言ってた。普段はそんなことを言わない人だったからびっくりした。
後でお母さんに聞くとその日だけは自分が行く!と譲らなかったそうだ。
普通の家のお父さんだったら普通に言うことかもしれないけど。
なんで死んだのよ。
- 82 名前:81 投稿日:2001/07/28(土) 01:39
- お母さんのことが好きで好きでたまらなかったお父さん。
ずっと「お母さんとハワイに行くのが僕の夢」と言ってた。
が、家が自営業なので、二人で旅行に行くとなったら店を閉めなければならず、
それが嫌で行くのをためらっていたらしい。
去年私が「店はあたしが出来るけん、来年の春にでも元気なうちに行っとき。」と言ったら
すごくうれしそうに「本当にいいと?」と何度も聞いてきた。
今年の冬、いきなり倒れて帰らぬ人となった。
今となってはもっと早く行かせとけばよかったとそればかり悔やまれる。
来年、お母さんと私とお父さんの骨とお父さんが大好きだったハワイに行こうと思う。
- 97 名前:ヨシヒロ 投稿日:2001/07/28(土) 20:31
- 保育園の時です。
ちょっと貧乏だった私の家は、共働きでした。
保育園は3時に終わるのですが、親が仕事などで迎えに来れない子は
保育園が延長保育で見てくれていました。
私を含め、10人くらいいました。
みんなで運動場でゲームをやったり、遊具に乗ったりして、迎えが来るまで過ごすのですが、
夕方になるにつれ、だんだん迎えがきて
最後は私と2人の先生だけになりました。
私は子供心に
「私だけまだ居て、先生に悪いなぁー」とか
「もう、母さんこないのかなぁ」とか、考えてました。
なんだか寂しくなってきたころ、ふと外を見ると・・・
- 98 名前:ヨシヒロ 投稿日:2001/07/28(土) 20:32
- 「ヨシーっ!ヨ〜〜〜〜〜シっ!」
夕焼けで真っ赤に染まった道路の向こうから、
母が自転車に乗ってやってきました。私の名を呼んでいます。
あの時の母の呼び声と、夕焼けの赤さと、先生の優しい顔が
脳裏に焼き付いてます。
その光景を思い出すと、なんだか涙ぐんでしまいます。
ただの日常的な光景なのにね・・・
- 117 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/07/29(日) 04:20
- 3才の頃家族3人で行った海水浴。
その後一年後に母親が子宮ガンで亡くなりました。
あれから25年経ちましたが、いまだに海を見ると寂しくなります。
>>97さんのように延長保育にいたので、よく遅くまで父親を待っていました。
小学校の授業参観がすごくいやだった。
授業中、のどがぎゅっと締め付けられるような感じがするんだよね。
恥ずかしいから父親には来てもらいたくなかったから、
来ないでいいって言ったけど、会社を早退していつも来てくれてた。
なんでもっと素直に喜べなかったんだろう。
- 172 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/08/05(日) 01:54
- 私がアメリカに留学してた時、両親と祖母が遊びに来た。
英語圏でキンチョー気味の両親よりも90近い祖母の方が
いろんなものに興味を示し外人にも臆する事ないのに驚いた。
その祖母が帰国間近になって私に「英語を教えてくれ」と言う。
私が教えた簡単な挨拶、会話を手帳に書きとめ
「天国でおじいさんに会ったら”ハロー”って言って驚かせてやるんだ」と
子供みたいに悪戯っぽく笑った。
なんだか感激して祖母達が帰国後、子供向け英語教材本を買って送った。
その祖母も去年95歳で大往生。
おばあちゃん、天国でおじいちゃんに「ハロー」って言って
驚かす事できたかな。
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