No.249 ☆★思い出の列車★☆&一生忘れられない、あの駅&あの列車 Prt3 より
- 174 :名無し野電車区 :03/12/06 10:29 ID:AVUWksNo
- 数年前、付き合っていた彼女がだんだん俺から離れていくのがわかり始めた頃
なんとかひき止めようと思って、真冬の只見線に誘って乗りに行った
会津若松を昼過ぎに出るやつに二人で乗り込んだが、気まずい空気は変わらず
俺が何を話してもすぐに会話は途切れてしまった
二人とも黙りこくったまま列車は進んだが、川が見え出してくるとやっと会話が戻ってきた
”窓を少し開けてみようか?”といって開けてみた
水墨画のような景色を見ながら、彼女は目を少しだけ潤ませていたように見えた
その後、窓を閉め彼女は俺に寄りかかって寝てしまい再びエンジン音だけの空間に戻った
そして東京に戻ってしばらくしたころ
”やはりこれ以上あなたとは付き合えませんごめんなさい、最後にいいところにつれてってありがとう”
と、別れのメールが来た
窓を開けたあのとき、目が潤んでいたのは寒さのせいではなく、これで最後だという思いでだったのかな
- 129 :急行きたぐに :03/09/24 01:19 ID:uHEXbfjG
- 「急行きたぐに」、懐かしい夜行列車です。私が新潟から大阪に就職するときに乗りました。
当時お金がなくて、特急は使えずこの列車を利用したのです。3月初旬、新潟にはまだ雪
が残っていた。夜遅くにもかかわらず友達数人が見送りに来てくれ、私は照れながら
「いいだろ、都会にいくんやでぇ」と大阪弁を使ったりしながら最後の別れを惜しんだ。
警笛が鳴り列車に乗った後も、みんなずっと手を振ってくれてたのが今でも忘れられない。
あの夜、私は窓の外を見て少しだけ泣いた。本当は故郷を離れるのが辛くて仕方なかったけど、
精一杯強がっていた。そしてその強がりがひとりぼっち座席に座ったとき、崩れ去ったの
だと思う。
当時、「急行きたぐに」は青森発だったが今では新潟発になっている。それでもあの特徴的な
座席を見るたび、切なさが込み上げてくる。あの子はまだ元気にやってるだろうかと…
高卒労働者・40歳超・男
- 137 :スレを汚しにきました :03/09/29 12:51 ID:7B5gApNZ
- キハ58、なつかすぃな。汽車通学だったから毎日乗ってた。
朝は4両編成で、分割して三セク鉄道にも直通してたっけ。
三セク車両と連結走行試験してたのもみかけたな。
一度も連結営業したのは見られなかったが。
試験かなんかでデッキ近くに自販機が設置されてた事もあった。
わざわざ一部座席外して。スグ撤去されちゃったけど。一度位
買っておけばよかった。でも20円程高かった記憶がw。
部活の後、最寄の無人駅から汗だくで乗りこんだら、車掌さん
が「涼しいからこっちきなよ」と車掌室に入れてくれ、乗務員
扉の窓から顔をだして風に当らせてくれた。「駅につく前に
デッキに戻れよ。俺が怒られちゃうから(笑)」。コワイ
モノみたさで、顔を出したままのトンネル突入。その時、狭い
トンネルの入り口に”時計とダイヤを見たか”の注意書きがあ
るのを初めて知った。
そして朝の4両編成に突然郵便車が混じってきて、窓も開かな
い薄暗い車内に詰め込まれたこともあった。鉄格子付きの窓、
天井にちいさな照明。壁一面の棚。ギュウギュウ詰の高校生。
今じゃ考えられないが、どこかノンビリした時代だった。
- 138 :スレを汚しにきました :03/09/29 12:52 ID:7B5gApNZ
- テーブルの栓抜きは一度も使ったことがなくて、トイレは喫煙所
として使い、デッキ扉上の号車札入れに誰かがゴミを挟んだのを
眺め、ダルイ毎日が過ぎていった。
国鉄からJRになったとき、いつものキハ58はサイドに
JRマークをつけ、灰皿と扇風機のJNRマークは「JR
東日本」ステッカーでかくされて登場した。
卒業間際、好きな娘に告白したのもキハ58の車内だった。
黙り込む彼女。駅をでて山岳地帯に差し掛かるキハ58。
返事をまつ間、とても時間が長くそしてエンジン音がやたら
うるさく感じた。トンネルに入るころ、かすかな声で彼女の
返事があった。
いつもはトンネルに入るとき窓を閉めるのだ、でもその時
はそんな事どうでもよかった。誰かが窓を閉めろと騒いでる。
「るせぇ!!」怒鳴りかえしたのは多分やつあたりだったのだ。
- 139 :スレを汚しにきました :03/09/29 12:53 ID:7B5gApNZ
- それから間も無く俺は卒業した。進学して電車の走る街へやっ
てきた。クセで「汽車」と言っては田舎モノと笑われた。事実、
田舎者なんだからしょうがないw。
”汽車のクセ”も抜け、髪も茶髪になったころ2年ぶりに帰省
した。新幹線を降り、乗り換えを待つ僕の前に現れたのは
キハ58ではなかった。
なにやらドイツ製のエンジンだとかいうその車両は違和感が
あった。こころなしか車体はみじかくなり、デッキは消え、
座席上の席番も栓抜きも、無くなった。なにかしっくりこない
まま地元の街の中心駅に降り立った。俺の実家はまだ先だが、
接続がなかったのだ。
駅前は変貌していた。「・・・・!!」正面の巨大な製鉄所の
煙突が無くなっていた。閉鎖のあおりか商店街も寂れていた。
キハ58、煙突、人ごみ、よくわからないけど「当たり前に
あった何か」が消えて無くなっていた。
- 140 :スレを汚しにきました :03/09/29 12:55 ID:7B5gApNZ
- 帰省を喜ぶ親父とビールを飲み、する事もなく布団に入った。
田舎の夜はなんて早いんだ。眠れず寝返りを打っていると、
参考書がおかれたままの本棚が目に入った。
チャート式・・・赤本・・・卒業アルバム!
教室、部活、「あって当たり前」がそこにあった。
まだ髪が黒かった俺のバカ面も。
あの車内のままの、あの娘の姿も。
あらためて校舎全景のページをながめる。そういやアルバムが
配布された日は校舎の写真なんて見てなかったな。
!。一緒に写っている!?。
校舎と、グラウンドと、一緒に写っている。
通学していた時と同じ、あの姿のままに。
卒業アルバムの中で、あのキハ58はまだ走っていた。
- 254 :想い出の列車 EF65(PF)+14系客車 団臨 :03/11/24 20:09 ID:808S4c5g
- 小学生ころ、夏休みに毎年、某英語教室の旅行で2泊3日、地方の民宿にお世話になった。
新宿からEF65+14系客車で行き先は毎年変わるが、
上越線塩沢、越後中里や磐越西線猪苗代と半日ほどの汽車旅。
寝起きを共にする仲間との最初の出会いの場がボックスシートだ。
はじめて親元を離れてよそに泊まる時の不安は、周りの仲間達が振り払ってくれた。
地元の人のなまった言葉が遠くに着たんだなあと実感させてくれる。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、仲間達の顔と名前を覚えた頃には
もう帰路につかなければならず、子供ながらに名残惜しさを覚えた。
帰るとき駅でお世話になった民宿のおじさんおばさんが手を振っている。「また来てくれな〜」「お元気で〜」
あのとき子供達みんなが一回り大人になって帰ってきたと思う。
新宿に帰ってきたとき「また来年会おうな」と強がり言って別れるのがとても寂しかったのも鮮明に覚えている。
あの頃の仲間は今どうしているだろうか。もう15年ほど前の話。
- 72 :名無し野電車区 :03/08/30 21:42 ID:Q+03xGSm
- 消厨房時代、宮古の祖父に会うために良く乗った山田線。
車両はキハ52が多かった記憶がある。
それから十数年が経ち祖父が他界。
再び山田線に乗る事となった。
車両は当時と同じキハ52である。
その道中で母から、祖父の遺品となった財布の中には
俺の幼少時代の写真が入っていた事実を聞かされた。
十数年宮古に行かなかった事を悔やんだ。泣いた。
流れゆく懐かしい景色で、祖父との楽しい思い出が
走馬灯のように蘇り、涙が溢れた。
あれから5年程が経った。
安らかに眠る祖父に会いに
もう一度山田線に乗ってみようか。
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