PickUp #213  2003.05.26   <- Prev  Home   Next ->


No.213 【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4 より

103 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/01/21 01:45 ID:v1JLCzBe
入院中の父とは筆談しか出来ない状態だった。
ときどき私がすごく意地悪になっちゃって、「もう、こんな生活やだ!」とか、
「もう、入院なんてしないでよね!」なんて、最低のクズ人間になってた。
筆談で使ってたノートには、そんなケンカの跡も残ってる。
だんだんと父の筆跡は弱々しくなってって。
看取ってから何年も過ぎたけど、まだ時々、涙が止まらなくなる。 
世界で一番私を大事に思ってくれたのは父だったのに。 
やり直せるなら、父が苦しまずに安らかに往生できたなら、
私はあと1年で死んでもかまわない。

16 名前:16 投稿日:02/12/10 02:25 ID:wAunvgUz
私の母は料理上手でした。
そんな母が毎朝作ってくれる豆腐とワカメの入ったみそ汁が、大好きでした。
おかわりをせがむ私に母は「そんなにみそ汁ばっかり飲んでどーするの」と
笑いながら叱りました。

けれど中学生になって反抗期に入ると、親の作ったものを食べるのが嫌になってきて
朝はトーストやコーンフレークで済ますようになりました。
そうすると母は毎日みそ汁の具を大根やら油揚げやらいろいろ替えてみて
「今日はね、サツマイモのみそ汁なのよ、いいでしょ?」「今日のみそ汁はね・・・」
と私に話し掛けてきました。
ずっと無視していましたが、ある日、母があまりにしつこく言い続けるので、
あんたの作ったみそ汁なんていらない、ほっといてよ、と怒鳴ったら
母は引きつった悲しそうな顔をしました。

17 名前:16 投稿日:02/12/10 02:28 ID:wAunvgUz
それ以来、母は私にみそ汁を勧めてこなくなりました。
けれど必ず父と母、それと私の3人分のみそ汁を作っていたらしく、
冷蔵庫の中に一人分のみそ汁がタッパーに入っているのを毎日目にしました。

そんな日が2年半位続いた頃、母が交通事故で亡くなりました。
葬儀も何もかも終えて冷蔵庫を見ると、例のタッパーが入っていました。
鍋に移しかえて温めて飲みました。
嗚咽が止まらなかった。


本当にごめんね、ごめんねお母さん。
あれからいろんなみそ汁を飲んだけれど、
やっぱりお母さんの作った豆腐とワカメのみそ汁が、一番おいしいよ。

214 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/17 01:47 ID:sMYGnU7i
癌で余命3ヶ月と宣告された母の看病をしていた時のこと。
いよいよ体も思うように動かせなくなって
病院の個室に入院し、ベッドのすぐ横に簡易トイレを置いていた。

ある日、いつもの様に簡易トイレで用を足すのを手伝った私に
「ごめんね、こんなことまでさせちゃって。」
と母が謝った。
「気にしないで、赤ちゃんの頃にオムツ替えてもらってたんだからさ。」
と私が言うと、
「・・・お前が子供を産むときには、私がトイレを手伝ってあげるからね。」
と母は笑って言った。
当時、母は自分が余命数ヶ月であることを知っていたが、
母子家庭だったため、まだ大学生の私と妹を残してはいけない、と
必死に生きようとがんばっていた。
「うん、まだ相手もいないけど、その時はお願いするよ。」
と笑って答えたが、母の病室を出て共同トイレで
簡易トイレを洗っている間中ずっと涙が止まらなかった。

そして、お医者さんの宣告どおり母は二ヵ月後に亡くなり、
あの時の母との約束はもう実現できなくなってしまった。
今でも夢に出てきては、病気に負けまいとがんばる母に
私はあなたの娘で本当に良かった、と伝えられなかったことが
とても心残りだ。

217 :長くなったので…1 :03/04/17 19:45 ID:5pv5U5AI
私には母親がいません。妹を産んで死んでしまったそうです。
写真も一枚もありません。

218 :長くなったので…2 :03/04/17 19:51 ID:5pv5U5AI
先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」
東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。
実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。
父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、
いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。
「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」
父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。
妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。
生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。
だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」
父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。
母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。
父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。
そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。
母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。
お父さん。
ありがとう。
お母さん。
産んでくれてありがとう。
就職活動、頑張ります。

286 :おさかなくわえた名無しさん :03/05/21 00:35 ID:n/PnIZlD
家族の話じゃないんだが

昔飼っていた犬は元捨て犬で、いい加減大きくなってから飼い始めたこともあってか、
それとも人間不信からか、暫くの間は俺達に対しても唸り続けていた。

ただオヤジに対してだけは、拾ってくれた恩を感じているのか物凄く従順で、俺達が
餌をやろうとすると、時折歯を見せて威嚇する事もあるのに、オヤジが行くと背筋を
ビシッとして畏まり、「食べて良いんだよ」と言うまで絶対に口を付ける事はなかった。

まあそんな事もあったから、俺はあんまりそいつを可愛がらなかったんだが、ある日の夜、
オヤジと一緒に犬の散歩中、ふざけて自転車を運転していたら派手に転けてしまって、
頭をパックリとやってしまった。

予想外の出血にオヤジは動転し、俺の止血も忘れて人を呼びに行ってしまった。
俺はと言うと最初は大したこと無いと思っていたのだが、止まらずにボタボタと流れ落ちる
血を見てだんだんと不安になり、座り込んでベソをかいていた。

その時だ。信じられない事が起こった。
普段ならオヤジべったりの犬がオヤジについて行こうとせずに俺にピタッと寄り添い、
親父が帰ってくるまの間、俺の傍にずーっと立っていた。
それだけじゃない。病院に行く途中に引き剥がそうとしても、頑として俺の傍を離れようと
しなかったのだ。

ああ、コイツは俺の事を守ってくれてるんだなと思ったら、それまで可愛くないからと石を
ぶつけたり、目の前でわざと餌をぶちまけたりした事を思い出してわあわあと泣いた。

それから5年程経ってヤツは病気で死んだ。
毛布にくるみながら、お前の事は忘れないよと、またわあわあと泣いた。

231 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/18 06:41 ID:vha+4yv5
うちの親は私が小さいころから、とても厳しかった。
高校生になっても、友達と公園で花火することさえ許してくれなかった。
門限を破って、父親にボコボコに殴られたこともあった。
そんな親が嫌で、高校を卒業した後、一人暮らしを始め、親に会うことは
めったになかったが、成人式の日、母が手紙を持ってきた。

開けてみると、8枚の便箋にびっしり父からの手紙が書いてあった。
私が生まれる前に母が2度流産したこと、私が産まれるまで
どんなに不安だったか。事細かに色んな事が書いてあったけど
最後に「お父さんという名前をくれてありがとう。
これからは、仲良くやっていこうな。」

泣いた。




     

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