PickUp #236  2003.09.01   <- Prev  Home   Next ->


No.236 思い出に残る食事 2 より

28 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/22(土) 18:46
高一のときから付き合ってた彼女が大学受験のストレスで
いわゆる引きこもりになってしまった(親や先生と結構もめて)。
それで帰りに毎日彼女の家に寄っていろいろくだらないことしゃべったりとかしてた。
彼女の親の話だと普段は無口でほとんど笑いもしないらしいのだけど、
2人でしゃべってるときはホントに楽しそうで、オレも明るい彼女がみれて嬉しかった。
少しして結構外にも出られるようになったんで、元気だそうと思って休みはいつもいろんなトコ
連れて回っんだけど、彼女は近くのケーキ屋がお気に入りだったらしく、
甘い物食えないオレも無理矢理連れてかれてた。

29 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/22(土) 18:47
そんな感じで3ヶ月くらい過ぎていって、ある日、彼女が自殺したって電話が向こうの親からあった。
遺書とかはなかったらしくて何がなんだかわかんなかった。

その夜少し泣いたけど遺体と対面して火葬も終わっても全然夢みてるみたいで、
足が地に着かない感じで、ほとんど実感がわかなかった(ドラマみたいだーとか思ってた)。
焼き場の帰り何気なくいつものケーキ屋に立ち寄って、店員にいつも飲んでたコーヒーを注文したとたん、
(あれ、何であいついないんだろ?トイレか?)と思って勝手に彼女が好きで
よく食べてたモンブランを注文した。すぐに自分の間違いに気付いたけど。
運ばれてきたモンブラン食べてる途中彼女の笑った顔とか付き合うようになったきっかけとか
いろいろ勝手に思い出してきて鼻水テーブルに垂らすくらい泣いた。 迷惑な客だったろうな。

32 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/25(火) 20:56
自分で望んでいった大学なのに途中から行く気がなくなり、
バイト以外は家から出ない、半ヒッキー状態だった私。
ついに大学中退したいと、母親と単身赴任から一時帰宅してた父親に言った。
母親は泣いて思いとどまるように言い、父親はただ黙っていた。
赴任先に戻る日、街中に家族で出かけるなんてことなんて
10年以上なかった父に誘われて池袋まで一緒に行った。
そして駅を降りてすぐの喫茶店に入りケーキとコーヒーを頼んだが、
たのんだチーズケーキはすっごくまずくて味もくそもないようなもので
かといって食べてでもいないと父と向き合って話をしなければならなくて、
でも話をするのは怖くて食べつづけてた。
とてもとても長く気まずい沈黙のあと、父が
「・・・・やめたければやめればいい。お前の人生だ、お父さんが決めることはできない。
お前の好きにしなさい。」
ぼろぼろぼろぼろ涙が出てきて、
こんな自分でも尊重してくれてる父に申し訳なくって、
結局甘えて逃げてるだけの自分と付き合わされたようで、
だんだん自分でも何のために泣いてるのかが分からなくって、
情けなくって余計に涙が止まらなくなってさらにぼろぼろと泣いた。
その間、父親は何も言わないで黙っていてくれた。
はたから見たら、中年サラリーマンと泣いてる女子大生の
明らかに変な組み合わせだったのに(笑)
結局大学は辞めました。今から7年前の話です。

大学を辞めたことは後悔していないけど、
両親を悲しませたことは今でも思い出すだけでダッシュで親孝行しに行きたい気分にさせますね。
あのチーズケーキはもう2度と味わいたくない味です。

36 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/26(水) 17:08
先日、妹と電話で話していたときに思ったこと。
それは、“また、6人(祖父母、両親、妹、私)で、すき焼き食べたいね”
ということだった。
あの頃は、本当に幸せだった。暖かくて、優しくて、楽しかった。
でも、もう叶わない。祖母も父もいなくなってしまったし、
残った4人は、それぞれの理由で、別々に暮らしているから。
だけど、あの時の思い出があるから、今もそれを糧にして、
それぞれの世界で頑張っていける…。
食べ物って、その時に食べるだけじゃないんだね。

62 名前:名無しさん 投稿日:2000/07/29(土) 08:52
私が大学1年の頃の話。大学の演劇サークルでぎりぎりまで
裏方の仕事をしていたら何時のまにか雪が降り出した。たいしたことないと
高をくくっていたけど、地元駅についたとき
すでに自宅の車が出せないくらいひどい状態になっていた。
時はすでに12時をまわっていて、タクシーはつかまらないし、バスも走ってない。
自業自得と思いながら豪雪の中、徒歩ですべりそうな道を帰ることに。
当然人っ子一人いず、みじめで、本当にこわかった。

すると最後の坂にさしかかりそうなあたりで誰かがよろよろ歩いてくるのがみえた。
父だった。
そのとき父はひざをいためていて、ふつうに歩くのも困難だったにもかかわらず
私のためになぜか広げたかさ2本とバスタオルをもってひざをかばうようにゆっくりと
歩いてきた。
「こんなことしなくてよかったのに」
と涙声で言ったら、
「あたりまえだから、心配してるんだから」
といって、いらないといったのに「とりあえず体をあっためなきゃ」
といってコンビニで私にだけ肉まんをかってくれた。
自分は足が痛くて食べる気も起きなかったんだろうに。

それから2年を経た今は、出来事の記憶とともに、湯気のたったふかふかの肉まんの
イメージしか残ってなくて、味なんてまったく覚えていないんだけど、このことを考えるたびに
両親にはかなわないな、と思う。
今は離れて暮らしているけど帰ったら一番に父に会いたい。

78 名前:恋はメキメキ 投稿日:2000/08/06(日) 15:34
高校3年の頃、オレの小遣いは月5000円だった。

夏を迎えようとした頃、とても好きな女の子が出来た。
今までだったら遠くから眺めるだけだったのに、
なぜか変な勇気が出てきて、告白した。

初めてのデートは映画館だった。
(今日はおごらなけりゃな。)
そう思い込んだオレは、映画の券に、コーラ&ハンバーガー、
そのあとのゲーセンまで全部おごった。

彼女とサヨナラした後、サイフの中は100円玉がひとつだけ。
緊張から開放された帰り道、自動販売機で缶コーヒーを
買って飲んだ。

美味かった。
情けなかったけど、やっぱり美味かった。

79 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/08/06(日) 16:40
私が中学2年の時。
悪性リンパ腫で入院してた母は私が近くのうどん屋から買ってくる
鍋焼きうどんをとても楽しみにしていました。
もちろん病院には内緒だからケーキの箱に鍋焼きうどんを
入れてこっそりと持ちこんでたんです。

その日も母は鍋焼きうどんを私に頼みましたが友達と約束が
あったかなんだかで私はさっさと帰ってしまいました。
最初は余命数ヶ月と宣言されたんだけどその頃は自宅療養も期待できるとか
医者に言われるほど良くなってたので気が緩んでたのかもしれません。
結局生きてる母を見たのはその時が最後になってしまいました。

亡くなった母を自宅に連れて帰る事になって途中で何故か
親族一同うどん屋に寄りました。
皆朝から何も食べてなかったし家まで車で3時間はかかるし..これから
通夜だ葬儀だで忙しいぞっと腹ごしらえをする事になったのです。
子供心にお母さんが死んだのになんで皆食欲があるんだろうと
怒ってました。
姉にちゃんと食べるように言われてそばを注文しました。
うどんは母に買ってあげなかった事を思い出して頼めなかった。
外は梅雨時だったいうのに嘘みたいに晴れていて
悲しいはずなのに皆ちゃんとご飯が食べられて。
あの時複雑な思いのまま食べた昼食は忘れられない。
あれから18年間うどんは一口も食べていません。
死ぬまで食べないと思います。
今でも自分の薄情さを後悔してる。

104 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/09/01(金) 03:49
20の時、蕎麦屋を経営していた叔父さんが自ら生命を経ってしまった。
その日会社で仕事してて、母親づてに上司から連絡を受けてビックリしてしまった。
どうして、なんで…?先週お父さんと2人で昼食を食べにいった時は、
ニコニコ笑いながら「また食べにおいでよ」と言ってたのに…。
その時叔父さんは家庭が上手くいってなかったらしい。遺書は残ってなくて、発作的に
衝動的に逝ってしまったみたい。
葬式が終わった後、親族は皆叔父さんの店に集まった。
厨房はそのまま開店出来る状態になってて、冷蔵庫には仕込みの終わった
蕎麦や海老がそのまま残ってたって。
叔父さんの一家は全員蕎麦屋を経営してて、当たり前だけど顔の作りも皆似ているのね。
叔父さんは兄弟の末っ子で、お兄さん達が叔父さんが最期にうった蕎麦を皆にふるまおうって事になって…。
なんだかもうこの世にいない人がうったお蕎麦を食べるっていうのが不思議な感覚だった。
皆で食べたお蕎麦、美味しかった。その席で叔父さんのお兄さんがポツリと
「この蕎麦茹でてる時、なんだかオレは泣けてきてたまらなかった。」と言ってた。

あの時食べた叔父さんの最期のお蕎麦の味、忘れられない。

60 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/07/28(金) 23:22
ごめんねー、食傷気味かもしれないけど、私の大事な思い出の食事。
一時期入院して、ベッドから一歩も降りられない状態だった。病院食は単調で
ゲロまずで、うんざりしていたな。
唯一楽しみだったのが、仕事で忙しかった母が、毎日必ず顔を出してくれたこと。
そして、イチゴかりんごを差し入れてくれた。イチゴはちゃんと蔕を取って、
りんごはウサギにして、変色せぬよう塩水につけて。これだって単調なはずなのに、
ちっとも飽きなかったのが不思議。『はい、どうぞ』と笑顔で楊枝に差して持たせてくれた母。

母はもう亡くなっていて、いない。イチゴや、塩水に漬けたりんごを食べるたび、
彼女を思い出す。他にもここに書ききれぬほど、たくさんの家族、恋人との思い出の
食事がある。10代の人にもいつかきっと、わかるよ。
思い出を食べながら、生きてることに気づく日がくるだろうからね。




     

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