PickUp #111  2002.09.13   <- Prev  Home   Next ->


思い出してホローリくる家族との思い出Part2 より

353 名前:・・・ 投稿日:02/04/12 03:39 ID:L/1B4Xh2
母方の祖父が死んだ時だ。その時俺は小学4年生くらいか。
今夜が峠、と言われたのかどうかは知らないが、子供の俺と兄は初めて病室に連れて行かれた。
そこで見たのは苦しむ祖父の姿。祖父はこちらを見もせずにただ苦しんでいた。

次の日の朝、家に両親がいないことに気づき、兄が母の実家に恐る恐る電話をした。
そして、電話を切って、「じいちゃん死んじゃったんだって」と俺に一言。
俺は泣かなかった。もちろん兄も。大人たちが葬儀の準備をする間も、
なにかに焦る衝動に絶えながら、ぐっと涙を堪えていた。

だが、突然母が泣いた。「もっといっぱい遊んでもらえたらよかったのになぁ」と
嗚咽混じりの声で言った。それを聞いて、泣き虫だった俺はとうとう泣いてしまった。
母が泣くのを見たのはあれが初めてだったから。

葬儀では涙が止まらなかった。そんなに祖父と仲が良かったわけではない。
だが、人が死ぬってことは、もう会えなくなることだってことに気づいてしまったから。
本当に悲しくてしょうがなかった。泣いて泣いて、声がかれるまで泣きまくった。

今でもこの話は家族とはしたくはない。昔の弱かった自分を思い出してしまうからだ。
まだまだガキだ、俺は。。。

435 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/05 04:44 ID:???
実家は個人商店だった。
お袋も実家から少し離れた店に出ていることが多く、物心つく前から、
お袋方のばあちゃんがおれの面倒をよくみてくれていた。
ばあちゃんの家は実家から車で20分程度の距離にあって、
その頃はお袋の兄貴が実家まで送ってくれていた。

おれが大きくなって、自分の身の回りのことができるようになると、
ばあちゃんの出番は少なくなった。
しかし、そのころからばあちゃんは車で20分の距離を歩き、一人で来はじめた。
片側1車線の歩道もろくに整備されていない道を、何時間もかけて歩いて来た。
バスは通っていたけれど、とにかく歩いてきた。数ヵ月に1回くらいの割合で。
ばあちゃんの家にいる従兄弟はばあちゃんを相手にせず、
その家の嫁ともうまくいっていなかったのを知ったのはずいぶん後のことだ。

ばあちゃんの来訪は長く続いた。ただ歳を取るにつれて、お袋の兄貴が送って来たり、
お袋が迎えに行くことも多くなった。1泊程度泊まって帰るのが常だった。
10代も終わりを告げようとしていた頃のおれに対して、
ばあちゃんは何度か部屋のドアをノックし、微笑みながら顔をのぞかせる。
おれは邪険ではないにせよ、つっけんどんな態度をとっていたような気がする。
親父やお袋に反抗的な態度をとっていた手前もあったかもしれない。

ばあちゃんは近くの店で菓子やらパンやらを買ってくる。
おれがいくつになっても「おあがんなさい」といって買ってきてくれるのは、
いつもだいたい同じものだった。そしてジュースといえば三ツ矢サイダーだった。
そんなばあちゃんのことがおれは好きだった。

ばあちゃんに異変が起き出したのはおれが仕事を始め、
一人暮らしをするかしないかの頃だった。
おれの実家に来て、散歩に出かけるとなかなか帰ってこられない。
「どうもボケが始まったらしい」そんな話が出てからもしばらくは小康状態で、
それほど心配はなかった。

436 名前:435 投稿日:02/05/05 04:47 ID:???
おれが一人暮らしを始めて2年ほど過ぎた8月中旬、
世間はお盆休みだったが仕事の都合でおれは会社にいた。夕方実家から電話がかかってきた。
「ばあちゃんがいなくなったらしい」しかも昼前から見かけていないという。
「すみません、ばあちゃんがいなくなったらしいんです。帰ります」
あわてて電車に飛び乗り、車でばあちゃんの家に向かった。
大事なものの価値を普段は見失いがちだ。失いそうになって初めて気づく。

ばあちゃんの家につくと同時に、警察から保護されたという知らせが入っていた。
おれは竹やぶのなか、一人で泣いた。
戻ってきたばあちゃんはちょっとビックリしたような感じだった。
照れくさそうにしているようにも思えた。
久しぶりにばあちゃんのそばで寝たが眠れなかった。
発見された場所は知り合いも誰もいない10キロ近く離れた住宅街だった。
発見者によると、ヨロヨロしていて危ないなあと思っていたら、
歩道と車道の段差で転んでしばらく動かなかったので、声をかけたという。
記録的な炎天下の中、どこへ行こうとしていたのだろう。
この日を境にばあちゃんの痴呆が進んでいった。

介護施設から老人病院と送られ、見舞いに行くたびにやせ細っていった。
車椅子から寝たきりへ。思い出も何もかも失って、
あの日から数年過ぎた8月終わりの残暑の中、旅立った。

最近、法事でばあちゃんの家にいった。
昼飯を食いながら従兄弟が「ばあちゃんはいつも同じ菓子買ってきてさぁ」
とウンザリした口調で言うのに腹が立ったが、黙っていた。
飯を食い終わって家の周りをブラブラしていると、
裏の小屋にばあちゃんが愛用していた小さなカートが置かれていた。
バスケットの中をのぞいてみると、ばあちゃんがよく買ってきてくれた
菓子の空き箱が入っていた。
「これになんの文句があるんだよ、バカヤロウ」 ボロボロ涙が出た。

ゴメン書いてたら止まらなくなった。長文すまん。

448 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/06 19:29 ID:???
俺はじいちゃんっ子だった。高校生くらいになると、
冗談や軽い皮肉みたいなことを言い合うようになって、
お互い笑いあうような仲良しになっていた。
俺が高校卒業してまもなくじいちゃんは癌で入院した。
あっという間に死んでしまった。
俺は今就職活動をしてるんですが、最近夢にじいちゃんが出てきて、
「就職決まりそうか?俺が知り合いにでもあたってみようか?
お前は生意気だからどこも雇ってくれないだろう?」
みたいな軽い皮肉を言われ、俺は夢で、
「じいちゃんのコネなんてたいしたことないじゃーん」
と、生意気な口をたたき、お互い笑う。というのを見た。
このことをばあちゃんに話したら、あんたのことすごく心配してたんだよ
といわれた。
天国でも俺のことを心配してくれてんのかと思い、涙が出た。
もう生意気なこと言わないからもう一度夢に出てきて欲しい。

あんまり泣けないからsage

629 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/03 23:20 ID:X0FtJvvI
俺は昔っからばあちゃん子だった。
唯一信じきれる人がばあちゃんだ。もう3年前に亡くなった。

家の家系は癌で死ぬ確率が高いらしい。ばあちゃんも胃癌だった。
実家は山口がだ、親戚のほとんどが大阪にいるって理由で大阪の叔母の家に移る事になった。
三年前の今頃、ばあちゃんに会いに一人で大阪に行った。あんなにふくよかな体だったのにひどく痩せてた。
プリンが好きそうだったらプリンを買ってあげたら一つだけ喜んで食べてた。
ばあちゃんが横になった時に叔母が「あんたが来たから無理して食べたんだろうね・・・」
ほとんど何も食べてないそうだ。二日間ばあちゃんと話した。
帰る時に、外からばあちゃんの部屋を見るとばあちゃんが何度も何度も手を振ってくれてた。
ずっとずっと俺に手を振ってくれてた。

半年後、容態が悪化し、家族と大阪に行った。
体のあちこちに管が刺さっており、生きているというよりも生かされている様に見えた。
意識がないのに、母が手を握ると、握り返したそうだ。
俺は恐ろしくて手を握れなかった・・・
寝るとき意外はほとんど側にいたが、特に変化もなく、一度帰る事になった。

帰ったのは夜8時過ぎだった。すぐに電話がかかってきた。
「たった今亡くなったよ・・・」


今でも悔やまれる。どうしてあの時、一人でも残ると言えなかったんだろう・・・
ばあちゃんの事を思い出すと今でも涙が出てくる・・・会いたいな・・・おばあちゃん・・・

747 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/19 09:24 ID:bAB5gMDu

おじいちゃんが死んでもうすぐ1年。
毎年お盆におじいちゃんに会うの楽しみにしてたのに今年は会えない・・・

小学校の頃車で夜中に着くといつも
「枕かしてな、○○はこれで寝てくれるか?」と言って細い腕を出してたっけ。
帰る時はいつも
「また来いよ〜〜」と言って見えなくなるまで手を振っていてた。

そして私も母になった今では、私の子供と遊びながら
「子は宝や ありがたいなぁ ほんまにありがたい」
と満面の笑みを浮かべて言っていたのを思い出しては涙が・・・
「いつも感謝せなあかん、子は親に 親は子に。」
この言葉に何度助けられたか・・・
そしてこの先もおじいちゃんはこの言葉で私を助けてくれるんだろうと思う。
おじいちゃん ありがとう。

おじいちゃんも宝だったよ・・・・私にとって。

836 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/08/01 06:04 ID:6a8CZqWm
八十も半ばを過ぎた祖父が今、脳梗塞で明日をもしれない状態にいる。
病院に運び込まれた時にはもう手の施しようがない状態で、意識の回復も望めないだろうと宣告された。
それでも最初の数ヶ月は多少の反応があった。目も殆ど見えていないらしかったし
体を起こす事も出来ないけど、手足や頭はよく動かしていた。ちょっと喋りもした。
でも、痴呆状態で殆ど分かっていないかもしれないと医者に言われた。
実際、運び込まれてすぐの時に「ありゃ、本拠地に攻め込んだから負けたんだ」とか
じいちゃん得意の戦争話を呟いていた事もあったし(苦笑)
気道切開されてからは、祖父が出来るのはごくごく簡単な質問に僅かに首を振るだけで、
こっちの事が分かってるのか分かってないのか、ちゃんと確かめることはずっと出来なかった。
それでも付き添いに行った時は出来るだけ話しかけた。
あんまり口数の多い人じゃなかったから、二人だけでちゃんと話したことなんて
一度も無かったけど、何でも良いから話しかけて、体をさすった。
ある日いつものように話かけながら手を握ると、祖父が親指の腹で掌をぎゅっ、ぎゅっ、と押してきた。
それもいつものことだったから「おじいちゃんさ、よくこうやってマッサージしてくれるよね。
これ結構気持ち良いよ?」って冗談めかして言ってみた。
そしたら次の瞬間ぐいっと手を引かれて手首を強く掴まれた。
驚いて動けずにいると、今度は手首から肩にかけてをぎゅっ、ぎゅっ、と……。
その瞬間、今まで掌や指を押してくれたのは、じいちゃんなりの「ありがとう」だったんだって気付いた。
じいちゃん分かってる、分かってるから泣いちゃいけないって思ったけど、
声が震えないようにガマンして「ありがとね」って言うのが精一杯だった。

今、じいちゃんはばあちゃんの所に行こうとしてる。
コーヒーが好きでついこの間まで現役で仕事してて戦争の話が得意な自慢のじいちゃん。
じいちゃんの掌の感触だけは、一生忘れないよ。




     

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