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【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ【希望】 より

49 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/09/05 18:44 ID:psDGKTu9
そいつは生まれつき腎臓が弱く人工透析なしではいきられない体だった。
知り合った時は年の割には老けてるがなぜか悟りを開いたような
高僧の雰囲気を持った奴だなと思っていた。
頼まれた仕事はイヤな顔ひとつせず、いつもニッコリ笑って
引き受けてくれた。
少しはのんびりしろよ、と言ってもいつも頑張ってた。
そいつが昨日死んだ。幼い子供2人残して・・・
安らかな死に顔だった。
もう透析しなくていい。もう重い体で働かなくてもいい。
死の恐怖に怯えて生きなくていい。
子供の事は心残りだろうが、ゆっくり休んでくれ。
自分より若い奴の死はつらい・・・・

41 名前:  投稿日:02/09/05 02:00 ID:lY8U0aPg
高校生の時に付き合ってた人がデートの別れ際に私の目の前に交通事故にあった。
私が救急車をよんで彼は「全然大丈夫だから」と言って救急車に乗り込んだ。
ほんとにその時は全く平気っぽくみえて私も安心していた。でもその夜に彼が死んだ。
なんにも感じなかったし、彼が死んだことを受け入れられなかった。
お葬式の日も私は全く悲しいとかそういう感情もなくて、彼が死んだことになにも感じなかった。
そんな自分を責めたりもしたけど、どうしても悲しくなかったし、泣くこともできなかった。
周りはすごく私に気を使ってくれたんだけど、そう言う風に気を使われるのも私にとっては
うっとおしいだけだった。
半年ぐらい経って友達と死んでしまった彼のことを話していると
なぜだか急に涙があふれてきて私は泣き崩れた。自分でもびっくりするぐらい涙が出て、
悲しいって感情は無いのにどうして涙だけが出るのかわからなかったけど、
彼氏が死んでから半年経ったその時私は初めて泣いた。

46 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/09/05 08:07 ID:y3Ray4aC
ガンで3年前に亡くなった主人。
看病疲れでうとうとしてしまうと、必ず
自分の布団を私にかけてくれていた。
元気な時は口うるさくて頑固で、何をしてあげても
感謝の気持ちも何も表してくれなかった。
そんな主人の最後の言葉は
「いろいろありがとう。ひとりにして申し訳ない」
でした。

67 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/09/06 03:02 ID:/5oCcmM8
私も一つ

随分昔の話です。
とある病院の外科。13歳位の少年が、何の病気かは判りませんが、
体中にチューブを付けられ(点滴、静脈栄養、心電図などの計測機器、人工呼吸器等)
話も満足に出来ない状態にありました。
手術をしても成功率は低く、また成功しても5年生きれるかどうかも判らない。
その手術の前日。
主治医は少年のベッドの傍に座り、
「●●君、痛くないか?苦しくないか?」
と訊いていました。
痛くないわけがないのですが、少年は、点滴針が刺さった手をゆっくり持ち上げて、
ピースの形を作って医者に微笑みました。
それを見たDrは、その手を握り、
「そうか、頑張れ、手術一緒に頑張ろうな」
と言って、何度も何度も励ましていました。
結果、手術後少年は亡くなりました。
その主治医は自室で静かに泣いていたそうです。

長文スマソ

94 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/09/07 19:52 ID:oh3qwqQn
小学生の頃、俺は引っ越しばっかで全く友達がいなかった。
ってか、友達なんか必要ないって思ってた。
ホントは寂しくて仕方なかったけど、できあがった輪の中に入ることが怖くていつも一人で遊んでた。
たまに誘われても「どーせすぐ別れる」とか思ってたら愛想笑いして断るのが上手くなった。
で、小6くらいの時またいつものように引っ越しした。
だけど、そのときの引っ越しはいつもとはちょっと違ってもう一度同じ学校に戻ることになった。
小学校2年の時の学校に。
予想はしてた。
居る時間も短かったし俺のことを覚えてる奴はほとんどいなかった。
俺だって相手のことを忘れていた。思い出す気もなかった。いつものように一人で居た。
この年になると表面上つるむ事はし出してたけど大体は一人だった。
で、またその学校で過ごすようになって1週間くらいたった頃、一人の野郎が俺に封筒を渡してきた。
「おかえり。」とか言って。
何言ってんだ?こいつ。とか思って封筒の中身見たら、小2の遠足ん時の写真だった。
集合写真じゃなくて、俺と、そいつで撮ってる写真。
たまたま近くにいたから、気まぐれで、思いつきで撮った写真だろう。
撮ったことなんか全然覚えてなかった。
俺のアルバムはほとんど集合写真。
写真を撮らないから。
撮る相手も撮ってくれる相手もいないから。
家族は写真じゃなくてビデオばっか撮ってたし、ホントどのページも集合写真。
だからアルバムは嫌いだった。
「なんか捨てるに捨てれなくてさ。渡せて良かったよ。おかえり。」
そう言われた時、俺はヤセ我慢した。
無愛想に「捨てても良かったのに。お前アホやろ。」って言った。
ありがとうも言わなかった。
家帰った後、ずっとその写真眺めてた。
「もっと笑えよなぁ、俺。無愛想な顔しやがって。」とか言ってニヤニヤしてた。
・・・嬉しくて泣いていた。

まこちん、あん時はホンマありがとう。
今でも感謝してる。

130 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/09/20 01:39 ID:gXV7rd6v
私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。
ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。
私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが
多かったのです。
でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、
励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、
「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありました。

彼との別れは突然訪れます。彼が交通事故で亡くなったのです。
彼のお葬式に行っても、まったく実感が湧きませんでした。
お葬式の後、彼の両親から彼の携帯を渡されました。
何気なく携帯をいじっていると、送信されていない私宛のメールが
たくさんあるのに気付きました。
そのメールには仕事のグチや悩みごとなどがたくさん書いてありました。
その瞬間、私は彼の辛さに気付かなかった自分のくやしさや、無神経な言葉を言った
自分への後悔、常に私を気遣っていてくれた彼への感謝で涙が止まりませんでした。
あの日から1年以上になりますが、その携帯は大切にとってあります。

98 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/09/08 03:07 ID:3ng92r0L
私の父親は白血病だった。小さな病院で肺炎といわれたが
不信に思った母が大きな病院につれて行くと即入院だった。
いまいち病気の恐ろしさのわからなかった私はどこかで自分の父親が死ぬなんて
ありえないとおもってた。
親孝行もまだ何もしてないのに、やっと仲良く話せるようになったのに。
発覚から一年後、愛犬が血液のとまらない病気で死んじゃった。
身代わりになろうとしたのかな。。。
だからぱぱも頑張った。でもどんどん衰弱して行くぱぱ、
ある日ぱぱの前の妻と娘が家に来た。二人で住みたいから頭金がほしいと。
ぱぱは言った。もうあげられるお金は自分が死んだとき娘に遺産を分けることしかできないと。
それでもずっと生きてくれると思ってた。
そして発覚から2年半後その日は来てしまいました。
子供たちに手をにぎられてしにたい。そう最後に言っていました。
ありがと。ぱぱ。ギュット手を握り締めて一粒だけ涙を流しました。
そしてぱぱは息を引き取りました。
一番つらいのはままに決まってる。だから涙をこらえました。
誰もいないところで一人思いっきり泣きました。
ぱぱの子供でよかったよ。ありがとう。




     

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