No.444 思い出に残る写真 より
- 6 :名無しさん脚 :03/11/01 22:33 ID:lSntKWDE
- 何気ない友人5人くらいで撮った写真。
そのうちの1人がその直後事故で亡くなった。
そこに写っていたのはいつもと全く変わらない笑顔。
その友人にとって、その時これが人生最後の写真になるとは
夢にも思っていなかったんだろうな・・・と写真を見て今でも思う。
- 34 :名無しさん脚 :03/11/12 01:06 ID:gPgmfoZm
- 自分が小学生の頃、図工の時間に写真立てを作った。
苦心の末になんとか皆完成。
そこで先生が記念にそこに飾る写真を撮ってくれるといって、一人一人写真を撮っていった。
数日後、先生が持って来たのはマウントされたポジだった。
先生「なんかフィルムが違うみたいでこうなっちゃったんだよ。仕方ないからとりあえずこれを上げるね」
当時の自分はポジなんか知らなかったので、面白いフィルムもあるんだなと思っただけだった。
今、自分は大学生になり、写真が趣味になった。
残念ながらその時のポジはもうどこかに行ってしまったけど、今になって思えば安月給の中、記念だからと高価なフィルムを買ってくれた先生の愛を感じる。
- 41 :名無しさん脚 :03/11/14 22:57 ID:ukZgQDUP
- フィルムスキャナー買った
実家に帰って古いフィルム探してスキャンしてみた
ひび割れだらけの、ネガから
母親と手を繋いでいる幼い自分がモノクロームで写っていた。
今は恥ずかしくて出来ないけど、綺麗な記憶だけが甦った.......
A4に印刷して実家に送りました
- 67 :名無しさん脚 :04/02/07 02:52 ID:m+bqjC8Z
- 私には父がいない。
私が10歳くらいの時に外に恋人を作り、その人との間に子供を作り、出て行ってしまった。
正式に離婚したのは私が15歳くらいの頃のようだが、養育費も途中で途絶え、母は女一人で兄妹3人を抱えてずいぶん苦労していた。
末っ子の私はずっと「自分は既に愛のなくなった夫婦の間に
うっかり生まれてしまったやっかいものなんだろう」と思っていた。
常に「自分は”いらないもの”」そう思ってた。
高校生の頃、家の片づけをしていた時、古い封筒がみつかった。
「最愛の○○(父の名前)ちゃんへ」
父のノートも見つかった。
・・・他の女性への愛を語る文ばかりだった。
くやしかったし、悲しかった。なぜ、生涯愛せないような女性と無責任に・・・。
せめて私を生まなければ母の負担も少しは楽になったろうに。
つい最近になって、母の元でたんすの隅から一枚の写真を見つけた。
父と母と兄と姉。母のおなかは大きい。そのなかにいるのは、私。
母が気にして父の写真はなるべく隠してしまっていたらしい。
みんな嬉しそうに笑っている。
・・・よかった、私も愛情を受けて生まれたんだ・・・初めてそう思えた。
その後、父の気持ちは変わってしまったのだろうけど、
私の生まれたときには間違いなく私にも、母にも精一杯の気持ちを贈ってくれていたに違いない。
まだ父を心から許せるわけではないけれど、自分の存在を少しだけ許せた。
やさしい笑顔の父を少しだけ好きになった。
自分が嫌いだから写真も大嫌いだった。
プリクラ全盛期に高校生だったのに、プリクラ撮った事すらない。
でも写真って素敵なんだね。そこに愛を写せるなんて知らなかったよ。
自分と、今同居中の彼氏。これからどうなるか分からないけど、
今はまだ間違いなくある愛を残しておこうって思った。
結局何が言いたいのか良く分かんなくなっちゃった。
駄文なのに長文でゴメンよ。
- 126 :名無しさん脚 :04/08/25 16:48 ID:yg+7mw1W
- 漏れが5才の頃、撮った犬の写真。
たぶん初めて自分でシャッター押したんだと思う。
祖母宅で飼われている秋田犬。
あの時、誰かから、犬なんてフイルムがもったいない。と言われたっけ。
あれから30年以上して、今、犬の写真を仕事にしているとは、
不思議。
- 128 :名無しさん脚 :04/08/27 14:51 ID:QGRBRCBb
- 子供の頃、母に連れられて美術館へいったとき、モネの睡蓮に感動し、あんな絵が描けるようになりたいと思った。
中学に入って美術部に入りたかったが、まわりの友達がみんな運動部に入るので泳ぎが得意だった私は水泳部へ。
1年後耳を悪くしドクターストップがかかり退部、念願の美術部へ。
しかし他の部員より遅れてのスタートなため、常に劣等感を持っていて、
自分には才能がないなどと思ってしまっていた。
そんなある日、雑誌か何かで木原和人氏の写真に出会った。
ポピーの写真だった。
それまでは花の写真なんて気にもとめていなかったが、氏の写真には何か惹かれる物があった。
同時に花を表現するのは絵だけじゃないことにも気づいた。
それから約1年、必死に金をためて念願の一眼レフを手にした。
しかしその一週間後、木原氏は他界されてしまった。
それからというもの、私は筆をカメラに持ち替え、野山を駆け回って花を撮った。
そしてやっと他人に見せても恥ずかしくないレベルの写真が撮れるようになった頃、
私の中のモネは木原氏にかわっていた。
あれから17年。私はいまだに花を撮っている。
去年、9才の娘が一眼レフで写真を撮り始めた。
被写体は花。
きっかけを作ってくれた母は、私が美術部に入った頃に絵を習い始めた。
絵を見ることは好きだった母だが、それまで自分ではまったく描いていなかった。
今から考えると私と一緒に絵を描きたかったのかもしれない。
今では個展を開くまでになった。
描いているのは花。
- 137 :名無しさん脚 :04/10/13 17:37:07 ID:Ld6iCBV3
- 母の部屋には私達が子供の頃の写真が飾ってある。
その中で、引き伸ばして一番大きな写真があるのだけれど
それは家族で山登りをした時の写真で、
私も兄も妹も疲れ果てていて汗だくだしニコリともしてなくて
ハッキリ言って全然可愛くない写真だった。飾るのはかまわないけれど
わざわざ大きく引き伸ばすほどのものではないと思い、
「他にもっといい写真あるでしょ。どうせなら
可愛く撮れてるヤツを引き伸ばしてよ」
と言ったら、
「これがいいんだよ。アンタ達の素の表情なんだから」
と母はやたらと嬉しそうだった。
「私が死んだらこの写真も一緒に燃やしてね」とも言われた。
まだまだ死なないでね。
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