PickUp #232  2003.08.08   <- Prev  Home   Next ->


No.232 【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ【希望】 より

321 名前:病弱名無しさん 投稿日:03/01/06 15:14 ID:eEpZL5Ct
仕事始めで憂鬱だが、ここのスレ見てまた頑張ろうと思いますた。

去年の夏は毎日のように、会社近くの公園のベンチに座って携帯電話を握っていた。
入院中の親父の病状を母親に確認するのと、看病で疲れている母親を励ますため。
病状と同様、母親の精神状態も一進一退で、昨日電話口で号泣され、すぐ帰ってこいと
言ったと思ったら、次の日には嘘のように元気な声で「当分持ちそうだから帰って来なくていい」。

いつも昼飯食ったあと、ベンチに直行。蝉がミンミン鳴く中、母親を慰めたり
あまりわからないことを言うときには怒鳴りつけたりと、本当に辛かったが、
闘病中の親父はもっと辛いだろうと何とか耐えた。
ベンチから遠くに見える建設中のマンションを見るともなしに見ながら、
こんな苦しみがいつまで続くのだろうと思った。

親父が力尽きたのは、暑さもピークの8月。会議中に同僚の子が知らせてくれた。
喪主だったので、ばたばたして悲しみに浸る間もなく、また仕事が立て込んでいた
こともあって、式の翌日には東京に戻ってきていた。

四十九日が済み、仕事も落ち着いた秋口頃、久々に公園のベンチに座ってみた。
暑く、辛かった夏を思い出しながら遠くを見ると、建設中だったマンションが
立派に完成していた。

ふと、あのマンションの建設中は、親父は確かに生きていたんだと思うと、
なぜか涙が止まらなくなった。俺も母親も辛かったが、親父が生きててくれるなら
あれくらいの苦しみ、何年でも続けてあげられたのに。
あの辛かった日々が、愛しくさえ思えてきた。
またマンションが建設中になればいい、と思った。

でも親父も辛かったんだよな。苦しかったんだよな。
今は楽になったか? 今年は初めて親父のいない正月だったよ。
産まれてすぐ入院しちまったから、結局親父が一度も抱けなかった
孫(姉貴の息子)がな、物に捕まりながらだけど立つようになったぜ。

336 名前:体育会系中年男 投稿日:03/01/11 01:24 ID:ADu48xNP
1990年5月、婚約者が肝臓ガンで余命半年と宣告された。
自分より2歳年下の彼女は当時25歳、将来の生活を想像し、
お互い希望に胸膨らませ、幸せの絶頂にあった2人にとって、
それは到底絶え難き試練であった。しかし、彼女は強かった。
事実を受け入れ、最期まで諦めずに生きると誓ってくれた。
そこから2人3脚の闘病生活が始まった。大型トレーラーの
運転手である自分は勤務が不規則ではあったが、それでも、
出来る限り彼女の病室を訪れ、励まし、応援を送り続けた。
彼女もそれに応えるように治療に望み、一歩ずつではあるが
歩き続けた。その結果、その年の9月には、2人で北海道を
旅行出来るまでに回復した。そして、一縷の望みが生まれた。
『もしかしたら、彼女は助かるかもしれない!』

話は2泊3日の旅の初日、小樽を訪ねたときに進む。当時、
小樽では『石原裕次郎記念館』の建設工事が進められていた。
母親の影響で、子供の頃から裕次郎のファンだった彼女は、
『もし、私に奇跡が起こって、再び小樽に来られたときは、
 一番に石原裕次郎記念館に来てみたい。』
と言っていた。自分もその言葉に微かながらも希望を持った。

しかし、その奇跡が起こることは無かった。札幌の時計台を
訪れたとき、『恋の街札幌』を唄っていた彼女は、それから
3ヶ月余りが過ぎた1990年12月5日早朝4時31分、
『お爺ちゃんに会いに行って来る!』という言葉を残して、
お婆ちゃん、両親、弟と妹、そして、自分に看取られながら、
大好きだったお爺ちゃんのところへ旅立っていった。

昨年、彼女の13回忌を済ませ、自分も今年40になるが、
自分の心の中に永遠に生き続ける彼女を支えにして、今日も
生きているのである。

449 名前:病弱名無しさん 投稿日:03/02/05 13:43 ID:1pTHuKoP
息子が4才の時、私が羅患していたインフルエンザに感染し、
40度以上の高熱を出し、深夜に痙攣を起こした。
意識はなく、搬入先の病院から、翌朝、県都にある緊急病院に転送された。
ICU(集中治療室)のベッドに寝かされ、胸や鼻にチューブやらコードやら
取り付けられた。

医師からはインフルエンザ脳症ですと告げられ、壊死性脳症というタイプの
病状であり、今のところ小脳が壊死(脳が死んでいる)している旨、また、
症例もあまりなく治療法が確立されていないこと、過去の症例等の説明があった。
その説明を聞いて、「息子はもう死んでしまうのだな」と感じた。

医療処置があるのでとのことで、いったん待合所に出、椅子に座りながら、
妻(別の病院に入院中)にどのように説明しようかと悩んでいた時、
ふと目の前の清涼飲料の自動販売機に気がついた。
その中に息子がよく飲んでいたポケモンのオレンジジュースがあることを発見したのだ。
缶のふたのところに5百円玉位のおおきさのポケモンのコインが入っていて、
息子がコイン目当てに買っていた物だった。
その瞬間、これまでの出来事が余りにも突然なため、「息子の死」というものについて、
実感を持って理解できなっかたのだが、急に涙が溢れてきて、いつまでも止まらなかった。
昨日まで本当に元気にしていた。
覚えたばかりのふざけたテレビ漫画の歌を大声で歌うものだから、「うるせえ!」と
怒鳴りつけたのも昨日のことだ。そんなことが次から次ぎへと走馬燈のように頭の中を
回り、今病院にいることが夢なのかどうかさえも分からなくなり、ひとりで泣き続けた。

450 名前:病弱名無しさん 投稿日:03/02/05 13:45 ID:1pTHuKoP
それから、ICUでの入院生活が続いた。約1週間、依然として胸のチューブ等はついたままで、
意識はあるのかどうか分からず、普段の3分の1位しか開かない眼はうつろだった。
もちろん手や足はほとんど動かなかった。
話しかけても、返事もなく、時折眼球が私の方を追うようにゆっくりと動くが、
見えているのかどうかも分からなかった。

看護婦さんがテレビを運んできてくれた。「外からの刺激も大事ですから」と
NHK教育テレビをつけて去っていった。
それから2.3日。いつもと同じように息子が見えるように教育テレビをつけ、
私は呆然としながら脇に付き添っていた。
すると突然、かすれるような小さい声で「だ...ん....ご」。
びっくりして息子の方を向くと、テレビの方をみながら息子の口元がかすかに笑っている。
しゃべったのだ。
思わずテレビの音量を上げた。
テレビは「ダンゴ三兄弟」の歌を放送していたのだ。やっぱり息子の好きな歌だった。
テレビは見えていたし、歌も覚えていたのだ。
よかった。うれしかった。
歌が終わると、息子は眠りはじめた。
私は自動販売機にポケモンのジュースを買いに行った。

616 :病弱名無しさん :03/03/19 17:03 ID:pRk3Z9Ln
糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。


それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

617 :病弱名無しさん :03/03/19 17:09 ID:pRk3Z9Ln
葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」



その夜、初めて泣いた。



ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。

342 名前:体育会系中年男 投稿日:03/01/12 00:43 ID:I23290Sd
336の続き

この掲示板に書き込んだあと、裕次郎のCDを聞きながら、
一冊のアルバムを眺めていた。その年の夏、2人で北海道を
訪れたときの写真である。病気のために痩せ細ってしまい、
188aで当時95`だった自分と並ぶと、それこそ大人と
子供ほども違う。しかし、それらの写真に写る彼女の表情は、
どれも素晴らしい笑顔ばかりだった。余命半年と宣告された
人間のものとは思えない笑顔を見ているうち、止め処も無く
涙が溢れて来た。今年40になる自分であるが、久しぶりに
泣いた。棚の上に飾ってある彼女の写真を手に取りながら、
夜が更けるまで泣いた。そして、そのまま眠ってしまった。
朝、ラジオ放送の音で目が覚めた。ラジオから聞こえたのは、
彼女の大好きだった『恋の街札幌』である。まるで、彼女が
天国からリクエストしてくれたような巡り合わせであった。




     

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