キャッチボール より
- 1 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/27 14:45 ID:UV4oE9GY
- 親父との思い出と言ったらやっぱりキャッチボールだよ。
小学生の頃、日が落ちるまで付き合ってくれたっけな。
仕事柄日曜が休みじゃなかったから遊ぶのは専ら平日。
学校から帰ってきてからの時間。
親父も歳取っちゃったけどもう一度、
あの頃の様にキャッチボールしたくなったよ。
今度実家に帰ったら言ってみよう。
- 23 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/06/14 09:58 ID:vb3wV5mj
- 年子の弟相手にやった。
女がてらに、そこそこうまかったぞ。
あの頃は砂利道でとり損ねてこけると、ひざ擦りむいて「赤チン」
つけたっけ・・・懐かしい風景。
3丁目の夕日、時代のできごと・・
- 28 名前:ソープ 投稿日:02/06/22 02:28 ID:LFH9meZN
- 自宅の1階の屋根の上に乗っかって凧揚げを17さいまでしていた。
当時電線等、あまりなく(東京都下)タコ糸3こくらいつなげて飛ばしていると
と、父親が『こっちのほうが良く上がる』と、手作りの和凧を作ってくれた。
しかしバランスにミスったのか尻尾を上にしながら飛ぶ凧を作り上げたのには
まいった。
屋根の上に乗っかっている私を叱る出なく、逆さ凧を、自慢げに見ていた姿を
急に、思い出した。
昭和30〜40年代のできごとでした。
- 46 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/06/30 12:16 ID:9fB+Y7/q
- 小学生の頃。
夕方、親父の経営する零細工場の脇で一人壁打ちしてると、親父が軽トラで出先から帰ってきて、
一旦工場の中へ消え、グローブを持って出てくる。
グローブを付けた方の腕を黙って上げる親父。そのグローブめがけて黙って投げる俺。
球が何度か往復した頃、初めて親父が口を開く。
「次、カーブな」
落差に驚き、捕球することができず、後逸した球を追いながら親父を誇らしく思う俺。
5年後に、あれがいわゆる「しょんべんカーブ」だと認識するまで、親父は堀内より、江夏
より、偉大なピッチャーだった。
不況のあおりで工場が倒産し、グレて家を飛び出したのが20年前。
それから一度も親父に会わなかった。
今年の初め、新聞で親父の孤独死を知って駆けつけた時には、もう骨になっていた。
親父の住んでるボロアパート、知ってたのに。近くを何度も通ってたのに。
「もう少し生活が安定したら親父を引き取る」
自分を正当化し続けてきた身勝手な言い分けは、もう親父には届かない。
映画「フィールド オブ ドリームス」って、あれ反則だよな。
- 65 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/07/20 04:32 ID:C/U5Aebk
- 丁度、今お通夜の最中です。兄貴が死にました。
4つ年上の兄貴は40歳の若さで、この世を去りました。胃がんでした。
私の家は、母子家庭でした。だから、初めて野球を教えてくれたのは、親父でなく兄貴でした。新聞配達をして貯めたお金で、私が小学4年のときグローブを買ってくれました。SSKの安いトンボ目のグローブでした。
中学生のくせに、小学生相手に「剛速球」を投げ、取れないと怒鳴る奴でした。
「カーブ!」と一声。私に投げられたボールは、手前で私の視界から消えました。
私の中では、江夏、堀内を凌ぐピッチャーでした。近くの公園で日が暮れるまで、キャッチボールをしました。
「まこ、兄ちゃんが、お前の親父代わりだから、兄ちゃんがお前を大学に行かせてやる!」少しばかり成績の良かった私に、高校を卒業した兄はそう言いました。貧しかった我が家の家計を考えてのことだったと思います。
おかげで私は大学を出させてもらいました。本当に感謝するべきことなのです。
しかし大学卒業後に家を出た私は、兄の恩を忘れていたのでしょうか。私は上場会社で課長になり、兄貴は自営業とはいえ、従業員は兄の妻を含め3名の零細企業です。いつのまにか、兄を見下していた気がします。
何様なんだよ、お前は・・・・・ただ自分を自分で罵ることしか出来ません。
「カーブ!」
にいちゃん、にいちゃん、もう1度でいいから、カーブを投げて欲しいです。
私は、あなたの弟に生まれて本当に良かった。
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