PickUp #265  2004.04.08   <- Prev  Home   Next ->


No.265 (⊃д`) せつない想い出 (´・ω・`) より

527 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/07 00:29 ID:5ViQ33Rq
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

384 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/04 01:08 ID:4QgsxWgR
私は吹奏楽部でクラリネットのパートリーダーをやっている。
高校三年で最後の定期演奏会が学校の体育館であった。
私は演奏会のことを両親に話してはいなかった。
当時のうちの家庭事情は悪いほうで、普段の生活でも両親との会話はまったくなかった。
むしろ私は家が嫌いだった。

演奏会当日、少し緊張しながら音出しをする教室に向かった。
教室にはすでに多くの仲間がいて、それぞれ音出しをしていた。
そのほとんどは両親から楽器を買ってもらっていた。

私はおじさんから借りている楽器にマウスピースをさした。

いよいよ本番。
演奏会はポップスステージまで進み、いよいよ私のソロが迫った。
ステージの前まで行くとそこには両親の姿が!
私は驚いてうまくソロに入ることが出来なかった。
今までになかった大失敗。

演奏会が終ってから両親が私の元へ来た。
「一人で吹くとこは残念だったけど、とても素晴らしい演奏会だったわ」
少し申しわけなさそうな顔で母が言った。

「あんた達がいたからだからね! なんで勝手に来るのよ!」
なんだか母は酔っているかのように、ロレツがまわっていなかった。

385 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/04 01:08 ID:4QgsxWgR
数年後私は東京の大学にいた。
もう楽器はやめた。
あの時の恥ずかしさが忘れられなくて。

ある日講義の合間に友達と話しているとケイタイが鳴った。
番号を知らないはずの父からだった。
「母さんが死んだよ」

私は電車に揺られ、実家に帰った。
そこにはシワだらけの父と、真っ白な母がいた。
他に誰もいなかった。
母は鼻に脱脂綿を詰められて少し苦しそうに見えた。
「お母さんこんな顔だった?」
東京へ出てから一度も実家には帰っていなかった。
「母さんなぁ、耳の癌だったんよ。もう聞こえなくなってずいぶん経ってたんよ。
普通は猫の病気らしいんだけど、母さん運悪かったんだなぁ」

じゃあ、あの演奏会のときも聞こえてなかったの?
聞こえてないのにソロ入れなかったのわかったの?

母には聴こえていたんだ。
私達の音楽が聞こえていたんだ。

私は改めて母の顔を見た。
ふと目を横にやると棺には、おじから借りっ放しだった私のクラリネットが添えられていた。
私の耳にはあの時失敗したソロが聴こえている気がした。
私は泣いた。
母の耳元で泣いた。

318 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/01 23:30 ID:kb86uqQs
小さい頃に母が死んだので、兄ちゃんと俺は親父に育てられた。まあ不器用な人だったから、
素直な兄とは違って、俺はいろいろ親父と衝突した。それでも兄弟二人、無事に社会人になり、
両方合わせて5人の孫を親父に見せてやれた。

そんな親父がガンで入院。もう助からないのでモルヒネで痛みを和らげて最後を待つ日々に
なった。モルヒネの幻覚作用で訳の分からないことばかり口走る親父を見て、夢見ながら楽に
死ねるのがせめてもの救いかな、なんて兄ちゃんと話していた。

ある日、俺が付き添ってるとき、急に俺の手を握って真顔になり、「ちゃんと飯くってるか?風呂
入ってるか?病気とかしてないか?」とか心配し出した。「ああ、大丈夫だよ」と答えると、手に
力を込めて「父さん、お前のこと分かってやれなくてごめんな」と言った。それきり、また幻覚の
世界に戻っていった。

親父が死んで遺品を整理していたら、小学校の頃の作文とか通知票とか、社会人になって
初めての給料で買ってあげたネクタイとか、いろんなものが詰まった衣装ケースが俺の分と
兄ちゃんの分、宝物のように大事にしまってあった。

母が死んでから再婚もせず、好きな釣りもやめて仕事と子育てに追われるだけの日々を送った
親父。これから孝行してやれたのに。早すぎるよ・・・せつないよ・・・。

450 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/05 00:51 ID:T7u2QlWr
5年前、女房が男を作って、4歳の息子を残して家出した。母親を求めて泣きわめく息子を
最初は正直疎ましいと思った。1週間もすると、二人とも現実を受け入れなきゃならないと
痛感するようになり、そのうちに男どうしの生活もうまく回り始めた。

慣れない家事をやってるうちに、何もかも女房任せにしていた自分も悪かったかなとか思う
ようになった。1年もすると、料理や家事もそれなりに上手くなり、息子とも最高に仲良くなれた。

突然、女房に雇われたという弁護士から連絡が入った。俺と正式に離婚して、さらに息子を
引き取りたいと言う。なんでも女房の相手は結構な金持ちらしく、あちらも奥さんとの離婚が
やっと成立したそうだ。ふざけるなと言う俺に、裁判をすれば親権は100%母親に行くと弁護士は
強気だった。

その夜、風呂に入りながら息子に「ママがお前と暮らしたいって言ってるけど、どうする?」と
聞いてみた。案の定、息子は目を輝かせながら「いつ?いつ?」とはしゃいだ。息子が嫌がったら
絶対に渡さないと思っていたけど、あの目を見たら、俺と暮らそうとは言えなかった。

いろんな手続きがあって、息子は(元)女房のところへ行ってしまった。数週間後、俺の口座に
大層な金額が振り込まれていた。その日に届いた手紙には、息子は新しい父親に懐いている
から、もう会わないで欲しいと書かれていた。

ドブに捨てるような使い方をしてやろうかとも思ったが、その金には手を付けないことにした。
息子が成長して免許を取ったら、車でも買ってやろう。それまで俺のことを覚えていてくれる
だろうか。

380 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/03 23:55 ID:BRTHd8Y/
うちの父親は癌で亡くなったけど、最後は頭が壊れてしまったなぁ。現在と過去がごっちゃに
なってた。

私はちっちゃい頃から父さんが大好きで、結婚して子供を産んでからも、しょっちゅう孫を見せに
行ってた。5歳になった孫と私の区別が付かず、頭を撫でながら私の名前を呼んでいた。

いよいよダメだというとき、私が人目も憚らずに泣いていると、父さんが意識を取り戻し、泣いている
私を見て、ちっちゃい頃と同じように優しく微笑んでくれた。それから母さんを呼んで、イチゴを
食べさせてやれと言っていた。大好きなイチゴで泣きやんでいたのは5歳の頃の私だよ、父さん。

643 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/08 13:01 ID:21H/rIm5
18の誕生日に父親から突然、宅急便でプレゼントが届いた。
12歳で両親は離婚。その前の別居期間も長かったから、10年近く会ってなかったと思う。
なにやらデカイ箱。なんだろ?と開けてみると・・・ゾイドだったw
彼の中ではオレは小学生のままなんだろう。
もう高校卒業するんだと頭ではわかってても、自分の息子が18なんて想像できなかったんだろうな。

ゲラゲラ笑って、さんざん酒の肴にした。友達もみんな笑った。

でも、少し経って、彼の誕生日にお返しを考えたら・・俺も何あげたらいいのかわかんないのね。
ハイカットのオールスターにジーンズ、革ジャン、好きなレコードはエリッククラプトン。
そんなイメージなのだが、よく考えると・・・彼はもうすぐ還暦なのだ。

元気にしてますか?
「ママ」はやがて「お母さん」になり、今や「お袋」になったけど、あなたはまだ、「パパ」だよ。

658 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/08 14:20 ID:20ebyr6G
夫の子供の頃の話

ある日新聞に折り込まれた広告を見ると
近所に出来た電気屋さんの開店セールのチラシが入っていた。
そのチラシには
「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!

焼きそばが大好きだった彼は、
タダで焼きそばか食べられるのかと
ワクワクしながら弟を一緒に電気屋の前まで行ったが
電気屋の近くまで来た時に目にした光景は
閑散とした客が誰一人としていない店頭で
一生懸命呼び込みをしながら
焼きそばを小さなホットプレートで焼きつづける電気店主夫婦・・・

子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので
「焼きそば下さい」と店の前まで行く勇気が湧かず
弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、
そのままそそくさと帰宅したそうです。

それから月日は経ち電気屋は無くなってしまったそうです。

856 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/11 07:29 ID:R+deYuJy
子供の頃、ゼニガメを洗面器に入れて庭で飼っていた。真冬の朝、洗面器の水が完全に凍っていた。
氷を日なたに置いて解けるのを待ち、中のゼニガメを助けたが、まったく動かず、死んでしまった。

泣きながら庭に埋め、ごめんね、ごめんねと何度も謝った。

でも、春になったらゾンビのように復活して土から出てきた。

589 :おさかなくわえた名無しさん :04/03/07 19:59 ID:dmkb/xQv
年取ってから話が長くなったおふくろ。毎日のように、つまらないことで電話してくる。

ある日、心底疲れ切って会社から戻り、風呂から出てくつろいでたら、またおふくろから
電話があった。女房が電話に出て、口調でおふくろだと分かったから、今日は話を聞いてる
余裕もなかったし、手で×を作って留守だと言ってもらった。女房の微妙な口調の違いで
居留守だと分かったのか、次の日から電話が来なくなった。

3日後、おふくろから荷物が届いた。開けると俺の好物の、おふくろ手製の漬け物が
詰まっていた。寒い中、また今年も一生懸命に漬けたんだろうと思うと、居留守を
使った自分が悲しくなった。

あれから電話の回数は減り、すぐに切ってしまうようになった。こっちから話を
引き延ばそうとしても、あまり話に乗ってこなくなった。そうこうしているうちに身体を
壊し、入院してあっけなく死んでしまった。もちろん俺が冷たくしたから病気になった
とか、そういうわけじゃなくて、たまたま偶然タイミングがそうだったんだろうけど、
かなり落ち込んだ。

死ぬまでに話をできる時間は限られていたんだよな。気付くの遅かったな・・・




     

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