たまにゃ家族で より
- 23 名前:呑んべぇさん 投稿日:02/04/04 05:28
- 二十歳になった時、母と買い物の帰り、駅裏の寂れた焼き鳥屋に入りました。
「二人でこうして飲むなんて初めてね〜」
母はほぼ下戸なので、レモンサワー。私はビール。大学進学の為東京で一人暮らしをしていた私には
そのショボイ焼き鳥屋はあまりに小汚く、貧乏臭い店に見えました。
何を話したかはあまり覚えていません。東京の話や、大学の話なんかつれづれに語って、
私は杯を煽り、母はただニコニコしていました。
後日家族団欒の折、何かの拍子で「私達もいい店見つけたよねー。また行こうね」と
母がはしゃいで私に言いました。
私はあんな小汚い店、と内心思いましたが、笑って同意しました。
その半年後に母が骨癌で倒れました。
ずっと前から知らされていたのですが、それまでの母があまりに元気だったので、
「このままずっと母はいる」と無条件に信じていたんでしょうね。衝撃でした。
私は単位的にも卒業は危ぶまれていたので、そのまま休学届を出して、
(妹と交代で)24時間体勢で病院に泊まり込み、母を看病しました。
モルヒネで意識がすっかり飛んでしまった母は、天井に向かって「田中さん、どこ行くの?」
といった幻影を見るようになりました。そのうち、そばについている私のことが
わからずに、「うちの娘ね、いい娘なのよ」と私の自慢をはじめました。
涙が出ました。
父には愛人がおり、妹はプチ家出の繰り返し。食道楽の父のおかげで、外食というと
高級とされている店にしか行かなかった母が、あんな小汚くてマズイ焼き鳥屋に
「また行こうね」と言った意味。
お母さん、今になって思うよ。もう一度行きたいよ、あの焼き鳥屋。
来年母の7回忌です。
長文&駄文スマソ。
- 549 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/07 12:22 ID:W+t2Jo5E
- 去年の今頃に突然自宅で倒れた。
担ぎ込まれた先の病院で聞かされたのは急性骨髄性白血病という診断だった。
即座に入院することになったが、実家の両親や兄弟とは折り合いが悪く
結局連絡をせず数ヶ月病院のベッドで過ごしていたところ、
ある日どこから聞きつけたのかとうとうお袋が見舞いに来てしまった。
「なにしにきたんだよ」
口をついて出てきたのは悪態だった。正直会いたくなかった。
実家をでてから既に5年くらい。
その間一度も会っていなかったし、もう会う気も無かった。
だけど、俺のそんな物言いを聞いたお袋は、俺の手をとるとただ大声で泣き始めた。
わめくように何か言っていたが、それはほとんど聞き取れなかった。
なのに、何故かお袋が何を言いたいのかよく解るような気がした。
そして、俺も泣いた。
ガキの頃もほとんどお袋の前で泣いた記憶が無かった分、思いっきり泣いた。
色々な話をして何度も何度もお互いに謝って…。
あれから半年ちょっと。
俺は大分回復して今では自宅に戻っているが、お袋も一緒にこちらに住むことになった。
再発がありえるのでまだ安心はできないが、何故か幸せな満足感が今ある。
負けられない。寝床に横たわったままお袋の背中をみると、そう思う。
絶対に。
SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright (C) 2002-2005 泣ける2ちゃんねる