嗚咽 その2 より
- 658 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/23 00:55 ID:qdqCAkMc
- 幼馴染のR君。彼は仲間の誰よりも結婚も、親になるのも早くて、30までに一戸建の
家を構えるのが夢だと言っていました。三人目の子供が生まれてすぐに彼の夢は
かないました。まだ28歳でした。「土地が狭いからな〜。」と照れていましたが
本当に嬉しそうでした。子煩悩な彼は火事があったときにすぐ逃げ出せるようにと
子供達の部屋を一階に作りました。もちろん防犯対策も万全でした。新居で正月を
迎える事ができるのかヤキモキしていましたが、なんとか間に合い、家族五人が
お正月を新しい家で迎えました。末っ子は両親と共に三階の寝室に、お兄ちゃん二人は
いづれ二部屋に分けることになってる大きな部屋を、共同で使っていました。
二週間ちょっとで震災が・・・R君、ゆれの中を必死で子供達のところに行こうとしたんだね。
お兄ちゃんたちは、R君が見つかったあくる日に見つかったよ。私は聞いただけだけど
二人でしっかり手を繋ぎあってたんだって。あれから奥さんはお嬢ちゃんを連れて
名古屋の実家に帰られました。おじちゃんとおばちゃんは一人息子をなくして
なんだか小さくなってしまいました・・・でも、お兄ちゃんたち別々の部屋にしてなくて
よかったね。
- 673 名前:YR 投稿日:02/04/24 12:42 ID:07dYWFPQ
- >>658 震災の話しは今もつらいね
僕は某市の救助隊員で発災後すぐに神戸に行ったんだケド
そこで大きマンションでの救助を頼まれた
そのマンションは2階と3階の間が完全にペチャンコ
隙間が50p位しかないような状態で
この奥にお父さんと3歳の子供がいるって
手作業だよ
ガレキ一個一個手でかきだしてって
全然前になんか進めない
朝から夕方までかかって5〜6メートルってとこ
メシも食わずにやっても2人のとこまでなんか全然届かない
もうボロボロ
日が暮れてこの現場に関しては
救助活動の打ち切りが決定した
穴から這い出てホコリで真っ黒の僕ら
そこに一人だけ生き残った奥さん
「すいません、どーしても届きませんでした」
すると奥さんが
「一生懸命ありがとう」って泣きだした
その場にいた救助隊員も全員泣きだしちゃった
仕事中に泣いたのは後にも先にもあの時だけだなぁ
派遣が終わり家に帰って
3歳の息子抱きしめて、も一回泣いた
- 682 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/04/24 21:47 ID:eHFFSbDT
「いつまでも泣いていると、旅立てないでしょ」なんて言われても、
私は後悔することばかりで、泣くしかできないよ。
父が逝って2ヶ月たつのに、まだ泣いちゃう。
私は父の最後の1週間、病室に泊まり込んだ母のバックアップしかできなかった。
父には何もできなかった。
照れ屋な父とは、私が大人になってからは、あまり会話もなく、何をしたらいいのか
わからなかった。
それに、そんなに悪い状態だなんて、寝耳に水だった。
せめて、すきな音楽を聞かせたくて、病室にCDプレーヤーセットして、父の部屋から
CDたくさん、運んだ。
食事をまともにとらない母にお弁当作って持っていった。
それだけしかできなかった。
なのに、意識がほとんど無い父に「帰るね、またくるよ」って言ったら、
父が「あー」ってびっくりするくらい大きな声で返事してくれた。
母も驚くくらいの大きなしっかりした声だった。
うれしかったよ、お父ちゃん・・・
でも、父ががんばってる間は、絶対に泣かないって決めてたのに、
その日は、泣きながら帰ったよ。
孫の顔を見せられなくて、ごめんね。
- 712 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/05 17:28 ID:ojxSo7xt
- 物心付いた時には孤児院にいた。
俺は自分の親の名前・素性・顔など一切知らないし、
知らされてもいなかった。
その孤児院には警察官の有志が剣道を教えに来てくれていた。
唯一の娯楽が剣道。俺は一心不乱に夢中になった。
中学卒業と時期同じにして高校からスポーツ特待の話があった。
小さな頃から続けていた剣道の成績が良かったおかげで高校に
通う事が出来た。だが、高校の寮生活は楽ではなかった。
毎日練習が終わったらバイト。修学旅行は旅費が払えずに辞退。
バイトで稼いだお金は全て寮費や食事代に消えていった。
唯一の楽しみだったバイクも可愛がっていた。
運良くインターハイでもそれなりの成績を残せ、そのまま大学へも
授業料免除で進学出来た(付属高校だったから)。
大学時代も練習とバイトの毎日だった。授業料の心配は無いが
食費ぐらいは自分で稼がなくてはならず、殆ど休みもなく3つの
バイトを掛け持ちで続けていた。それでも遠征費や寮費、食費が
かさみ、決して楽な暮らしにはならなかった。
卒業後、地元の中小企業に就職。初めて貰った給料で生まれて初めて
寿司を食べた。
27歳で一念発起して独立。業績は順調で世間並みの暮らしが出来るよう
になった。その後初めて風呂付きの部屋を借りる事が出来た。嬉しかった。
毎日風呂を一生懸命磨いていた物だ。
その後30にして結婚。当然、先方の親からは大反対。
誰でも孤児に娘を嫁にやりたいとは思わないだろう。しかし、何度も通った末に
ようやく認めてもらえた。
順調に子供も出来て、初めて家族という物の実感が与えられた。
しかし、不慮の事故で生後8ヶ月の子供を残して嫁は逝ってしまった。
つくづく不幸の星の元に産まれてきたようである。
現在3歳の娘と一緒に暮らす家も購入した。
何とかこの娘だけは幸せな人生を送ってもらいたいと思っている。
- 718 名前:大人の名無し 投稿日:02/05/06 03:00 ID:MHt5DJmf
- 2歳半になる息子がいます。
去年7月に2人目の子を流産しました。
つい先日、息子と布団にねっころがって遊んでいたら
息子が突然天井を見上げて
「赤ちゃん、こっちこっち。おいでおいでー」
手招きしはじめました。
「あそこに赤ちゃんいるの?」
と聞く私にただにこにこと嬉しそうに。また
「赤ちゃんおいで」
ああ、お母さんとお兄ちゃんのところに遊びにきたのね。
あいにくお父さんはまだ仕事で帰ってないの。
3人で一緒にお布団で遊びました。
やっぱりあなた女の子だったんだね。
また、お父さんとお母さんと優しいお兄ちゃんのところに戻っておいで。
こんどは抱っこさせてね。
- 721 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/05/07 22:48 ID:tKfWNMVF
- 小学生の時、ささいなことで母と大喧嘩。
母に何を言ったかも、言われたかも忘れてしまいましたが、
ただ一言、言ってはいけない言葉を吐いたのを覚えています。
「お母さんなんて死んじゃえ!」
次の朝、母は起きてきませんでした。
過労が原因で、眠ったままあの世に逝ってしまったのです。
最初は冗談かと思うくらい、安らかな死に顔でした。
勿論、私の言葉が原因で亡くなったわけじゃない。
だけど、この8年間誰にも言えずに、ずっと後悔してきました。
もしも願いがかなうなら、どうかあの晩に時間を戻してほしい。
今なら「お母さんいつもありがとう。」とか
「少し休んで。あまり無理しないでね。」とか言えるのに‥。
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