No.449 セピアな思い出∫泣ける話 より
- 25 :大人になった名無しさん :04/02/12 10:51
- 俺が幼稚園児だった頃、担任は野暮ったい眼鏡の若い女の先生だった。
眼鏡をはずした顔を見せてくれなくて、俺たちがいくらせがんでも
「みんなが卒業の時に見せてあげるよ。」
って笑ってた。
んで卒園式。俺たちは小学校に行っても大して面子は変わらないし
新しい環境は楽しみだったし、何より別れが悲しいって良くわかってなかったと思う。
いつもみたいに笑って「卒園式」ってイベントに少しはしゃいでた。
式が終わって先生が眼鏡を取って見せてくれた。皆笑った。
「へんな顔ー」
別におかしかったワケじゃないけど、はじめて見る素顔はいつもと雰囲気が違ったから。
でも先生は泣いた。
「みんなはたのしい?先生は嬉しいけど悲しいよ。」
ってクシャクシャに泣いてた。
先生は結婚退職で俺らが最初で最後の生徒だったそうです。
もう二十年も前の話です。別れってこういうモノなんだって解った最初の思い出です。
- 45 :大人になった名無しさん :04/05/21 15:13
- 僕は小さい頃に両親に捨てられて、いろいろな所を転々として生きてきました。
小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」
とかいろんな事言われました。
たまに同級生の子と遊んでいて「○○君の家に行こう!」
とかなっても、僕が遊びに行くとそこの家のお母さんが
「○○君と遊んではいけないっていったでしょ!」
とそこの家の子供を叱ってる声が聞こえ、僕を汚い物を見るような目で
「○○は今日遊べないの・・」というようなことが日常茶飯時でした。
僕は弱い人間なので、そんな事が重なるうちに独りでいる事が一番傷つかず、一番楽なのだと思いました。
けど、僕にも言いたい事は一杯あった。
汚い服、同じ服着ていても僕は、僕は人の物盗ったり、傷つけたりはしてない。
両親はいないけど、僕にはどうする事もできないんだよ!
僕だっておとうさん、おかあさんが欲しいんだよ。
僕はなるべく人と接しないように生きてきた。
自分の精神、心を守る為にそうせざるを得なかった。
独りで生きていく、誰にも迷惑をかけずに・・・
高校に進学した時だった。
朝学校につくと僕の机に「死ね」「乞食」「貧乏神」「親無し」等あらゆる悪口が書かれていた。
僕は目の前が暗くなった。
僕が何かしたのか?
僕がなにか・・・・
ただ立ち尽くすのみだった。
その時僕の目の前から机が無くなった。
クラスでも人気者のYが僕の机をかかえあげていた。
僕は机で殴られるのかと思い、
目を閉じた。
「いくぞ!」
とYがぶっきらぼうにいい廊下に出て行く。
僕はあとに従った。
Yは技術室に行き、紙やすりで僕の机の落書きを消し始めた・・・・
Yはただ一言だけ
「つまんない事に負けんなよ。」
と言い。黙々と紙やすりで落書きを消している。
「放課後もう一回ここでニス塗ろうぜ。そしたら元どおりだ。」
といってにっこり笑ったYを見て僕は泣いた。
Yは照れ笑いをしていた。
Yは6月に結婚する。
おめでとう。
君がいなかったら今の僕はいない。
恥ずかしくて面と向かっては言えないけど、
幸せになって欲しい。
そしてこれからも親友でいて欲しい。
今まで本当にありがとう。
- 254 :大人になった名無しさん :05/01/19 01:29:35
- ある日、学校から帰ったら母がいなくなっていた。
鍋の中には、私達姉弟の大好きなロールキャベツが作ってあった。
もう味は覚えていないけれど、大好きだったんだよなぁ・・・。
今、二人の子供の母となって、あの日、母がどんな気持ちで
ロールキャベツを作っていたか少しわかったような気がする。
でも私には、子供達を置いて行くなんて事は、絶対にできない。
8歳の時の記憶だけれど、トラウマになっているのかも。
自分の子供たちには、まだ一度も
「ロールキャベツ」を作った事が無い。
母がいなくなって、色々辛かった。
ここには、とても書けないような事も沢山あった。
でも今は、自分でも信じられないくらい穏やかな毎日を送っている。
娘の机の落書き。
「ままだいすき」
私の宝物です。
- 323 :大人になった名無しさん :2005/09/01(木) 02:40:26
- 父の葬儀があった。
もう年だし、悲しくもなく淡々と取り仕切っていた。
数年間はずっと病気続きだったが、工務店を経営しており、たくさんの職人さんを抱えてた事もあった。
葬儀に子供の頃に見覚えのある職人さんが来てくれた。
何十年も出入りはしてなかったが。
父より年上で80近いだろう。
礼服ではなく、失礼だがこぎれいとは言えない格好だった。
香典袋ではなく封筒にくしゃくしゃの千円を包んでくれた。
「親方にはお世話になったんですわ。偶然聞きつけたのも縁が続いてる証拠ですわ。」
その時、心のたがが外れた。
涙が止め処なく流れた。
そして心からありがたいと言う気持ちになった。
改めてお礼にあがった。
掛け金を払ってなくて年金は無いらしい。
作業場の下働きなどで何とか家賃1万の生活を支えていた。
ずっと一人暮らしだという。
失礼ながら生活保護を勧めたが、静かにこう話した。
父に会う30年前まで月50万稼いでたと、でも全てが悪銭だったという。
父は汗をかいて稼ぐ事を教えてくれたといってくれる。
おかげで人間として生きる事が出来たと。
それで十分、いつか人知れず死んでしまうかもしれないが、満足のいく人生なんですよ、と。
この人の高邁な生き方に感動し、私の知らない父の生き方を知ることができた出来事だった。
- 362 :大人になった名無しさん :2005/10/01(土) 22:55:53
- 当時、私には色々悩みとかがあった。
将来に関わったりするようなすごい重要な悩みではなかったが、
あまり精神面の強くない私とって、他の人からすれば小さな悩みかもしれないがけっこうこたえていた。
私には一人の友人がいた。
その友人は問題解決の案を出したりしてくれるわけではないが、いつも私の話を聞いてくれた。時には何時間も。
彼女も私なんかに悩みを打ち明けてくれたり、何度も一緒に街へ出かけてくれたりもした。
彼女といた時間は本当に楽しかった。
一方的に思っていただけかもしれないが、いつしか私にとって彼女は親友と呼べる存在になっていた。
だけど別れの時は来てしまった。
彼女は長い間海外へ行くことになってしまった。
成田へ向かう電車の中、また将来会えるしいつでもメールや電話ができるから何も悲しむことはない。
その時は悲しみはみじんにも感じていなかった(気がする)。
性格のいい彼女には私以外の友人がたくさんいて見送りには何人も来ていた。
私とその友人達とは深い関わりもなかったため私はその友人達と話す彼女とあまり話すことができなかった。
ただ彼女が荷物を預け終えゲートをくぐろうと背を向けた瞬間
「本当にもう行ってしまうんだ」と感じ、
私は彼女の名前を呼んだ。
そして今までため込んでいたものが一気にあふれ出した。
私は泣いていた。
そして、ありがとうと言いたかったが泣きながらではとても言うことができなかった。
すると彼女は涙声で私のことを抱きしめてありがとうと言ってくれた。
違うよ。
本当にありがとうを言いたいのは私のほうなんだよ。
しばらくぶりに彼女の声を受話器で聞く。
また会えたね。
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