PickUp #255  2004.02.06   <- Prev  Home   Next ->


No.255 思い出に残る写真 より

45 :名無しさん脚 :03/11/20 01:38 ID:bgufB06L
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

30 :名無しさん脚 :03/11/12 00:14 ID:v1xz98o0
小学校の時に皆で撮った他愛のないスナップ写真が一枚ある。
そこに写っていたやつの一人がその写真を撮った日の夜、家族で夜逃げした。借金で追い詰められていたらしい。
その写真を見る度、そいつはおそらくその事を知っていながら、皆で楽しく過ごす最後の日、最後の写真だというのをじっと黙って
自分独り泣きたいのを一生懸命我慢していたんだろうな・・・そう思うといつも涙が出て来ていた。

社会人になって大分経った数年前、そいつから実家経由で連絡があった。借金はなんとか返して今は結婚して子供も一人、
裕福ではないが、不自由もなく幸せに過ごしているらしかった。
小学校時代の友人達に声をかけて(もちろんそいつも呼んで)家の庭でバーベキューパーティーをやった。
そこで撮ったスナップ写真、色々苦労を重ねたからか、険しい表情がなかなかとれないながらも、
はにかんで笑っているそいつの写真は、小学校の時の写真の横に並べて貼ってある。

38 :名無しさん脚 :03/11/13 18:32 ID:rRbFI5vF
結局、一緒になれなかった彼女。あの時は自分の生涯でこの人しかいないと思った。
写るんですで撮った旅行先の記念写真は、机の奥にそっとしまってあった。

結婚して、子供ができて、ようやく悲しい思い出にかさぶたができた頃、
その写真はいつのまにか無くなっていた...

39 :名無しさん脚 :03/11/13 20:18 ID:1FBkRB0q
父は50代で肝硬変になった。
その頃、弟が結婚したのだが、医者には「お孫さんの顔は見られないでしょう」と言われた。
何度か肝不全と肝性脳症で医者に「今度こそ…」と言われながらも、その都度持ち直した。

最後に倒れた時も、何となく「今度も持ち直すだろう」という気分だったが、結局、一度も意識を取り戻さずに
息を引き取った。付き添いの交代と仕事帰りが重なって、たまたま家族全員が枕元にそろった夜、少しずつ少しずつ
心拍が落ちていって、1時間ほどで蝋燭が消えるように死んでいった。

遺影の中の父は、画面の外を見て子供のように笑っている。
その視線の先には、歩きはじめたばかりの双子の孫がいた。

50 :名無しさん脚 :03/11/24 02:32 ID:dXvO24hc
うち、事情は子供だったしよくわからないんだけど昔かなり貧乏だった。
父は遅くまで仕事だったし、母はこれまた遅くまで内職をしていた。
ただ、食事は小物っぽいおかず数品(魚一切れとか小さなカツとか)
が毎日日替わりでいろいろあったので、そんなに悪いと思わなかった。
ある日、父の会社の同僚が家に遊びに来た。そこで知ったのだが、
父は会社で出る弁当のおかずには殆ど手をつけずにご飯ばかり食べていたらしかった。
「永谷園のお茶漬けはふりかけにして食べると(濃いので)一袋でご飯何日か持つよ」とかいいながら・・・。
で、そのおかずは家の夕食になっていたらしかった。
そのおかずも、俺達が育ち盛りだからといやな顔一つせずに殆ど分けてくれていた・・・。
ある時、父が会社で(何かわからないけど)表彰された。金一封が出たんだが、母の内職の
給与からも少し出し、俺達兄弟の小遣いも数ヶ月返上wして思い切って温泉に行こうと言う事になった。

夕食の時に記念にと中居さんが家族写真を撮ってくれた。
皆、普段はお目にかかれないものすごい料理を前に、カメラではなく料理に視線がくぎ付けの
写真になったのだが、一番料理を楽しみにしていただろう父だけは、しっかりカメラの方を
向いて少し緊張した表情で笑っていた。
なんというか、ちょっと変な感じかただとは思うが、その写真の父に男の誇りみたいなものを感じた。
でも、俺はその写真よりも、その食事で熱燗を飲みながら刺身を食べ、少しだけ
目を潤ませていた父と母の顔が一番印象に残っている。
成人した今、俺と弟のボーナス時期には家族で温泉に行くのが恒例になっていて、
食事の前に必ず写真を撮るwのだが、そこに写っている父は相変らず少し緊張した表情で笑っている。

52 :名無しさん脚 :03/11/24 03:36 ID:/wsi8axr
高校の寮(同学年10人程)に入っている私には、みんなで馬鹿やったり、時には真剣に語りあったりできる仲間がいました。
本当にいいヤツらでした。
できれば私も、一緒に卒業したかった。

しかし私は一年の時に留年したので、彼等と修学旅行に行けないことも、卒業式に出れないことも、
一年の終わりの頃から分かっていました。

どうしても埋められない空白を、寮の中では空元気で埋めていましたが、私はとても後悔していました。

彼等が三年になって修学旅行に行く時、私はまだ二年でした。
彼等が修学旅行に行く日
「まぁ気を付けて行っておいで」
と寮の前で見送り、その時に写真を一枚撮りました。
きりっとした顔になったTと笑っているN・・・。
そして数ヶ月後、彼等は卒業し寮を出ていきました。

今、私は四年がかりで三年になり、もうじき卒業です。
春になって桜が咲いたら
真っ先に昔の仲間に会いに行きます。

56 :名無しさん脚 :03/11/27 14:44 ID:F2yX1gZy
小学6年の修学旅行のとき、うちの学校は長崎へ行ったんだけど、その時の事。

自分の幼稚園の時から同じ所に通っていた、あさみちゃんって子がいた。
うちの幼稚園は年長さんが年少さんをお世話するって決まりがあったんで、俺の妹も迷惑を掛けていたんだけど。
小学校に入ったら2年の時から女子バスケクラブに入ってたぐらい活発な子だったんだけど…。
小5の三学期から隣町の大学病院に入院していた。担任の先生は僕らが詳しく話しても分からないだろうと言って、
心臓の難病らしい。とだけホームルームの時に話していた。
6年の秋、まだあさみちゃんは入院してた。10月になって、修学旅行の自由行動の班分けがあった。
あさみちゃんはうちの班になっていた。みんな無理やろなぁて言ってたが、前日になってお医者さんのGoが出た。
後から聞いたことだけど、あと三ヶ月も持たない。と言うのが理由だったらしい。

うちの班には担任が付いて回る事になった。大学病院からは身体に負担をかけないようにと言う事で、
車イスが貸し出されていたが、本当に昨日まで入院していたんだろうか。と思うほど元気だった。
グラバー園や長崎港内の遊覧船でみんなとはしゃいでいたのが目に浮かぶ。
班には学校から写るんですが2個ずつ配られていた。帰ってからのまとめ用という事だったが、お構い無しに撮っていた。

帰ってきたその日からあさみちゃんは大学病院にまた入院した。
それから数日後、現像から上がってきた写真のあさみちゃんの分をうちの班で家に届けに行った。
お母さんはとても喜んでいた。
それから数ヶ月、何事も無く過ごしていたうちのクラスは3月になってすぐ大きな衝撃を受けた。
亡くなったのだ、あさみちゃんが。特にうちの班はひどかった、修学旅行には一緒に行ったのに。と。
お葬式にはうちの学年全部が出席した。卒業式の前日だった。その遺影が何気なく撮った、修学旅行の時のスナップだった。

お葬式の後、おかあさんが僕らの班の一人ひとりに手紙をくれた。生前のあさみちゃんが書いたものだった。
そこには、「ありがとう、修学旅行楽しかった」とだけあった。
その手紙は今も手元に残っている。僕の宝物だ。あれから7年。今度、実家に帰った時に線香をあげに行こうと思っている。


駄文でスマソ。

55 :名無しさん脚 :03/11/26 00:37 ID:liEtl1LN
しあわせになりたいね。
それを写真に残すことができれば、いうことはない。




     

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