No.431 今思い出しても切なくなる思い出 より
- 12 :おさかなくわえた名無しさん :2005/05/20(金) 22:48:45 ID:z41Cw73D
- 高校3年の時、母親が入院してしばらく父親の2人きりの生活となった。
亭主関白な父だが、母がいないとほんと何も出来なくて家の中は荒れ放題だった。
もちろん食事も外食か買ってきた惣菜ばかり。ふと、
「早く母さんの手料理が食べたい」
と独り言のつもりで言ったのだが、それを気にしたのか次の日は父がカレーを作っていた。
ルーが完全に溶けておらず、固まりも入っていたが、すごく美味しかった。
美味しそうに食べる姿を見ながら、
「母さん早く帰ってくるといいな」
と普段は 絶対言わないような事を話した父の顔が忘れられない。
あの時の事は何故か鮮明に覚えてて、悲しい出来事じゃないけど切なくなる。
- 14 :おさかなくわえた名無しさん :2005/05/20(金) 22:54:16 ID:dNvI4bRd
- 高校卒業して仲の良かった皆がバラバラに、それぞれの道を進む時。
3月の終わり、次は皆で集まるのもだいぶ先だからと海でキャンプした。
まだまだ寒かったけど、誰一人眠ろうとせず、昔の事、恋の話、将来、色んな事話し合った。
「親友」って言葉を恥ずかしげもなく言えたあの頃。
- 25 :おさかなくわえた名無しさん :2005/05/21(土) 02:20:06 ID:OaC0Wk3R
- 七夕の笹飾りに「おねえちゃんにあいたい」って書いたあの日。
その数日後に会えたのは嬉しかった。神様が本当にいるって思ってた。
でも、それきり会ってない。
離婚により離れ離れになった姉弟を不憫に思いなんとか都合つけて会わせてくれたんだよな、父親は。
母親は再婚しちゃった。
見たことの無い妹もいるそうな。
姉さんだけは元気でやっていてくれたら、嬉しいけどな。
もう、あんなに純粋な頃には戻れないんだな、哀しいね。
- 145 :おさかなくわえた名無しさん :2005/07/23(土) 06:04:26 ID:w7jDdrQH
- 生涯最高の恋をした。
「いつもあなたを想っています。あなたを想わない日はありません」とメールした。
なのに相手を思い出さない日が来てしまった。
自分自身を裏切ってしまったような気がしてせつない。
- 244 :おさかなくわえた名無しさん :2005/09/13(火) 00:55:55 ID:lyOCs7pZ
- 小学生の頃の親父の給料日、母親と市内に買い物に出る約束してて
学校終わってから速攻家に帰ったんだけど、親父の給料があまりにも少なくて
今月どうやって生活しようと考えていたみたい。そんな事情は全然知らない俺は
「約束破んな!」
などと次々に罵声を浴びせた・・・
そしたら普段は絶対人前では泣かない母親が泣いてしまって・・・
「ごめんね」
と繰り返しながらふだんよりも高いおやつを出してずっと謝ってた。
子供心ながらに言わない方がよかったと思った、しばらくはそのお菓子食べられなかった。。。
何故かこの時の光景は忘れようにも忘れられない・・母さん、あの時はごめん。
- 312 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/08(土) 00:07:35 ID:dEOfVQr5
- ちょい前に単車を買ったので子供の頃よく家族で出かけていた公園に行ってみたんです
中学生ぐらいに引越してから行く事も行く機会もなかったので
ちょうど良いやとぶらりとツーリング気分で行ってみたんです
何時の間にか公園も整備されてたけど雰囲気はほとんど変わらず
家族で花見に来た事や、仲の良かった友達とかとこっそり遊びに来た時のこと
色々思い出して泣きそうになってました
気がつけばタバコ吸ってて、あぁもう戻れないんだなと思うと堪えきれなくなった
- 348 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/18(火) 23:52:51 ID:07pT8gIh
- 母校の中学が校舎移転で取り壊しが決定したのは知ってたんだけど
それがいつのまにか行われてたこと。
高台にある学校だったから取り壊されてたの気づかなかった。
すごく思い出のある校舎だったから友達と
「取り壊しの時みんなで立ち会いたいね、校舎の壁の破片でもいいから記念に欲しいね」
なんて言ってたのに・・・
クラスメイトの男子が
「○○に告白したいから手伝ってくれない?」って言われて
みんなで放課後の美術室を舞台にセッティングしてこっちまでドキドキしたこと、
好きだった先輩を追いかけた渡り廊下。
放課後になると下手だけどブラスバンド部の練習音が聴こえてきた音楽室。
「○○先輩と両思いになれますように」ってコッソリ落書きした体育館。
学校のシンボル的存在だった大きな桜の木。
この前行ってみたら桜の木は次の建物(市の福祉施設)が建つのに邪魔だから伐り倒され、
もうすでに新しい建物の鉄骨が立っていて校舎の影は跡形もなく無くなっていた。
当時聴いていた曲とか合唱で歌った歌とか思い出したら涙が止まらなくなった。
タイムマシンで戻れるとしたら中学に戻りたい、ボロかったけどそれくらい大好きな学校だった。
- 228 :おさかなくわえた名無しさん :2005/09/07(水) 02:20:51 ID:04p2dmsJ
- 消防の頃、俺達の遊び場は近所の公園だった。
そこに結構な頻度で「おじさん」がいて、ベンチに座ってこっちを眺めてたんだ。
何がきっかけかは覚えてないが、「おじさん」と仲良くなった俺達は時々「おじさん」と遊んだ。
でも「おじさん」はすぐ疲れちゃって、サッカーもすぐぬけるし逆上がりもできなかった。
「年だからなあ」と笑いながらベンチに戻っていく後ろ姿は、本当にただのおっさんだった。
ある日リフティングをしていたら、珍しく「おじさん」が熱中した。日が暮れるまで一緒にいた。
始めはボールを落としまくっていて、「おいおいしっかりしろよ」といぶかしんでいた俺達も、
汗まみれになりながら22回までできるようになった「おじさん」をすごいと思うようになっていた。
ただのおっさんがガキに混じって真剣にリフティングしてるなんて、周りからしたら滑稽な光景だろう。
でも、「おじさん」は真剣だった。そのことが俺達を感動させたんだと思う。
23回目でボールを落とした「おじさん」に駆け寄って「おじさんすげーよ!」とみんなで言った。
「おじさん」は「そうか、すごいか」といつもより嬉しそうに笑った。俺達は「おじさん」に敢闘賞として
当時流行っていたドラクエのバトル鉛筆をあげると「ありがとな」と言って「おじさん」は帰っていった。
次の日から「おじさん」は公園に来なくなった。
「おじさん」はヤクザで、あの翌日に抗争相手の組の事務所に拳銃持って乗り込んで刑務所送りになった、
ということはしばらく後に知った。新聞にも載ったらしいが、文字ばかりだったことしか覚えていない。
「おじさん」は公園で遊ぶ俺達を眺めて何を思ったのだろうか。
あんなに一生懸命リフティングをしながら何を考えていたのか。
22という数字は俺にとってお守りみたいなものだ。
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