PickUp #173  2003.01.02   <- Prev  Home   Next ->


No.173 【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ【希望】 より

220 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/12/04 23:59 ID:owqo+QD4
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。

今日は結婚記念日でカミさんと外食した。

レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。

しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と
言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。咳き込むたびに
ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。

向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。

帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよ。」
とカミさんにいった。カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。

274 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/12/26 15:55 ID:U1vlDl+a
近所に住んでいるご夫婦の話です。
その夫婦には子供が無く、そのせいか私は子供のころから可愛がってもらっていました。
おじさんは無口な土建屋の事務員、おばさんは自宅で商売をしていて雑貨から野菜など
なんでもあるミニスーパーみたいな店で、朝から晩まで年中無休で働いている人でした。
当然晩ご飯なども、おじさんが7時ころ帰ってきても食べられるのは9時過ぎというのは
しょっちゅうの事でした。洗濯ものもたまる、掃除も毎日できない、休日も一緒に過ごせない・・・
おばさんは結婚して以来、そのことを心の中で申し訳ないと感じていたそうです。
今年の秋、おばさんは長年の疲れからか体調を崩して一週間の入院をすることになりました。
コンビニがあるから大丈夫だとおじさんは言っていましたが、毎日持っていくお弁当や食事の支度さえ
できなくて迷惑ばかりかけて申し訳ないと落ち込んでいたようでした。
おばさんが入院した4日後、おじさんの会社にラジオ番組の取材がきました。
取材というかローカル番組のコーナーの1つで「会社対抗クイズ」みたいなものです。
私は前日に知っていたので翌日ラジオを持ってお見舞いに行きました。
続く

276 名前:274 投稿日:02/12/26 16:12 ID:U1vlDl+a
続きです
休憩室のような場所で持っていったラジオを二人で聞きました。
そのクイズ自体におじさんは登場しませんでしたが、話の流れで「自分の奥さんは○点だ」
というようになっていきました。
それぞれが「結婚後+20キロだから50点」とか「料理がヘタで40点」とか悪く言って
笑いを取る、みたいな雰囲気になっていました。
わたしは「あ、やばいかな・・」と思いはじめ、おばさんも何か気まずい顔をしていました。
ついにアナウンサーがおじさんの作業服のネームを呼びました。
「○○さんの奥さんに点数をつけるなら何点ですか」
おばさんが小さな声で「20点・・・」とつぶやいた瞬間
「98点!・・・だな。あれでなきゃワシの嫁は無理だ」
おばさんを見ると両手に顔をうずめて泣いていました。今年一番感動した出来事です。
稚拙な文章スマソ

286 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/12/28 05:15 ID:4OKZcH2c
俺が小学生の時の話。
当時俺はクラスで一番背が低かったけど体はめちゃめちゃ丈夫だった。
病気やケガもろくにしたことなかったし当然学校を休んだこともなかった。
そんな俺が小4になったころインフルエンザにかかって初めて学校を休んだ。
今までろくに病気になったことのなかった俺は病気への免疫が出来てなかったので相当きつかった。
熱は40度を越え子供ながらに俺はもう駄目なんじゃないかと思っていた。
俺が熱にうなされながらふとんに横になっていると母親が「外に誰かが来てる」と言った。
その日はものすごい大雨だった。
誰かが見舞いに来てくれたのか?でもこんな大雨の日にまさかなと思いながらも俺はよろよろと起き上がって外に出てみた。
俺が外に出ると大雨の中傘もささずに走り去る人影が見えた。
その後ろ姿はクラスメイトのYのようだった。
当時俺とYは犬猿の仲でささいなことでいつも殴り合いの喧嘩をしていた。
Yは昔で言う所の番長的な存在の奴でクラスの嫌われ者だった。
先生を殴ったり教室から先生を締め出したりするかなりの悪ガキだ。
Yと俺の家は近所で集団登校でも同じ班だった。
俺は心からYを嫌っていたわけじゃなかった。
みんなから嫌われているのを知っていながらワガママな所を直そうとしないYのわからず屋な所やひねくれた根性が嫌いでよく喧嘩をしていた。
あいつが俺の見舞いに?それとも病気の俺にとどめを刺しにきたのか?上等だやってやると思いYを追いかけようとしたが体が重くて動かない。
バカらしくなって家に戻ろうとした俺は門のブロックの間に挟まっている手紙をみつけた。
そこには汚い文字で『おい、S。風邪ぐらいで学校休むな!早く治して学校に来い。決着をつけてやる。』と書かれていた。
Yなりの見舞いの言葉だったのだろう。
俺はその手紙の内容とあまりの字の汚さに思わず笑ってしまった。
翌日、熱が下がった俺は学校へ行ってYに昨日のことを問いただしたがYは自分じゃないととぼけた。
それから二年後。
俺が小6になった時に事件は起こった。

287 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/12/28 05:44 ID:4OKZcH2c
>>286のつづき
なんとYの親父が警察に逮捕されたのだ。
Yの親父は当たり屋だったのだ。
親父の逮捕後Yの一家は大阪に引っ越した。
クラスメイトは問題児Yの転校に大喜びだった。
でも俺は正直寂しいような気持ちになった。
別に喧嘩相手がいなくなってどうこうではなくて毎日のように学校で喧嘩をしなくてすむのならそれにこしたことはない。
理屈抜きに本気でぶつかり合える相手がいなくなったことが寂しかったのかも知れない。
大騒ぎするクラスメイトを横目に見ながら俺は学校の帰りいつも下を向き一人で寂しそうに下校していたYを思い出した。
そのあまりのYの様子に何度か一緒に下校したこともあった。
Yが転校してしばらくの間は俺の家にYが電話をかけてきていたがすぐにそれもなくなった。
俺は小学校を卒業しても中学になってもときどきあの時の寂しそうなYの姿を思い出してはYのことを心配していた。
あのワガママな性格は直ったんだろうか。
向こうの学校でいじめにあってないだろうかと。
さらにそれから数年後。
俺が二十歳になり友達と成人式に行った時のこと。
懐かしい旧友と再会し昔話をしていると一緒に来た友人が慌てて俺の所に走ってきた。
そんなに慌ててどうしたんだ?と訪ねると友人は「Yが来てる。お前を探してる」と言う。
俺はその友人の言葉に驚いた。と同時に俺は駆け出していた。Yが来てる。
子供のころは顔を合わせば喧嘩ばかりしていたYを今俺は必死になって探していた。
が、会場はかなりの人ゴミでなかなかYを見つけられない。
と、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。友人の声ではない。
後ろを振り返るとそこにはすっかり大人になったYがいた。
8年ぶりの再会だったがすぐにYだとわかった。
俺は開口一番Yに言った。
「友達もいないくせによく来たな」
我ながらバカなセリフだと思った。
Yは昔と変わらない不敵な顔で笑うと答えた。
「お前がいるだろ」

288 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/12/28 05:52 ID:4OKZcH2c
>>287のつづき
俺達は友達だった。
8年経った今初めてそのことがわかった。
それから俺とYは時間が経つのも忘れ二人で色んな話をした。
Yは大阪でヤクザになっていた。
今では子分もいるらしい。
でも俺はそんなことは気にならなかった。
あれから俺には想像も出来ない苦労があったらしい。
今こうして元気なYの姿が見れただけでうれしかった。
それからさらに4年が経った今もYは大阪にいる。
結婚を期にヤクザからは足を洗った。
今は子供と奥さんと三人で仲良く暮らしている。
今でもYとの交流は続いている。

294 名前:病弱名無しさん 投稿日:02/12/29 09:18 ID:iAGi88GF
そのころ俺は大阪にいた。
俺は誰にも相談せずに外資系企業への転職を決めた。勤務地は東京になった。
実はこれが初めての転職ではない。その前は東京にいた。

せっかく大阪に帰ってきたのに、東京の、それも外資系とは、と周りには反対されたが、
親父だけが「俺は反対しない。がんばればいい」と言ってくれた。
親父は大工で、無口な人間だった。普段何を考えているのかわからなかった。
そんな親父の一言に、自己中の俺もさすがに身が引き締まった。

親父はそのころから痴呆があり、時計の文字盤も読めなくなっていた。
そんな親父の介護費用を稼ぐのが転職の目的のひとつでもあったが・・・

あれから5年近く経った。俺はまだ東京にいる。
自分だけの世界に生きている親父は、もう何も言わなくなった。

親父の言葉は、まだ俺の中にある。


スレ汚しスマソ。

298 名前:聞いた話 投稿日:02/12/31 01:00 ID:6SUejUpe
私は戦時の中、幼少時代をすごしました。
物心ついたときには母親はおらず、父は兵隊に取られ
祖父と2人田舎で暮らしていました。
家のすぐ脇には河が流れており、200mほど河を下ったところには
捕らえられた米兵を収容している建物がありました。

とある日のこと、私が芋を河で洗っていると誤って
手を放してしまいその芋を河に流してしまいました。
その芋はたまたま下流で水浴びをしていた米兵達によって
拾われました。
米兵は自分達に向かって流してくれたものだと思い
喜んで私に手を振って芋を持って帰りました。
きっとひどい扱いを受けていたのでしょう。

299 名前:聞いた話 投稿日:02/12/31 01:01 ID:6SUejUpe
それから私は定期的に川下にいる米兵達に回りには
分からないように、野菜を河に流して渡すようになりました。

やがて戦果も悪化して日本軍が不利な状況になるにつれて
食糧事情は厳しいものとなりました。
もともと私と祖父の2人暮らしだったため食料で困ることは
ありませんでしたが、米兵達に食料を分け与えることは
出来なくなりました。

300 名前:聞いた話 投稿日:02/12/31 01:02 ID:6SUejUpe
申し訳ない気持ちになりながらもいつも食料を流している
時間私はいつものように川岸まで行きました。
いつものように200m川下では米兵達が待っています。
近づくのは禁止されていたため当然話をすることも出来ません。
ジェスチャーで分け与える食料が無いことを伝えようと、
手を大きく振ってバツマークを作って食料が無いことを伝えます。
しかし上手く伝わらず米兵達は手を振り帰してきます。
そんな私が流す食料を楽しみにしている米兵に
何もして上げられない無力な自分に腹がたち河の水を
蹴り上げると米兵も同じように真似をします。
今度は河の中で飛び上がってみるとやはり米兵達は
私の真似をします。
何とかしてあげたい。そう思いました。

私は自分の家の畑から祖父の目を盗み少しですが
スイカやかぼちゃを取り今までと同じように河に流して
米兵に渡しました。

301 名前:聞いた話 投稿日:02/12/31 01:03 ID:6SUejUpe
しかし数日後スイカを取っているところを祖父に見つかり
理由を聞かれました。
私は正直にこれまでのいきさつを話しました。
すると祖父はこう言いました。
「なるほど。お前は非国民だが非人間ではないな。」
そう言うとそれ以降畑から取った野菜を河に流して
米兵に渡すことを許してくれました。

302 名前:聞いた話 投稿日:02/12/31 01:04 ID:6SUejUpe
やがて終戦を迎えたある日のこと、家の上空を数機の
戦闘機が飛来してきました。
米兵を収容していた建物があったためひどい扱いを
受けていた米兵が仕返しに空襲に来たに違いない。
祖父はそう言いました。
しかし私はそんなこと無いよ。そんなこと無いよ。
と言いました。
あの米兵たちがそんなことをするとは思えなかったのです。
やがて戦闘機からたくさんの金色や銀色の小石くらいの
大きさの物が振ってきました。
爆弾だ!
祖父は言いました。
しかし何も爆発しません。
空から振ってきたものは金銀色の紙に包まれた
チョコレートでした。
なおもチョコが降り続きました。
星のように。





     

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