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No.437 「ありがとう」って言いそびれたヤツいる? より

369 :Mr.名無しさん :04/08/02 01:53
心からありがとうと言ったことがあるかなぁ
死んだときにしか感謝の言葉も言えない不貞息子だが
この場を借りて言わせて頂こうかと
社会人になってからずっと”親父”と呼んでいたけど
今は一緒に暮らしていたあの頃に戻って
お父さんありがとう

あなたの孫がもうすぐ産まれそうです
産まれたらすぐ見せに行くよ

450 :Mr.名無しさん :04/08/02 23:30
少しだけ場所を借りたいと思う。

親父が死んだとき21だった。
体調の不良を訴え入院した頃、俺は仕事もせずにふらふらしてた。
携帯に親戚からの一報が入って来た時、兄貴に連れられるようにして病院に行った。
心配は心配だったがそんなに深刻に捕らえてなかった自分が悔しい。
俺らが帰った後、崩れるようにベッドから起き上がれないくらい苦しんでいたのを、
転院の間際、同室の人が教えてくれた時には愕然とした。

良くはならなかった。
母親を病院まで送り迎えをしたりしながらだったが、
それでも信じられなかった俺は、やっぱり仕事もせずに結構好きなことしてた。

451 :Mr.名無しさん :04/08/02 23:37
頑丈だった。気丈だった。
訪れる見舞い客はもちろん、家族にも何も言わなかった。
辛いとも苦しいとも言わなかった。
だから平気だと思ってたんだ。
治るもんだと思ってたんだ。
原因もわからず2度目の転院をした時。
くしくも俺の誕生日寸前だった。
その病院で幸か不幸か分からないが原因が判明した。

肺ガンだった。

見つかったときには初期で普通なら手術で切除すれば助かるような規模の悪性腫瘍。
しかし切除も抗がん剤も放射線治療も出来なかった。
悪性腫瘍が巣食った部位。
それは心臓と一番近い場所。
ようやくたどり着いた大学病院で下された診断。
そのときの余命、半年。
対処療法しかで着ない現実。

なにも俺の誕生日に告知すること無いじゃないか。
余命3ヶ月なんて。

453 :Mr.名無しさん :04/08/02 23:50
自分の横では何を言われたのかを理解した母親が盛大に泣いていた。
何故だか俺はその時、3ヶ月経つと親父誕生日だなってぼんやり思ってた。
病室に戻ることも出来なくて、その日はそのまま帰った。
皮肉だが、親父その時が一番元気そうだった。
行くの辛くて、母親の「連れて行け」の催促に耐えかねては車を出した。
病室に入るの辛くて外で待ってた。
あぁ。無茶苦茶後悔してる。今でも後悔してる。
言っときゃよかった。
「ありがとう」ってさ。
言えなかったよ。
どんな顔すりゃいいのかわかんなかったから。

きっちり余命宣告どおりに親父が逝った後、家ん中荒れた。
「お父さんが死んだのはあんたのせいだ」
母親に言われたよ。
今思えば誰かのせいにしなくちゃ、まともじゃいられなかったんだろう。
無理に仕事始めてそれを口実にして家には帰らなくなった。
今でも母親とは気まずい。
だけど言わなきゃな。
言えなかった分言わなくちゃな。

571 :Mr.名無しさん :04/08/03 12:29
母さんは俺が小4のときに胃がんで死んだ。
いつも明るくてやさしくておもしろくて
なんでもいろんなことをやってた。一生懸命だった。
でも、本当はストレスがたまっていたんだろうな。
俺はまだ甘えん坊でいつも甘えてばかりだった。
病気になる何年か前からお腹が痛かったらしく
何度も「病院に行ったほうがいい」といったんだけど
「大丈夫」って言ってなかなか病院に行かなかった。
やっと病院に行ったころにはだいぶ悪くなっていたらしい。
毎日のようにお見舞いに行った。
ある日胃を切る手術をした。それで一度退院したが
また悪くなって入院した。また再発したのだろう。
ある日お見舞いに行ったとき、抱きしめてくれた。
周りの人もいたのでちょっと恥ずかしかった。でもうれしかった。
そして集中治療室に入ってしまって自分はまだ小さいので
家族は入れてくれなかった。
その何週間かあとに母さんが死んだと聞いた。
1時間くらい後に家に運ばれてきて、人がたくさん来た。
何だかまだ理解できなくて泣いてばかりいた。
冷たくなってしまって、顔に布をかけられてしまっていた。
あと10日くらいで母さんの誕生日だった。「今年は病院で誕生日だね」と
話していたのに・・・。そして葬式や火葬があって、母さんは骨になってしまった。
その後に家族から母さんは胃がんだったと知らされた。
もう少し母さんにお礼を言っておけばよかった。
いつもありがとうって。

591 :Mr.名無しさん :04/08/03 16:51
あまり文才ないから短文で失礼。

彼女が胃がんで死ぬ前日。

「いつもあんなにスピード出さないでね。」
そういわれて、返事が出来なくて
「明日も来るから。」

それだけ言って2時間かけて家に帰った。
そのときは次の日が最後なんて思ってなかった。
普通に制限速度守って高速を走った。

でも、次の日朝早くに携帯の音でおきた。5時くらいだったかな。
病院から
「様態が急へ・・・」
その後の言葉は聞きたくなかった。
家の鍵をかけるのも忘れて、高速を飛ばした。軽く160km/hは超えていた。

いつもは2時間かかる病院へ1時間でついた。
ついたとき、もうすでに危険な状態だった。
手を握った。
そのときだったかな・・・・・すべてがとまったのは。
「ありがと・・・・」
それが最後の言葉。
何もいえなかった。

天国で元気にしてる?
心配してくれてありがとう。

651 :Mr.名無しさん :04/08/03 23:34
永久保存って書いたカセットがでてきたから、なんだと思って聞いてみたら
赤ん坊の頃で訳のわからないことしゃべってる俺と、両親の楽しそうな会話が入ってた
それ聞いてたら、なんか涙が止まらなくなった
いま両親が家庭内別居って状態だったり、俺が両親の期待に添えなかった自分へ後悔
とか色々な気持ちが出てきて、涙が止まらん
父ちゃん母ちゃんこんな俺の世話をしてくれてありがとう




     

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