PickUp #144  2002.11.08   <- Prev  Home   Next ->


嗚咽その3 より

156 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/08/27 17:51 ID:/VNdPH0i
結婚まで約束した人をとられた。とられた相手は私の妹。
悲しくてつらくて妹やあの人を呪ったり「殺してやりたい」と思ったりして
ぐちゃぐちゃになって一時はめちゃくちゃな生活を送っていたが
周りの人たちの叱咤やはげましでどうにか立ち直り
彼と妹の結婚式にも出席できた。(それでもつらかったけど)
そして私は家をでることにしました。
家をでていく日の朝、車があるガレ−ジまで母が見送りにきてくれた。
「..じゃ行くから。」そう声をかけて車に乗り込もうとすると
後ろからいきなり母に抱きしめられた。
「あんたは私の娘。30年前必死になってお腹を痛めて生んだ私のかわいい
子供なの。だから母さんはいつでもどんな時にでもあんたが幸せになってくれる
事だけを願ってる。つらかったりなにか困ったことがあったらいつでも
帰っておいで。ここはあんたが育った家。母さんはいつだってあんたが来るのを
ここで待ってるから。」
私はその時母と一緒に大声で泣きました。
私はこの母の子供でよかった。がんばって幸せになるよ。
そしてこの先どんな事があってもこの母を見捨てたりしない
お母さんと私そしてみんなで幸せになろうね。

212 名前:大人の名無しさん @長くてすみません 投稿日:02/09/11 11:47 ID:WveAIbfk
と病院の婦長をして、病気知らずだった母が癌告知をされた。
本当に風邪のひとつも引かず、朝の5時から夜の7時まで毎日働き
夜勤もバリバリこなす母親で、本人もそれを自慢していた。

長く勤めていた病院の院長に裏切られ、失意の中それでも母は何とか
近所で雇ってくれる病院を見つけてぺーぺーから仕事を始めたその矢先。
子宮筋腫だと診断。しかし、勤めたばかりだと母は手術を先送りにしていた。
少し放っていたらあまりの痛みに救急車で運ばれた。癌だった。誤診だった。
それでも母は気丈に大丈夫!!を繰り返していた。
そして、術後にの医師からの説明。ステージの話になって、母は青ざめていた。
癌センターでも働いていたから自分の状態や先がわかるだけに、残酷過ぎた告知だった。
母は「治療は受けたくない。」と言い張っていたが、何とか説得して受けてもらった。
辛い治療の中、それでも母は強く生きて泣かなかった。弱音も吐かなかった。
カリメロ〜と笑いながら、治療時につけるヘルメットを被っていた。

そんなある日、帰宅した母と久しぶりにお風呂に入った。
母の背中を流し、髪を洗おうとすると、髪がズルリと抜け落ちた。
後頭部の髪を見た瞬間、今まで泣かなかった母親が号泣した。
「辛いのも耐えれた。死にも向き合ってきた、でも、髪が…怖いよ。」
母親のそんな弱い姿を目にするのは初めてだった。泣きじゃくって背中を丸めていた。
小さくなった母親の背中に、私は「また綺麗になるよ」としか言えなかった。
癌だということをはっきり認識したのかもしれない。
身を粉にして働きながら、自分の服ひとつ買わなかった母。
休日も父より私達より早起きして、家事を完璧にこなしていた母。
部下から尊敬され、辞めた人たちからもたくさん手紙が来る母。

母はずっと強くてずっと居てくれるものだと思っていた。

213 名前:大人の名無しさん @長くてすみません 投稿日:02/09/11 11:48 ID:WveAIbfk
そんな中、闘病中に兄が自殺未遂を起こした。兄は心が少し弱かった。
でもまさか、こんな時期にそんなことをしでかすとは思わなかった。癌が兄の心も蝕んだ。
母から泣きながら電話があり、急いで戻ると警察が居た。簡単に現場に言った後、病院に行った。
たくさんの人がいる待合室で、二日間は危ないから待機しておくようにと言われた。
母は辛い体なのに、そこを離れなかった。何も言葉を発しなかった。
結果兄は助かって、病院をたらいまわしにされ(それも母が見つけた)今は施設に入っている。
それでも母は誰にも愚痴も弱音もはかず、兄に送金しつつ社会復帰に頭を悩ませています。

神様がいるなら聞きたい。
どうして母ばかりがこんな思いをしなければならないのですか?
どうして母を静かにさせてくれないのですか?

私はずっと学校での行事などにも全て参加できなかった母を恨んでもいた。
お金ばかりせびって「金払えば子供は育つかと思ってんのか!!」と稼ぐ事の大変さも思わず言っていた。
自分が結婚して働いている今、母親の偉大さが理解できた。

お母さん、あなたは私にとって世界一の母親です。
まだまだ学びたいことがたくさんあるから、もっと生きてください。お願いします。
あなたの子供で良かった、また私を産んでください。
短い髪を綺麗に整えた母は、しびれの副作用と戦って今日も生きています。

そして今まで口もあまりきかず、軽蔑していたお父さん。
背中に色んなものを背負いながら無口に真面目に仕事をするあなたも、私の誇りです。

まとまっていなくてすみませんでした。
ここに書くことで、自分へ喝を入れなおしたいと思います。


215 名前:大人の名無しさん @長くてすみません 投稿日:02/09/11 16:55 ID:WveAIbfk
父親のことでも嗚咽したので書きたいと思います。

兄は中学の時登校拒否をして自傷行為に走り、何とか高校・大学にいけたのですが
社会に出るときに、また躓いてパラサイトになりました。

昔から仕事仕事で家に殆どいない父、たまに口を開けば酔った言葉、父から愛情を感じたことが無い。
兄は遺書らしきものに書いてて、私もそう感じていたので話し合いの席で話してみました
「成長する子供にとって親は重荷になるもんだ。だから期待せず心配させず、自分の生きる道を決めて欲しかった。
そして18歳も過ぎれば、独立すべきだ。どうしようも無くなったらいくらでも支援する。ただ家にいつくのは駄目だ。
家族に簡単に逃げるようになってしまうと自分達が居なくなった後、どうやって生きてくんだ。
ひとりでも生きていけるようにならなければ、どうやって生きてくんだ?」

216 名前:大人の名無しさん @長くてすみません 投稿日:02/09/11 16:56 ID:WveAIbfk
常々「カネならやるから早く家から出て行け」と怒鳴っていましたが
不器用で話しベタな父親は、こういう表現しかできなかったんだと初めて知りました。
無口で不器用だけど、私達を愛してくれているんだと初めて知りました。
「治療費や施設費のカネの事なら心配するな。だからお前はこの家を忘れて、早く幸せになれ。」
この一言を聞いたとき、嗚咽してしまいました。

その後、一度父親が監督をしている現場にこっそり見に行きました。
父は色んな人に指示を出したり頭を下げたり、動き回っていました。
父の同期の人たちがリストラに遭ったり依願退職する中
どんな仕事でも家庭で不満や愚痴の言葉をひとつも漏らさず
何とか歯を食いしばって家族のために働いている父親を見て、また嗚咽してしまいました。
お父さん、太ってお酒が大好きで口も悪いし格好悪いけど、最高の父親だって今やっと気づきました。
ずっと守ってくれててありがとう。好きな道を選ばせてくれてありがとう。
暖かさに気づけなくてごめんね。

ちなみに父親には、まだ素直になれず感謝の言葉を言えないです。
でも家のことは忘れてやらないし、こっそり箪笥の引き出しに僅かだけどお金を置いています。

ageてしまってすみませんでした。


252 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/09/24 19:06 ID:yeuHTyk/
不倫していた。
4年間も妻を裏切り続けていた。
ネットで出会った彼女。
最初は軽い気持ちで逢い、次第にお互いの身体に溺れていった。
幸い、ずる賢く立ち回ったこともあり、妻には全くばれなかった。
彼女と関係を持った夜、遅く帰っても、ただにっこりと迎えてくれる女だった。

しかし、そんな関係がずっと続くわけはなく。
最近、彼女から別れを告げられた。
新しく好きな人が出来たとのこと。
まあ、よくある話し。
独身の彼女にそう言われれば、責めることも出来ない立場であって。
ただ「よかったな」と強がりを言い残して別れた。

4年も付き合っていた女と別れるというのは、想像以上に辛いものだった。
心の中にポッカリと開いた穴は、容易に埋められるものではなかった。
その寂しさを紛らわすため、これまで全くかまってやれなかった妻に、白々しく優しくしたり、遅くまで思い出話をしたりなんかして。
妻も、結婚後久しく見せなかった笑顔で、俺の話しに付き合ってくれた。

253 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/09/24 19:08 ID:yeuHTyk/
機械音痴な妻に、携帯メールを教え込んだ。
彼女からパッタリと来なくなったメールの寂しさを紛らわすため。
我ながら、その動機の不純さにあきれながらも、あまり期待もせず妻からのメールを待った。

ある日のお昼前、携帯にメールの着信音が響いた。
妻からの初メールだった。
何げに開いてみた。
涙が出た。止め処もなく涙が出た。

「初めてメエルします 線が引けない もつとちやんと、習ておけばよかた でも今はすごく幸せて感じかな」

こんな不器用なメール、見たことねぇよ。
俺は今まで、何やってたんだろう。
自分の不甲斐なさや汚さ、妻に対する愛おしさがごちゃ混ぜになって、とにかく涙が出た。
こいつを一生大切にしてやろうと思った。

長文スマソ。なんか俺だけが泣ける話しだな。読んでくれた人、ごめん。


319 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/02 02:09 ID:kvu6ta2V

私の母は私が幼い頃闘病生活の末、亡くなった。

もう殆ど覚えていない母だけど、
私の誕生日に渡して欲しいと15歳の誕生日までの手紙を残してくれていた。

毎年、誕生日にもういない母からの手紙が何よりも私は嬉しかった。
手紙から伝わってくる口うるさくて、心配性で、でも明るい母。
手紙に書く文体じゃなくて、まるで話すように書いてあるそれが、
もう記憶もほとんどない母が生きて傍にいる様で嬉しかった。

14歳の冬に父が再婚した。
直前までそのことを知らされなかった自分は父親に反発して反発して
口もききたくなくて、殆ど会話もなかった。

そして15歳の誕生日、そんな状況の中で父はいつものように私に母からの手紙を手渡した。
誕生日ケーキだと義母の手作りケーキと、ごちそうの並べられたテーブルで。

もう母をいない人間と処理して、他の人間を「母親」としたくせにと頭に血が上って、
死んだ母からの手紙をこんな場所で渡されることに激怒した私は、どうしようもなくカーッとなって
「他の女と結婚したくせに、こんなの渡さないでよ!ふざけんな!」と
手紙を破り捨て、ぐちゃぐちゃにまるめてゴミ箱に捨て、自室へと閉じこもった。

320 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/02 02:09 ID:kvu6ta2V
次の日、同じように二階の自室でふてくされて閉じこもっていたら、父親にくちゃくちゃの手紙を手渡された。
「これが母さんの書いた最後の手紙だ。持っていなさい」
昨日さんざんなことをした私に叱りつけることもなく、父はそれだけを言って一階に降りていった。

最後だと言うことにショックを受けながら読んだ手紙には、
母の今までの文字とは似ても似つかないミミズがのたくったような線が綴ってあった。
普通の文字を書くことも出来なくなってしまった母が、震える手で必死で書いた手紙は
私の馬鹿な所行のせいでどうしても読めなくなってしまった。

まだ20代の若かった父が母に先立たれ、まだ幼い子供を抱えて必死で育ててくれたこともわかれなかった。
義母も新しい家族のために一生懸命誕生日を祝ってくれていたのにも気付けなかった。
まだ幼い子供を残し無念の中死んだ母の、最後の伝えたかった言葉すら読んであげられなかった。



お母さんの最後の手紙、なんて書いてあったのかな。
ゴメン、お母さん、もう読めないよ。

15の春に高校でお父さんと出会ったんだよね。
そのことについては何か書いてくれたのかな。
やっぱり今までと同じように「外から帰ったらうがいして手洗いしてね」なんて書いてくれてたのかな。

お父さんね、私へのお母さんの最後の手紙までは再婚するの待ってたんだって。
ふたりめのお母さんがね、こそっと教えてくれたよ。

ねえお母さん、私、お母さんがこの手紙を書いてくれた時より年上になりました。


馬鹿な娘でごめんね。




     

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