No.507 【あの日の】涙が出るほどいい話【想い出】3.0 より
- 424 :ほんわか名無しさん :2007/10/13(土) 15:58:51 0
- 自分のことじゃなくて恐縮ですが、母が中学生の頃の話。
母は父親(私の祖父です)と二人で生活していました。その日暮らし、という
表現がまさにぴったりという貧乏振りだったそうです。
ある日、父親が風邪で寝込みました。それまで一度も倒れたことなどなかったのに、
高熱を出し、あまりに苦しそうな父の様子に、母は物凄く焦ったそうです。
たかが風邪なのに、薬を買うだけのお金がない。考えあぐねた母は、大事に
していた本を古本屋へ持って行きました。その本を買った古本屋へ。
古本屋のおじさんは、おそらく切羽詰った母の表情から何かを感じ取ったのでしょう。
その本を売ったお金で、無事に風邪薬が買えたそうです。
この話が出たのは、アイヌの神さまにまつわるちょっとした雑談がきっかけでした。
「コタンの口笛」っていう、大好きな本があって……という回想から、急に
思い出したのだそうです。
母はもう65、記憶に間違いがなければ、たぶんあの時の古本屋のおじさんと同じくらい。
「あの時はとにかく必死だったけど、あんな本一冊売っただけで薬が買えるわけ
ないのよね……それだけ必死な顔してたのかも」と、呟いておりました。
大げさかもしれないけれど、母を救い祖父を救ってくれた、見も知らぬ古本屋のおじさん。
もしかしたら、今ある家族を救ってくれたかもしれない方へ、心から感謝します。
母が大事にしていたという本をネットで調べて注文しました。
もうじき母の誕生日なので、びっくりさせようと思います。
- 18 :ほんわか名無しさん :2007/02/18(日) 04:32:37 0
- 大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
- 106 :ほんわか名無しさん :2007/04/20(金) 01:34:43 0
- 会社の机に部下である僕らの席と名前を書いた紙をセロテープでとめて
手帳は僕らの特徴で真っ黒
10年付き合った若年性アルツハイマーの上司
彼の書いた注文書を確認する担当
彼の受注をもう一回お客さんに確認する担当
彼のアルツハイマーシフトは僕らのせめてものお返しだった
笑って「アルツの上司だぞ好きにやってしまえ!期待してるぞ!」
という笑えないジョークで涙を誘うバカな上司
新入社員の倍手間のかかる上司
新入社員を俺と勘違いして10分説教してしまう上司
まちがって俺に辞表を提出した彼は会社をやめることができなかった
最後に彼の率いる支店はダントツの一位をとって
「勇退」という花束を僕らは渡した
- 50 :ほんわか名無しさん :2007/03/04(日) 20:49:30 0
- すこし長くなりますが、父の話をします。
うちは5人家族に犬が2匹、父は小さな会社の平社員で、決して裕福な家庭ではありませんでした。
無口でシャイな父は、普段から家族ともあまり話さず、友人も少ないようでした。
私はそんな父が大好きでしたし、時々休みの日に何も言わず遊びに連れ出してくれるのが、とても嬉しかったです。
母、姉、妹は明るくてお喋りでしたが、私だけは父に似たのか小さい頃から物静かで、
父とは言葉を交わさなくても、一緒にいるととても幸せでした。
今まで母には数え切れないくらい叱られ、叩かれたことも星の数ほどあります。
でも父に叱られた記憶はありません。もちろん叩かれたことも。
母に叱られて泣いている私を、やんわりと庇ってくれる優しい父でした。
そんな父が、突然入院しました。私が高校2年生の夏でした。
身体が大きくて丈夫だった父ですから、私も最初は軽い気持ちで、すぐ退院できるものだと考えていました。
でも、日を追うごとに父は痩せ細り、お見舞いに行く度に酸素マスクやら呼吸器やらが増えていきました。
それでも父は私がお見舞いに行くと嬉しそうで、特に言葉も交わさず、
病室に備え付けられたテレビを長いこと一緒に観たりしていました。
しかし、入院してから1ヶ月近く経ち、父は自分で呼吸ができなくなりました。
体内に機械を入れて呼吸しなければならない、
でもそうすると物も食べれないし言葉も話せなくなると、先生に言われました。
父は「治ればまたもとに戻るんだから」と言って、機械を入れる直前も、
特にたくさん物を食べたり話したりすることもありませんでした。
それから1週間も経たずに、父は眠るように亡くなりました。入院から1ヶ月とすこしでした。
私はすぐに現実を受け入れることができなくて、涙が出てきませんでした。
まだあのベッドに父が横になっているような気がして。
また父が家に帰ってきて、靴箱の上に自転車の鍵を置く音がするような気がして。
- 51 :ほんわか名無しさん :2007/03/04(日) 20:50:52 0
- お通夜の日に、父の友人の奥さんが私に話をしてくださいました。
無口な父が、友人に私の話をしていたそうです。
「あの子は教えてもないのに、昔から絵がすごく上手なんだ」と、私の自慢をしていたそうです。
それを聞いて、私は涙が止まりませんでした。
私は小さい頃から絵が好きで、よく絵を描いていたのですが、
父が面と向かってそれを褒めてくれたことなんてなかったからです。
ああ、お父さんは何も言わないけど私のことをちゃんと見ててくれたんだ。
そう思うと嬉しくて、それにありがとうと言えないのが悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
それから数日後、父の遺品を整理しているとき、私が幼稚園くらいの頃に描いた下手くそな絵が
大事にしまわれているのを見つけて、また泣きました。
あれから2年半が経ちました。
私は今、芸術系の大学で、絵の勉強をしています。
奨学金を受けながら、ギリギリの生活だけど、毎日頑張っています。
あのとき、父の話を聞いて、真っ直ぐ夢に向かって進む決心がつきました。
お父さん、私、お父さんのおかげで、今、とっても毎日が充実しているよ。
何も言わなくていいから、天国から見守っていてね。ずっと大好きだよ。
- 433 :424 :2007/10/24(水) 15:07:45 0
- 先日、母に件の本をプレゼントしたので、後日談として報告にまいりました。
残念ながら母が以前に持っていたハードカバー(絶版のようです)ではなかったのですが、
非常に喜んでもらえました。
父からはサプライズの花束(花屋さんからの配達。毎年やってます)、姉からは
母の好きな抹茶と葛湯の詰め合わせと、本人いわく充実した誕生日になったそうです。よかった。
本の表紙を懐かしそうに眺めながら、「やっぱりねえ、こんな本一冊に、薬が買える
だけの値段がつくわけないよねえ……」と、しみじみ呟いておりました。
小さな助け合いが大きな未来に繋がるのだと実感した出来事でした。
それでは、名なしに戻ります。お付き合いありがとうございました。
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