PickUp #315  2004.11.24   <- Prev  Home   Next ->


No.315 あなたが体験した愛車との別れ より

52 :名無しさん@そうだドライブへ行こう :03/08/20 23:31 ID:pjdtmYvO
大学4年の秋、友達からタダでもらった車。
就職も卒業も決まってて、車検が翌年の4月。
ボディーもベコベコ、オイル上がりで白煙吹いてる、10年落ちの不人気車。
最初から半年だけとわかっていた。
半年間、ろくに洗車もせず、ただひたすら足として、MTの練習用にこき使った。
4気筒の1発死んでる状態で富士山に登ったりもした。
就職先の寮への引っ越しもそいつでやった。

で、予定通りの最後の日、自分で解体屋に持っていった。
書類と見慣れたナンバープレートをもらって、陸運に行った。特に何も感じなかった。

廃車手続を終え、何気なく解体屋をのぞいたら、元愛車は横倒しになっていた。
取り外せるモノは取り外し、あとは潰すだけの鉄くずになっていた。
たばこで焦がしたシートが、その横で雨に濡れていた。
涙がこぼれた。止まらなかった。
わかっていたはずなのに。予定どおりの廃車なのに。

128 :名無しさん@そうだドライブへ行こう :03/09/24 05:52 ID:oLd+M8Pb
私が免許を取って、初めて乗った車は父の使っていた車だった。
緑っぽいメタリックな色でゴツくて大きいMT車。
この車の外見のおかげで若葉マークを付けた女が乗っていても
あまり煽られたりしなかった。

父は、もうその頃は糖尿病で体も視力も弱くなっていたので
私だけが使っていた車だった。
高校生の時は毎朝、運転席に父、助手席に私が座っていた。
父を病院まで送り迎えする時に、運転席に私が、助手席に父が座っているのが
なんだか変な気持ちだった。

父が死んで1年も経たない内に車を買い替える事になった。
ひとまわり小さな新しい車がうちの車庫に入れられ、
緑色の大きなあの車がうちから去って行くのを見送りながら
とても寂しくなった。
あの大きくて無骨な車は私にとって父そのものなんだ、
と思ったら、たまらなくなった。
泣きそうになりながら見えなくなるまであの車を見送った。

277 :名無しさん@そうだドライブへ行こう :03/11/15 01:26 ID:MOCwsxtJ
俺が小学生になったばかりのころ、お袋が免許を取った。親父は免許を持っていなかった。
免許取ったお袋は平日に一人でディーラーに行って車を買ってきた。
数週間後に届いたクルマは5thスカイライン。もちろんMT。
俺の子供の頃の家族旅行の思い出はいつもこのスカイラインとともにある。

歳月は過ぎ俺が高校生になったころ、11年になるスカイラインはまだうちにあった。
しかしもう家族で出かけることもなくなり、ファミリーカーとしての役目は終えていた。
俺が免許を取ったとき、その古いスカイラインを運転することが格好悪く思えてすごくイヤだった。
親父とお袋に頼み込んで新しいクルマに買い換えてもらった。
俺の希望によって買ったのは初代のレガシィ。

納車の日、ピカピカのレガシィがやってきて大はしゃぎの俺。そんな俺の後ろで
お袋は走り去ってゆくぼろいスカイラインの後ろ姿を追っていた。

お袋は泣いていた。

ものすごいショックが俺を襲った。あのクルマはお袋にとってどんな思いが詰まって
いたんだろう? 幼い俺を連れてあちこちドライブするために免許を取り自分で選んだスカイライン。
その瞬間まで全然気が付かなかった。気づいたときにはもうスカイラインの姿は見えなくなっていた。

結局お袋はその後あまりクルマを運転しなくなった。
お袋にとってはあのスカイラインが一生に一台っきりのクルマだった。

331 :名無しさん@そうだドライブへ行こう :03/12/11 00:12 ID:Cgqe9dQt
10年前に買った、セリカXX。当時勤めていた会社を辞めて郷里へ帰る
とき、荷物と失意を一緒に積み込んで走った。目標を見失った自分を慰めて
くれたのは、あいつとのささやかな一時・・。やがて就職先が決まり、嬉しく
なってあちこち走り回った。そして上京。車を持って行けないことが解った
時、泣く泣く手放した。手元に残った十数万円は、再出発する自分を励まして
くれた。今でもそのお金は手元に置いてある。金の向こうにあいつの姿が見える。
使おうとしても使えない。あいつと別れてしまうような気がして。

448 :名無しさん@そうだドライブへ行こう :04/01/31 21:10 ID:KHdrf+Uz
おれが8歳だったころ、日曜日に父がおれを、買ったばかりの白いコロナで買い物に
連れて行ってくれた。おれは野球板を買ってもらって(年がばれる・・・)大喜びして
いたんだけど、父にはもうひとつの目的があった。

その年、おれの両親は結婚10周年を迎えていたんだ。父はいわゆる猛烈サラリーマンで、
あまり家にいなかったから、おれはむしろ、母との結びつきを強く感じながら育った。
だからその日も、車の助手席に乗っていてなんだかちょっとだけ居心地が悪かった
印象がある。

父は、ケーキを作るための材料をたくさん買った。そして家に帰って、本を読みながら、
父とおれは二人で一生懸命ケーキを作った。何回やってもダマダマになってしまって、
どうやっても母が作るみたいなおいしいケーキはできなかった。

449 :448 :04/01/31 21:11 ID:KHdrf+Uz
ようやくできたケーキをコロナの後部座席に乗せる。父はアクセルもブレーキも静かに静かに踏んで、
病院に向かう。母はそのとき、おれの妹になるはずだった子供を流産した後の経過が悪く、
入院していたんだ。

病室の母にケーキを届けると、母はとても喜んでくれた。すごく嬉しい。こんなにたくさん、
とても一度に食べきれないよ。だから、今、一緒に食べよう。でもね、隣のベッドの患者さんは、
誰も身寄りがない人なの(そのときはちょうどいなかった)。だから、三人で車のなかで
食べようよ。

最初は父が助手席に座って、母とおれは後部座席に座った。だけど、お父さんだけ前じゃ
寂しいよって母が言って、おれたちは後ろの座席に三人並んでケーキを食べた。肘が当たったりして
窮屈だったけど、父も母もおれもいっぱい笑って、すごく楽しかったんだ。

母の病状は、それからしばらくして回復した。

450 :448 :04/01/31 21:11 ID:KHdrf+Uz
それから13年後、おれの家にはまだそのコロナがあった。あの日以来、父は家族三人をたくさん
ドライブに連れて行ってくれるようになった。免許を取ったおれが初めて運転したのもそのコロナ
だった。

17万キロを走ったコロナは、駐車場が露天だったせいもあって錆がひどく、室内の雨漏りも
するようになっていたので、父も買い替えを決断した。

新しい車が来る日、おれが昼近くになって起きると、台所で父と母が二人で何か作っていた。
寝ぼけ眼のおれだったが、すでにだいぶ前から、家族の中で一番力が強いのはおれになって
いたから、母は迷うことなくおれに泡立て器を持たせた。

そして、あの日と同じように、三人でコロナの後部座席に並んで座って、ケーキを食べた。
ケーキを口にした瞬間、いろんな思い出が走馬灯のようにおれの脳裏をよぎって、涙があふれた。
母は子供みたいに声を出して泣いた。父はずっと窓の外ばかり見ていた。




     

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