道場の思い出教えて より
- 259 名前:帯の綻び 投稿日:02/09/29 23:57 ID:diXsxvBS
- 高校から近所の空手道場に通い始めたのだが、
師範がめっちゃ怖い。いつも竹刀持ち歩いてて、
子供でも容赦なく殴ってた。
特に上級者には厳しくて、大人の有段者はよく
やられてた。だから指導員になっても、みんな
プライドが高いから長続きしないで1年持たずに
辞めてしまう。
そんな道場で、師範が怖くて辞めるなんて
いえないので、だらだら続けていたら、
初段になってしまった。(うれしかったが)
と、同時に師範に言われて指導員になった。
やることは、そんなに変わらないが、他の弟子と
違う点は、月謝無料で報酬1万円と、師範室という
小さい部屋への常駐が許されることくらいだ。
でも、師範室にいても間が持たないので、師範が
いるときは、入らないようにしていた。
ある日、師範が仕事の都合で休みの日に俺は
師範室に篭ってた。その日、俺はラーメンを食べ
ようとしていたが、ハシがないのでハシを探してた。
あちこち、引出しを開けたがない。最後に一番下の
袖机をあけたら金庫があった。
悪いこととは思いつつ、いくら貯めてるのか気になり
金庫をあけてみた。中には、金は無かった。
変わりに、大学ノートが大量に入ってた。
どうせ出納帳だろう思ったが練習時間までは
まだ時間があるので、暇つぶしに読んでみることにした。
中身は、師範の日誌だった。
- 260 名前:帯の綻び 投稿日:02/09/29 23:57 ID:diXsxvBS
日誌には、弟子一人一人に十数行づつ細かいコメント
やらが書いてあった。そこには、あの恐ろしさからは
創造できないほど、優しさがあふれてた。
○○が最近元気がない、イジメなどはないか心配だ
など、指導員の自分にも気付かないことも書いてあった。
それから、俺は、師範の目を盗んで、日誌を読むように
なった。どのページも、優しさと葛藤があふれてた。
特に、誰かが辞めたときは、1ページまるまる書いてあった。
俺は、数日のうちに日誌を読破した。と同時に、師範の
厳しさの理由も理解できた。
昔は、楽しむことを目標としている師範だったようだが、
弟子の暴力事件や休憩時間中に子供が大怪我したことなど
色々な事件が重なって悩んだ末に、責任と愛情から
厳しくならざる得なかった事情が見えてきた。
とはいえ、俺は甘いようで、師範によく怒られる。
日誌にも、甘やかしすぎとかかれていたが。
それでも、誰も殴らず怒鳴らず、マイペースに指導を
しているのだが、後輩を師範を同様に思えるようになった。
気が付けば、辞めることもなく、2段も取り、古株になっていた。
日誌を読まなかったら、師範を尊敬することもなく、
中途半端な気持ちでやめていたんだろうな。
- 266 名前:帯の綻び 投稿日:02/09/30 22:33 ID:EKndVhrV
- 50をみて、カキコしたくなったので書いてみる。
子供の頃、オヤジに半ば強制的に空手やらされてた。
いつも、日曜日は、近所の体育館に連れてかれた。
バスケ・卓球・バトミントンとかがワイワイやってる中、
端っこを借りて2人で空手をやる。
親父は、当然有段者なのだが、若い時に事故にあって、
肩と脚があまり上がらない。だから、自分の夢を俺に
押しつけているように思えた。
小学生高学年の頃には、それなりにできるようになったが、
体育館で見世物みたいに見られて、怒鳴られて、時には
殴られたりするのが、イヤだった。
- 267 名前:帯の綻び 投稿日:02/09/30 22:33 ID:EKndVhrV
俺は、脚の悪い親父に教えられたためか、立ち方が
うまくできなくて練習すれば一回は必ず怒られていた。
ある日、親父の機嫌が悪い日にいつもと同じ所で
怒られて殴られた日があった。もう、日曜の練習に
嫌気がさしていた俺は、我慢ならずに、
「自分の夢を俺に押し付けるな!」みたいな事を
言って帰ってきてしまった。
みんなが注目する中、体育館の端っこに親父は、
何もいわずたたずんでた。
それ以降、練習はなくなり空手に関する話題は我が家で
タブーになった。しばらくの間は、親父との確執みたいのは
あったが、時間が解決してくれた。中学では、部活をやって
大会に親父が応援しにきてくれる事もあった。
(部活は、卓球部だったが)
親父とは、空手を通さなくても心は通じ合えてたと思う。
そんなこんなで、俺は普通に生活をして普通に成長を
したわけだが、社会人になったときに、親父は逝ってしまった。
なにも、親孝行をしてなかったので、とても悲しくなったが
不思議と涙は出なくて、冷静でいられた。
- 268 名前:帯の綻び 投稿日:02/09/30 22:33 ID:EKndVhrV
葬儀も終わって一段落して、親父の持ち物を整理してたら
親父のボロボロの道衣が押入れの奥の箱から出てきた。
紐状になって名前も読めない黒帯は、空手に傾けた情熱を
感じさせた。
古い写真もでてきた。
小さい俺に空手を教えている様子を写したものだった。
写真の親父は、俺の記憶と違って優しく笑っていた。
写真の裏には、「1986.6. ○○(俺の名前)平安初段を覚える」
とか日記みたいのが書いてあった。
それを見て、色んな事を思い出した。汗を流した帰りに屋台で
ラーメンを食べさせてくれたこととか、うまくできれば凄く喜んで
くれて、それが結構うれしくて練習したこととか。
気がつけば、涙が出てた。声が詰まって、息が苦しかった。
一人、親父の部屋で声を詰まらせながら泣いていた。
乾いた道衣は、俺の涙を受けて少し湿った。
翌週、俺は会社の近くの小規模な道場に親父のボロボロの道衣と
真新しい白帯をもって通いはじめた。立ち方はやっぱり下手だった。
- 269 名前:帯の綻び 投稿日:02/09/30 22:33 ID:EKndVhrV
それから4年、俺は、黒帯を締めることが許された。
俺は、親父のボロボロの名前も読めないくらいほころんだ帯を締めた。
練習で、正面に礼をした時、鏡に映った自分の姿が、
子供の頃に、俺と向かい合って礼をした親父の姿とかぶってしまい、
一人その場にうずくまって泣いてしまった。
みんなには、もらいモノの道衣としか言ってなかったので、
俺が何で泣くのか理解できず、おかしくなったと思ったらしい。
20過ぎて空手の楽しさがわかって、親父の気持がわかるようになった。
悲しいことであり、幸せなことである。
長文、スレ違いだな。ごめんね。
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