PickUp #212  2003.05.09   <- Prev  Home   Next ->


No.212 ■  ママンとの幼き日の思い出  ■ より

87 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/06 23:19 ID:B/3kQ8hQ
幼い頃はママンが憎くて憎くて仕方がなかった漏れ
ママンはパパンに殴られると腹いせに漏れを殴った
漏れは消防の頃から自殺する事や家を出る事ばかり考えてた
「母親なんか死ねばいいのに」がモットーだった
現在は自活を始めて6年目
ママンとは一緒にカラオケに行く程仲良くなった
先日山口百恵の「秋桜」を歌ってくれとせがまれた
歌ってる最中歌詞がシンクロした
涙が出てきた
こんな日が来るとは思わなかった
大嫌いだったママン
今ではかけがえのないママン

長生きしてくれよ ママン

89 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/07 04:23 ID:6div1mXN
わたしのママンは教育ママンだった。
対面を何よりも重視して、たとえ90点をとっても「なぜ10点分間違えたのか」を
聞いてくるようなママンだった。
私はそんなママンが嫌いで、あんな大人にだけはなりたくないと思っていた。

 10歳のとき、わたしはとあることから、プチ登校拒否を試みた。
何もかもが嫌で、学校になんて絶対行くものかと思っていた。
ママンは激怒した。「対面」「成績」と毎日毎日怒ってわたしを怒鳴りつけた。
根競べが一週間くらい続いたのだが、ある日急に、ママンは怒るのをやめた。
部屋にいる私のところに来てただ、「買い物行くよ」とだけ言った。
ママンは私を連れて、近所のスーパーで生活用品の買出しをした。
普段学校以外に出歩かない昼間だったから妙な感じがした。
ママンは、もう怒らなかったし、学校についても何も言わなかった。
ただ無言で手をつないで、大根だのにんじんだのを買った。

 今思えば、きっとあれはママンなりの精一杯の愛情だったんだと思う。
二日後、私は学校に行った。
少しだけ、照れくさかった。

106 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/07 22:37 ID:dIoBC2Uk
ママンは元ピアノ教師だったので、ピアノを教えて貰っていた。
でも小二の頃、強弱の引き分けがどうしても出来なくて、
「もうやめる」と泣きじゃくった。
次の日から、ピアノの稽古は無くなった。

とはいえ音楽そのものは好きだったので、その後独学で
少しは弾けるようになった。
ある日ソナチネか何かを弾いていたら、母が来て、連弾
しようと言ってきた。
そんなことは初めてだったので、思い切り緊張してしまった。
結局めちゃめちゃになりつつも何とか弾き終えて、「ごめんね」と
謝ったら、「こうやって娘と連弾するのが夢だった」と母。
思わず言葉に詰まってしまった。

その数年後、母は亡くなった。
私のピアノは今もド下手だけど、生活に余裕ができたら
いつかちゃんと習いに行ってみたいと思っている。
そして母の好きだったショパンを弾いてあげたい。

110 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:03/02/09 05:37 ID:AJdpznVe
漏れはハパンとママン、そして歳の離れた
お姉さんのいる家に生まれた。
ハパンは運送会社のリーマンでママンは専業主婦、
お姉ちゃんは中学生だった。

…が、その家は他人の家だった。

実のママンが漏れを産み落とした直後に
友人の家に預けていたのだった。
それを知らぬ漏れはそのまま3歳まで育ち…
別れの日がきた。
泣いて分かれた。
実の親の元に戻ったが、またいろんな家を転々と預けられ、
次第に愛想笑いのうまい卑屈なガキに育っていったYO。
途中、パパンとママン、お姉ちゃんに再会したけど、
何故か素直に笑えなかった。

成人して今は実の親と同居しているが、時々パパンと
ママンに会いに行く。
先日、その時のことを話したら泣かれた。

当時、漏れがあまりにも泣くので実の親はパパンとママンに
漏れを『養子』として預からないかと相談していたそうだ。
しかし再会した漏れの愛想笑いを見て、幸せになっていると
思い込み養子縁組を断った。
そんなに寂しかったのならあの時ムリにでも預かればよかった…と。

パパン、ママン、泣かないで。
そのお陰で漏れには両親が二組もいるよ。
漏れは幸せ者です。

202 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/18 20:39 ID:c0S05amc
子供の頃通っていたお絵描き教室で「お母さんの絵を描きましょう」という授業があった。
漏れはママンがスリッパを持って漏れに殴りかかろうとしている絵を描いた。
当時の漏れはママンに対してそんなイメージしか持っていなかった。
しかしその絵がどういう訳か、地元の展覧会で大した賞を取ってしまった。
正直焦った。あの絵がママンの目に触れてしまう。怒られる。
またスリッパで殴られる。もしかしたらベルトで百叩きかもしれない・・・

しかしママンは怒らなかった。お絵描きの先生に深々とおじぎしてお礼を言い、
帰る時「ちょっと待ってて」と言いアイスクリームを買ってきた。
その後無言で漏れを車に乗せて帰った。帰ってから一言
「アンタはホントに絵が上手いね。正直な絵を描くよ」と言った。
漏れはアイスの残りっカスのコーンを黙ってかじり続けていた。何も言えなかった。
夜、ママンが父に漏れが賞を取った事を嬉しそうに話しているのが聞こえた。

その後もママンは時々漏れをスリッパで殴ったり、ベルトで叩いたりする事があった。
その度に「ママンなんか嫌いだ、早くこんな家出てってやる」と思ったけれど
この歳になってからは、今漏れが美大に通っているのはママンのおかげのように思う。
十五年振りだけれど、今度ママンの絵を描いてみようと思う。

長々とスマソ

214 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/20 03:21 ID:tx+1uDSf
はじめて幼稚園に行った次の日。
家から離れたくなくて名札びりびりに破ったっけ。
次の日。
ママンはノートの切れ端で新しい名札作ってくれた。

土曜日とか午前中で幼稚園が終わって。
自転車で迎えに来てくれてお弁当作ってきてくれて川原で二人で食べたっけ。
船を作ってふたりで流したっけ。海までいくよ、って。

熱出して苦しんでた日。
仮免なのに必死で運転して病院つれてってくれたっけ。

そんなおいらも今年で30。すでにその頃ママンには子供いたよね。

いつか楽させてやるからな。。。
もう少しだけ時間ください。。。

231 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/24 15:35 ID:4z8mAstL
ママンは30代の頃から、一部入れ歯だったの。
ガキにありがちな残酷さで、
私達姉妹は「やーい!入れ歯だあ」なんてママンをからかってた。
ママンは
「あんたらに持っていかれたのよー。あんたらが大きくなったら立派な入れ歯作ってよ」
なんて笑ってたっけ。
そりゃ子供4人も産んだら、カルシウム、根こそぎ持って行かれちゃうよね。
内臓もボロボロだって聞いたとき、なんて酷いことをママンに言ったんだろうって。
命を分け与える、って大変なことなんだと。
私はそれに恥じてない生き方をしているだろうか。
ママンがまさに骨身を削ってこの世に誕生させたのに
昼間から2ちゃんでごめんよぉママン。

入れ歯はゴージャスに総金歯でいい?ママン・・。




     

PickUp #212  2003.05.09   <- Prev  Home   Next ->



SiteOwner:hiroshu29[atmartk]hotmail.com
Copyright (C) 2002-2005 泣ける2ちゃんねる