PickUp #150  2002.11.21   <- Prev  Home   Next ->


親が買ってくれた思い出のゲームソフト より

653 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/03 17:01
はじめてのゲーム機がゲームボーイでした。

いままで住んでた田舎から、いきなり小6の時に都会に引っ越した。
私は、引っ越すのが(というか友達と別れるのが)嫌だったせいか、
なかなか友達を作れなかったし、新しい学校じゃGBが大ブームだったせいで、
持ってない私は疎外感を感じていた。すると、ねだってもいないのにGBを買ってくれることになった。

当時全然みつからなかったんだけど、親は必死に探してくれて
小さな玩具店で「魔界塔士サガ」といっしょに買ってくれた。

親にも私にも、初めてのゲーム機だったから、カセットともども後ろにマジックで名前書いたりされたけど、
なんか友達と話すきっかけが出来て、新しい学校でも仲良くなれたと思う。
GBはその後、修学旅行なんかにも同行することになり、夜中に隠れて対戦したのもいい思い出です。

今はもう新しいGBを買ってしまいましたが
実家の自部屋の片隅には、裏にマジックで名前の書かれたGBとサガは
あの時と同じように、玩具店の紙袋に入っています。

659 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/04 01:31
俺は姉ちゃんと兄弟2人、超がつくほどの貧しい家庭で育った。
父親は俺が1歳、姉ちゃんが3歳の時に女を作って出ていったらしい。
だから俺には父親との思い出が何も無い。その時慰謝料とか養育費を
ふんだくってやりゃ良かったのに、自分一人の力で俺たち兄弟を育てて
いくと決めた母ちゃんは1円たりとも受け取らなかったという。
そんな母ちゃんだから国の母子家庭手当てなども受けずに女手一本で
俺たちを育ててくれた。そのせいで俺たちは貧しい少年時代を過ごした
わけだが、その事で不器用な母ちゃんを恨んだりすることはなかった。
むしろそんな母ちゃんが子供心にもカッコよく思えた。
だから子供の頃はおもちゃをねだったりするなんてことはなかった。
母ちゃんは俺たちのことを思って誕生日やクリスマスになると決まって
プレゼントを買ってあげようと言ったが、高い物なんてねだれるはずがなかった。
だからいつも俺は350円くらいの「ドラゴンボール」の漫画をお願いしたんだ。
それが子供のころの俺が集めていた唯一の宝物だったんだ。

660 名前:659 投稿日:02/06/04 01:34
ところがある日、誕生日でも何でもないのに母ちゃんが俺たちにプレゼントをあげると言って、
俺には包装紙に包まれた大きい箱と小さい箱を一つづつくれた。突然のことに戸惑いながら
おそるおそる大きい方の箱を開けてみると中には赤と白のカラーが鮮やかなファミコンが
出てきた。俺はその時今までにない衝撃を受けたことを今でもはっきりと覚えている。
そしてもう一つの小さな箱を開けてみると、中からファミコンのソフトが現れた。
そのゲームは「ドラゴンボールZ 強襲サイヤ人」。泣いた。嬉しくてたまらない
はずなのに俺は泣きまくった。ありがとう母ちゃん、知ってたんだね。俺がこの
ゲームを欲しくて欲しくてたまらなかったことを、でも言えなかったことを…。
そんな俺を見て母ちゃんはこう言った。「いつもお姉ちゃんとふたり仲良くお留守番
してくれて、家のお手伝いもちゃんとしてくれてありがとうね。」
何言ってんだよ、そんなの当たり前だろ。母ちゃん一生懸命俺たちのために朝早くから
夜遅くまで働いてくれてるんだろ。手伝いくらいしないとバチが当るよ。それなのに
母ちゃん馬鹿だよ。お金もないくせにこんな高いもん買ってきやがって…。

661 名前:659 投稿日:02/06/04 01:35
その後、俺はそのドラゴンボールのゲームをやりまくった。あまりプレイ時間が長いとは
言えないゲームだったけど、もったいなくて何回も何回も繰り返しやった。14インチの
小さいテレビだったけど、その中で動きまくる悟空やピッコロはカッコよかったなあ。
今じゃ姉ちゃんも俺も働いて、こうしてインターネットも出来るくらいのちょっとした
余裕は出てきたよ。面と向かっては恥ずかしくて絶対に言えないけど母ちゃんありがとう、
女手一つで姉ちゃんと俺を大学まで出してくれて。母ちゃんは知らんと思うけど、まだ
あのゲーム、箱つきでとってあるよ。もちろん同じ日に姉ちゃんにくれた「マッピーキッズ」も。

長々と書いているうちに凄い長文になってしまった。すみません。今度は母ちゃんに
ゲームでも買ってやろうかなあ。

673 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/06 22:53
正直、2ちゃんに出入りはじめてから最高のスレ。
本当に泣けてくる。

俺は幼稚園を卒園した時に思い出があるよ。
卒園式が終わって、駅前のバス停でバスを待ってたとき。
母が「おめでとう」という言葉とともにくれた包み紙。
中をあけると鮮やかな水色の「ナッツ&ミルク」が。
そのバスの中では「早く家に着けー」って思ってたよ。
すげーうれしくて、当時のことなんてほとんど覚えてないのに、
そのときの光景・興奮だけは今でもしっかり覚えてるよ。

あれから15年もたつのか・・・。一生わすれねーだろうな。

711 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/08 02:29
18年前のクリスマスイブの日、ばあちゃんが死んだ
当時小学校2年だった俺は、ばあちゃんが死んだことよりも、クリスマスパーティーが
楽しみで仕方なかったので、全く悲しくないどころか、なんで今日死ぬんだよ?とか思った
もちろんパーティーなど中止になり、葬儀屋や親戚の人がいっぱい来て
両親も忙しそうにしていたので、弟と邪魔にならないようにゲームをしてた
そこに母が来て、「これやるからおとなしくしてなさい」と言い、マッピーをくれた
もうメチャうれしくて、忙しそうな大人達を横目に必死でやっていた

しかし、実はこの「マッピー」は、後になって母から聞いたんだが、
ばあちゃんが俺らのために用意してくれてたクリスマスプレゼントだったらしい
「ばあちゃん、これをあげるのすごく楽しみにしてたんだよ」
それを聞いた時、不覚にも泣いてしまった

ばあちゃん、ありがとう。そしてごめんね。たまには墓参りに行くからね

734 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/09 02:14
懐かしいな。
俺は厨房の頃、FCはあったがSFCは持ってなかった。
当時、FF5発売でファミ通、ファミマガ共に攻略情報の競争だった。
その頃の悪癖で、俺はかーちゃんの財布から金をちょろまかすことをしばしば
行っていた。
まあ、500円とかその辺のレベルだったけどね。
ウチの親は、自営業でそういった金の管理は結構ずさんだったからバレたことはなかった。
まあ、ここまで来ると分かると思うけど、要するにFFやりたさに超高額の
ちょろまかしを慣行した訳だ。
当然、SFCの箱はでかすぎて目立つから玩具屋の帰りに中身だけ出して捨てた。
親は真新しいSFCをみて「どうしたの?それ?」と聞いてくる。
俺はドギマギしながらも「k君から借りた」と嘘ぶいてたな…。
で問題はFF5だ。SFCは手に入れられたがこのまま続けてちょろまかすとヤバイだろうと
結局、足踏みしていた。

736 名前:734 投稿日:02/06/09 02:28
今でもハッキリ覚えてる。
それから数日後の日曜日に普段何処にもつれてってくれないオヤジが
某百貨店に行こうといって二人で出かけた。
「ゲーム買うか?」との問いに迷わす俺は「FF5買ってくれ」と答えた。
発売日からそれなりの日数がたっていたし、FF5をget出来た。
DQNな俺は、帰りの車の中ではしゃぐだけだ。
家に付くとオヤジは静かに言った「もう母さんのサイフから勝手にお金を盗むのはやめろな」

今思えばアホだったなあ。数万単位の金がなくなった上SFCなんかあったら当然ばれるに決まってる
のになあ。親は多分泣いてたと思うよ。 
(ここまで書いて気が付いたFF5じゃなくて4だったw)

747 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/09 14:58
小学6年の時に親がスーパーファミコンを
日曜の朝に並んで買ってくれた。
 少年野球をやってたので練習が終わり家につくと
そこには本体とマリオが置いてあった。当時はまだ土曜
も会社に行ってたのに日曜の朝から並んでくれた父。
 わがままばかり言って悪かったな、と今は思います。
その2年後に父は急逝しました。

そんな話しをしながら父と酒を飲めたらな、とよく思います。

790 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/17 22:29
俺が小3の頃近所に住んでた小5のお姉さん。
俺んちでよくスーパーマリオやったっけ・・
裏技とかやってみせると「すごーい!!」って喜んでくれるのが嬉しくて得意になって裏技教えてあげたりしたなあ。
ある日そのお姉さんがドルアーガの塔貸してくれて。
しばらく遊んでからお姉さんちにカセット返しに行く途中でクラスの友達と遭遇。
「そのカセットにいたずらしようぜ」っていわれて。
なんで止められなかったんだろ俺・・
端子の部分に唾液たらしやがったんだそいつ。
当時は女の子と遊んでるとちょっとちょっといじめられるみたいな風潮があっ
てね・・止めろ!って言えなかった・・
そのまま返しにいったら当然バレテ親にめちゃくちゃ怒られて弁償させられた。
そのお姉さんが顔くしゃくしゃにして泣いてたのがいまでも忘れられない。
それからお姉さんとはめっきり疎遠になっちゃって・・
いまどこでなにしてるんだろうなあ・・
ちゃんとあやまりたいようヾ(TДT)ツ
俺の初恋とトラウマでした

811 名前:NAME OVER 投稿日:02/06/25 14:44
私が小学校低学年、弟が幼稚園の頃だったかな。
ファミコンと「影の伝説」を買ってもらった。
家に帰ってまず弟がやって、私がやって、最後に
お母さんがやって。
画面見るとなんだか主人公の動きがおかしいのね。
母の手元を見たら、左キーを一回一回連打してんの。
ずっと押したままでちゃんと走れるんだよ、って
教えてあげたらお母さん、恥ずかしそうに笑って
お母さんの時代は一歩一歩進むしかなかったのよ
って言ってた。

たわいもない場面だけど、二十年近くたった今でも
なんだか鮮明に覚えてるよ。

861 名前:NAME OVER 本日の投稿:02/07/02 03:38
小学生の時、ファミコンが故障した。
それでおかんに修理だしてきて、って言って
俺は友達の家に遊びにいった。

普通ファミコンショップなどに修理に出すが、
おかんはあまり機械に詳しくなかったらしく、
任天堂の本社までいってしまったw

普通なら門前払いだが、なんと任天堂の社長室まで招かれ、
社長が出てきて、「いつもありがとうございます。たしかに修理お預かりします」
といわれたらしい。あまりに腰の低い社長におかんはびっくりしたらしい。

今思うと、子供のためとはいえ本社までいってくれた
おかんに感謝したい。

884 名前:NAME OVER 投稿日:02/07/04 09:23
21〜2年前、俺が小学校3〜4年の時だったと思う。
その時は両親とも健在だったんだけど、共働きで家に帰ってくるのは夜遅く。
しかも引越ししたばかりで友達なんかいない。
とにかく寂しかった。弟と2人だけで鬼ごっこしたり缶蹴りして遊んでた。かなり無茶だよなw

週に1〜2回叔父(といっても当時20代)がやって来るのがめちゃくちゃ嬉しかった。
勉強、遊び、自然の仕組み、喧嘩必勝法(w)、とにかくいろんな事を教わった。
自分で面白いと思ったものは俺達兄弟に教えたくってしようがなっかったみたいだな。
ちなみにゲームセンターを教えてくれたのはこの叔父だ。普通、小学校低学年の子供を薄暗くて
不良が溜まり場にしてるゲーセンに連れてかねぇよなw
まぁとにかく俺達兄弟にとって叔父は先生であり友達だった訳だ。
叔父がいなかったらどんな子供になってたんだろうって思う。

ある日その叔父が自分で会社始めるからもう遊べないっていった。
瞬間弟が号泣したのを覚えてる。それくらい俺達兄弟の中では叔父の存在が大きかった。
そんな叔父が寂しくないようにとゲーム機を買ってくれた。
アタリ2000っていったっけかな?本体が木目調で日本語なんかどこにも見当たらない。
買ったおもちゃ屋でも棚の一番上にあって、とにかく高級なのはアホな俺でもわかった。
実際はいくらしたのかは今だに解らん。

ファミコン世代には信じられんかもしれんが、そのゲーム機は殆ど(全部だったかも)が対戦専用なんだよ。
そりゃもう2人で遊びまくった。俺はそう思ってはいなかったが、弟はそのゲーム機で遊ぶのは叔父と遊ぶのと
同じなんだと言っていたな。

後で知ったんだが、その時はじめた会社が原因で叔父と親に喧嘩が絶えなかったらしく、
しかも会社もうまくいかなかったらしい。
残念ながらそのまま疎遠になってしまい、今はどこでどうしているのか分からん。

だからここで言わせてもらうよ。
叔父さんのおかげで現在まで本当に仲の良い兄弟でいる事ができた。
ありがとう。

886 名前:NAME OVER 投稿日:02/07/04 15:01
弟が心臓病のため2歳で入院しちゃって、かわいそうに思って父がファミコン
買ってきました。ソフトはエキサイトバイクとスカイデストロイヤー。
父がモトクロスバイクが趣味なのと、スカイデストロイヤーのソフトに
描かれている男性のイラストに似てたから買ってきたのかなー、とか
幼心におもったもんです。

弟は十数年単位での治療で今ではスポーツ大学生になりますた。
キン肉マンマッスルタッグマッチとか、桃鉄ではしばしばリアルファイトに
なりながら楽しんだな〜。
近所の友達と、ファミコンやりすぎて頭痛くなったらダム探検とか、健康な
シフトの仕方もしてたんだと今思い出しています。

当時はゲームの上手い兄ちゃんにあこがれたりもしました。

そんな私も今年の秋に母になりますが、ここに出てくるようなおかーちゃん
みたいに子供のリクエストしたソフトを間違えて買ってくるようになるんかな
とかちょっと、おもったりします。
親になったみなさんはどうなんだろうなあ。
そんで、我が子が最初にやるゲームはなんなんだろうなあ。

913 名前:NAME OVER 投稿日:02/07/06 00:00
俺はドラクエ2かなぁ。
小学5年の時だったかなぁ、予約したんだけど、
予約するときも市内を親といっしょに店さがして、ようやくギリギリ予約したんよ。
ファミコンばっかやってないでちっとは勉強しろ、みたいなこと言われたな。
予約するだけで親に一汗かかせたもんだから、買いにいくときは、一人で行かねーとな、とか
気まずい思いしてた。
そんで発売日(記憶によると1月か2月)になったけど、発売日に、雪が降っちまった。
そろばん塾の帰りにさ。午後の6時ごろだったかな。その季節は日没早いから、真っ暗(田舎だったし)。
プラス雪が降ってるときたもんだ。最悪の状況の中、買いに行くしかなくてさ。
いったんドラクエ2のカセット買うためにお金とりに家に帰るとき、嫌な気持ちだったよ。
母ちゃんが、
「これから夕飯だってのに、雪降っててて暗いのに、おもちゃなんて買いに行くな。明日にしる!!」
なんて言う光景が簡単に想像できた。そろばん塾から帰るだけでも、雪が靴下とかに染み込んで、
冷てぇし、予約した手前、その日に買わないと誰かに買われるとか不安で、家に帰れば怒られるだろうしで、
もう半泣き状態。苦労して予約してなんで当日にこんなことまでして買うんだろうと、ちびまる子ちゃんの青ざめ
ヅラしたよ。

914 名前:NAME OVER 投稿日:02/07/06 00:02
雪が積もるのがまた早くて、チャリンコがそろばんの帰りに、思うように漕げないのもキツかったな。
で、さらにこれから買いに行く。明日はみんなドラクエの話題してんだろな、あー俺も予約したのになぁ、
なんて思ってたら、プップープーって、車のラッパの音(ハンドルのところ押すと鳴るやつね)が後ろからしたんだよ。
振り向いて、ライト眩しいなぁ誰だよ・・・なんてよく見たら、運転してたのうちの父ちゃん!!
何でこんなとこいるん?なんてびっくりしてたら、父ちゃんが
「おい、今日アレだろ、ほら、なんとかってゲーム予約した日だろ。今から買いに行くぞ」
絶対に一人で買いにいかなきゃなんないって思ってたから、ほんとびっくりした。ゲーム買うぐらい一人で行けや
とかさんざんいわれてたし。そんで、軽自動車の後ろバカッて開けて、X-TRIALだっけ?のCMみたいに、
俺の乗ってたチャリンコ車にぶちこんで、家に帰って、チャリおろして、そのままいっしょに買いに行ったよ。
(チャリ積んで帰るとき、トランクが開いてて寒いし、ほかの帰りのやつらに見られたりして恥ずかしかった)
ただ今でも鮮明に記憶に残っているのは、父ちゃんの汚れた仕事の作業着。車の工場だから黒くて汚ねーのよ。
でも、雪の中運転している姿は、仕事した後の姿っていうか、妙にカッコヨク見えた・・・。仕事で疲れてて、それで
こんな馬鹿ガキのために雪の中ゲーム買いに行くために運転。父ちゃん発売日にまでまきこんで申し訳なくて
俺はただ、真っ直ぐ前見て運転してた父ちゃんの作業着をじっと見てた。
ドラクエ2買って家に帰ったら、父ちゃんが「ちぃーとやらせろや。」っていって、ドラクエ2のバージンプレイは
うちの父ちゃんだったなー。俺が風呂入ってるときにゲームしてたみたいで、風呂から出たら父ちゃんが、
「おい、おおなめくじってのが出てきてボタン適当にいじってたら画面が真っ赤になっちまった!!」(ローレシアの王子死亡)
って言ってたのは懐かしい思い出。
ちなみにうちは平日がファミコン禁止で土日がそのかわり、やり放題というルールですた。長文御免。

849 名前:NAME OVER 投稿日:02/07/01 02:15
親父が入院中に買ってやっていたFF5

もう親父は死んでしまったが、データを見るたびにベッドに座ってやってた姿を思い出す。
このデータがあとどれくらい持つか微妙だけど・・・




     

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