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嗚咽 その2 より

416 名前:移植者 投稿日:02/03/16 23:55 ID:F5KDsjRx
結婚して10年近く経ったとき、持病の腎臓病が悪化して腎不全に陥り、
医師から「人工透析をはじめる時期がきた」ことを告げられた。

高校の頃から腎臓が悪く、このまま病状が進行していくといずれは
人工透析しなければならないことは知っていた。
幼稚園の一人息子もスクスク育ち、仲間で始めた仕事もうまく行き始めた矢先
の出来事だったので、ひどく落ち込んでしばらく鬱状態が続いた。
また、一生続く食事療法ではカミさんに相当の精神的負担を与えてしまい、
自律神経失調症に追いやってしまった。そして何とか出ていたおしっこも
完全に止まってしまった。

1回4時間、週3回の人工透析にようやく慣れ始めた1年後、65歳の父親から
「腎臓の移植をすれば透析をしないですむことを聞いてきた。私の腎臓を提供
するから考えてみてくれ」と申し出があった。もちろん自分でも移植のことは
知ってはいたが、父親の年齢のこともありこちらから言い出せなかった。

話はとんとん拍子で進み、半年後とうとう移植手術をする日を迎えた。
準備で先に入っていた父親が、カーテン向こうの手術台で医師と話している
声が聞こえた。医師が「何かお話しますか?」と二人の間のカーテンを開けると
生体モニターと点滴でつながれた裸の父親が横たわっていった。子供の頃から
「たくましい」と思っていた父親の裸が、なんだかとても年老いていてみすぼらしく、
ふいに「俺はなんとひどいことをしてしまったのだろう」と後悔し始めた。

 「よし、お互いがんばろうな」

言葉少なに言った父親の目に涙であふれているのを見て、「申し訳ない」と
か細い涙声で答えるのが精一杯だった。そして意識が遠くなり、、、

手術の2日後、身体にたくさんの点滴チューブをつけ、切開した部分をかばいながら
まだ動くことのできない私のベッドまで歩いてきた。顔は痛みでゆがんでいたが、
少しでも私に心配をさせないためか、いつものように笑い顔を作りながら、足を
引きずって来た。

 「成功してよかったな。おしっこもずいぶんと出ているみたいだな。
  俺のほうはもうこんなに歩くことができるから心配するな。どうだ、傷は痛むか?」

上ずる声でそう言った父親に、もう涙を止めることはできなくなり、人目をはばからず
しばらく嗚咽した。。。

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長文ですいませんした。

248 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/03/16 04:02 ID:???
私の家族の話じゃないけど、
中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが
突然亡くなった。
お通夜はうちの母が手伝いに行き、私は告別式だけ出席した。
その子にはまだ幼稚園生の年の離れた弟がいるんだけど、
出棺の時にその子が棺にしがみついて
「おかあさぁ〜ん!行かないで〜僕を置いていかないで〜
おかあさんなんでしんじゃったんだよ〜またおみそ汁作って
よ〜いい子にするから!」
って泣き叫んで、それを涙をこらえて必死に
「ほら、おかあさんこれから天国いくの、見送ろうね」と
弟を止める同級生の子がかわいそうで、私も大泣きした(泣

育児板・泣いた話 より

105 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/03/12 02:10 ID:kZUjKi9/
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

200 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/03/18 09:02 ID:tKHx/D76
長いんだけど
絶対泣けるから是非読んで。
プチタンファンの「読んでくれてありがとう」という本より。
長いので適当に中略して書きます。

4歳、2歳、生後三ヶ月の3人の子供の母です。(中略)
私は自宅で添削の仕事をしており、いつもいつも時間に追いまくられ
ストレスは溜まる一方でした。
主人には「早く帰ってきてよ!」と文句をいい、子供にも当たって
しまったりしました。でも、休みになれば主人も子供の相手をしてくれ
家族で出かけることも多く、平凡ですが小さな幸せは続いていたのです。
けれど、その平凡な日々が幸せだったと気付いた今、
それは刻々と終りに近づいているのです。私はストレスからくる
体調不良が一年前から続いていました。多忙なため、病院に行くのを
延ばしているうち、3人目の妊娠がわかり、産後一ヶ月健診のついでに
消化器科を訪れたのが最初の受診でした。
病院中あちこち検査にまわされ、案の定、即入院・手術と言う事に
なりました。(中略)
そして手術。恐くはありませんでした。だってつらいお産を3回も
経験してきたんですから。(中略)
手術は胃の摘出で4時間ほどの予定でした。ところが実際には
2時間ほどで終わってしまったのです。何故か。
それは切除不可能だったからです。開腹してみるとすでに
手の施しようが無いほどガンが進行していたのです。

手術前主人は「後数ヶ月の命だろう」と宣告されていたそうですが
手術後には「もう時間が無い」そうキッパリと言われたというのです。



201 名前:200 投稿日:02/03/18 09:10 ID:tKHx/D76
手術後、病名の告知を希望していた私に真実が告げられました。
「スキルス胃癌」あの逸見政孝さんと同じ病気だったのです。
つい2ヶ月前は同じ病院の産科病棟で幸せに浸っていたのに
突然絶望の底に突き落とされたのです。(中略)

今、私は入院しています。手術から2週間経ち、心の整理は出来ています。
何故か死ぬ事は恐くありません。
ただ、幼い子ども達を残していく事だけがつらいのです。(中略)
子供達のかたわらにはいつも私と主人がいたのです。
なのに、突然私だけがいなくなってしまったら・・。
母親のいない子供、といわれるのは不憫です。子供達は幼すぎて
私の死を理解できないでしょう。
でも保育園で、母の日にお母さんの絵を描く時、
遠足にお弁当を持っていくとき・・・。
これから先、母親を恋しいと思う瞬間が必ずくると思うのです。
泣いても、叫んでも、もう自分の側に母親が戻ってくる事はないのだ、と
子ども達が気づく時、その幼い心はどんなに痛むでしょう。(中略)
なくしかけて分かったのです。育児は戦争です。
イライラして子供に当たる事があっても、それは仕方のない事。
完璧な母親を目指す必要はないのです。
子供にとって一番うれしいのは母親がいつも元気で、
必要な時にはいつもそばにいてくれることです。
いいえ、極端に言えば生きていてくれさえすれば、
十分なのではないでしょうか。(中略)
皆さん、怒ったり、泣いたり、笑ったり、
子供達と一緒に命いっぱい生きてください。
そして誰よりも自分の健康には気をつけて。(後略)

子ども達に心を残して
33歳と2ヶ月の短い生涯を閉じた彼女に合掌。


202 名前:200 投稿日:02/03/18 09:21 ID:tKHx/D76
その後、彼女のお母さんから編集部に届いた手紙

(前略)
早すぎた娘の死と、残された幼い孫たちのことを思い
そしてまた、娘の無念さを思い、何度涙した事でしょう。
娘は決して、つらいとも痛いとも言いませんでした。(中略)

生後2ヶ月で預かった次男も1歳4ヶ月になり、
保育園に入る事になりました。お兄ちゃんやお姉ちゃんのいる
お父さんの家に帰りました。少し寂しくなりました。
子供達3人に宛てた日記帳がありました。
大きくなって読めるようになったらお父さんが渡してくれるでしょう。
ある日の娘のつぶやき
○3人の子供達は私の生きた証。3人をばらばらにしないでネ。
○病気になったのが私でよかった。
 夫だったら、私が狂っちゃう(誰がなっても困るのです)。
○この世からあの世が見えないけど、あの世からこの世が見えるかもね。
○三途の川で私を待っているのは誰かな?プチ(小学生の頃飼ってた犬) 
 かもね。
○自分でも不思議なくらい、死を怖いと思わない。ただ、子供達の
 事を思うとつらいナ・・。でも、もう考えない事にした。
 どうにもならない事だし、親がなくとも子は育つ、だものね。

(中略)私は娘に時々問うのです。
「あの世からこの世が見えますか?心残りだった子ども達が、
日々成長していく姿が見えますか?」と・・。

若いお母さま、子供は宝です。あせることなく気を大きく持って
明るく過ごしてください。




     

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