No.307 「ありがとう」って言いそびれたヤツいる? より
- 122 :Mr.名無しさん :04/07/27 09:14
- うちの親父もうすぐ死ぬらしい。
酒飲んで暴れたりするろくでなし親父で、ガキの頃どっかに連れてって
くれたりとか、人並みの思い出なんていっこも作ってくれなかった。
でも、自分で働くようになると家族4人を養って育てる事はスゲー大変な事
だって解った。
俺は自分の事ばっかりで、親父に何一つ孝行した事なんか無いクソガキだった
って解った。
わだかまりが消えたわけじゃないけど、生きてるうちにお礼を言っとかないと
後悔すると思う。
今度の盆に帰ったら、素直にありがとうって言おうと思う。
- 132 :Mr.名無しさん :04/07/27 15:14
- 俺も、ばあさんにちゃんとありがとうって言ったことなかったっけ
あんだけ長い間二人で暮らしてたのに、どうしてだろう
ばあさん、いっつもニコニコしちゃってさ、なんかもう一緒にいるだけでほっとするのよ
朝ごはんはいつでもたくあん納豆白米味噌汁紅鮭焼海苔etcのフルコース
俺が「美味い」って言ってたいらげるだけですっごいうれしそうな顔してたっけ
俺は照れくさくっていつも口に出せなかった
ホントはちゃんと言わなきゃいけない
「ありがとう」って
俺が仕事から帰った後、よく二人で花札したな、一本50円くらいの小銭かけてさ
ばあさん、勝負事は苦手で毎回負けてばっかり、しかも本気で悔しがってるのよ
そのくせ毎日「勝負する?」って、座布団と花札抱えてニコニコ
俺が「明日早いから」って断ると祖母ちゃんションボリ
やっぱり俺は照れくさくていえないんだ
ホントはちゃんと言わなきゃいけない
「ごめんな」って
ばあさん入院しちゃってさ、それでも俺は言えなかった
「ありがとう」「ごめんな」「早くよくなれよ」
言いたいこといっぱいあったはずなのに、だまって病室の椅子に座ってるだけ
ばあさんやっぱりニコニコしてた
ある日の夕方、ばあさん笑顔のまんま冷たくなってた
もう遅いってのに、今更言えるんだもんな
「ばあちゃんありがとう」「ばあちゃんごめん」「死ぬなばあちゃん」
俺はやっぱり今更な奴だ、もう伝わらないってわかってるのに、こんなトコでまで叫びたくなった
ばあちゃん、ありがとう
- 178 :Mr.名無しさん :04/07/28 03:07
- >>172
頑張れよ。
誰もが通る道だろう。おれもいずれはそんな時が来るんだろうな。
そしてその時の悲しさは想像もできないほど悲しいんだろう。
これは容易に想像できるけれど、現実に直面すると、その悲しみは想像以上なんだろうと思う。
だから、>>172
これが最後にしなくていいよ。
一日二日で悲しみを乗り越えることなんてできないんだから。
だから、辛くなったらここに書き込んでよ。
俺たちは毒同士。励ますことくらいしかできないけどな。
俺も、もう16年前になるか、初めて身内、おばあちゃんが死んだ。
喧嘩ばっかりしてたばあちゃんだった。
亡くなる数日前、「体調がおかしい、手が冷たい」って言って、俺にその冷たさを伝えようと俺にしわくちゃの手を差し出したの。
俺、「ただの風邪だろ?おおげさな」って、手を握り返さなかった。
数日後、ばあちゃんは信じられないくらい衰弱してた。
俺の名前すらまともに発せられない状態だった。
「おばあちゃん頑張ってよ!」って言葉が限界だった。
お風呂場で、ばあちゃんが寝てる方に向かって、土下座した。
「ごめん、今まで優しくできなくてごめんなさい」
「お願いします。おばあちゃんを元気な元通りに戻してください」なんて
叶わない願いを、風呂場でたった一人、土下座して泣きながら声を上げて言った。
でも次の日、ばあちゃんは死んでしまった。
ごめんな。ばあちゃん。あの時手を握ってやれなくて。
喧嘩もしたけど、色々教えてくれて、一緒に畑仕事したこともあったよね。
楽しかったよ。
そしてありがとうございました。
- 185 :Mr.名無しさん :04/07/28 06:41
- 高校の時の話。
部活の練習試合で公欠し、その日の俺の学級の仕事は、同じ係であるHさんが代りにやってくれた。
次の日の土曜日、寝坊した俺は、学校に行くのをためらった。今から言っても3時間目のLHRしか受けられなかったからだ。
しかもその日の天気は、降水確率100%かよっていうくらいの雨。しかし何故か俺は学校に行った。
学校に着いたのは2時間目の体育が終わった後で、教室内はガヤガヤしていた。
Hさんは既に着替えを終えて戻っていたが、友達としゃべっていた。
3時間目は文化祭の出し物についてを話し合う内容だったので落ち着かないし、お礼は帰りでいいかなと思った。
そして3時間目が開始してまもなく事故は起こった。「わっ!」という声の方へ向くと、クラスの何人かが窓際へ終結していた。
誰かが転落したらしい。それはHさんだという。俺はクラスを見渡したが、Hさんの姿は無かった。
その日の夜の連絡網で、Hさんのことを伝えられた。
その後、俺は多分お通夜か告別式でHさんにお礼をいったと思う。だけど直接本人に言うことはもうできない。
3時間目が始まる、ちょっと前に言えたらよかったのかな。それとも俺のエゴなのか。
「ありがとう」って言える時に、言えなくて後悔したという話でした。
「ごめん」とか「好きだ」も、同じことなのかと思うある毒男の2004年、夏。
- 209 :Mr.名無しさん :04/07/31 04:53
- 一人暮らしの俺の部屋には特別な写真が数枚ある。
白黒のその写真には、若い夫婦が赤ん坊を抱いて笑っている光景。
俺が知ってる両親の姿はその中にしか無い。
その写真が取られてから程なく、両親は事故でこの世を去った。
そして、俺も今に至るまで色々なことがあった。
人間が、そして自分が、どうしようも無いほど汚いと思うこともあった。
それでも、良い友達、同僚、後輩にも恵まれた。
伝えようもないけど、この世に送り出してくれて本当にありがとう。
でも少しだけ寂しかった。
だから、少しだけ弱音を吐いてみたりする。
母さん、今度弁当作って欲しいな。
父さん、今度一緒に酒呑もうな。
- 223 :Mr.名無しさん :04/07/31 14:05
- 亡くなった父親を思い出したな
俺二十歳だったか
もう、10年以上経つんだなぁ
親父が死ぬ前に、入院してた時、すごく気弱な話題になって
親父の手を子供の時以来、久しぶりに握ってたのを思い出した
まだ、若かったから、強かった親父の弱音を
素知らぬ振りをして聞いていた
でも、どうやったら半身不随になったあなたを
励ませるんだろうと考えて
結局、力一杯手を握りしめる事しか出来なかった
ごめんな親父、弱い長男坊で
俺、本当は泣きそうだったんだよ
改めてだが、親父ありがとう
色々あったけど、俺はなんとかやってるよ
盆には実家帰るからよろしくな
>>221
漏れにも弟が居て当時何かを親父の為に決心したようだった
それが、なんだったか今でも判らないけれどw
残された人の生き方に、亡くなった人の想いや希望が関わって
それが、幸せに繋がるのは素晴らしいことだと思う
ガンガレ
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