No.295 【感動】ハンカチ無しでは読めないスレ【希望】 より
- 339 名前:病弱名無しさん 投稿日:03/01/11 16:28 ID:DqtwHIkH
- 私の母は、趣味の一環(?)で。年末になると毎年
お正月のおせち料理を食べるときに使う祝い箸を
あらゆる知人に配っています。
昨年、母は癌?で家族と離れ、京都の方に入院している
同僚の男の方に、何の気なしに箸を送りました。
その時、病気の進行により、既に食事はおろか流動食をチューブで
流し込むんでいる状態だとは知らなかったからです。
後でその事を知人から聞き、無神経なことをしてしまった、と
母は後悔していました。
しかし、お正月明けに来た一通の手紙。
その同僚の方からでした。
手紙には、このように書かれていました。
「病気になって初めて健康であることの大切さを、
食べるという基本的な人間の行動すらできなくなった自分は
切実に痛感し、半ば放心的になっていました。しかし、
そんな私にもいつもと変わらず箸を送ってくれてありがとう。
正月までにはこの箸を使って食事ができるように、頑張ろうという
大きな励ましになりました。本当にありがとう。」
手紙を読みながら母は泣いていました。
翌月、その方は亡くなってしまいましたが、母のした
行動は、彼にとってすごく勇気づけられたことだったんだなぁ
と思いました。
働きすぎの私のお母さん。
あなたも健康に気を付けて長生きしてね。
- 659 :病弱名無しさん :03/03/26 17:13 ID:HgN14iV4
- ウチの母の同僚の話。
働かない夫と別れ、母一人子一人で細々と生活していたが息子が白血病に。
母子家庭で医療費はかからないものの、何とか重病の息子を助けようと
夜も寝ないで働き、仕事がないときは病院で息子に付きっきりだった。
笑顔を浮かべるのがやっとの、やせ細った息子の体は、薬の副作用で
黄色くむくんでいた。
衰弱が著しく、「もはや回復は不可能」と医者に言われ母親は黙って
病室の息子の手を握っていた。
すると息子はそっと目を開け「お母さんごめんね。親孝行できなくて。
でも、僕が死んだらそんなに働かなくてももういいんだよ。」
そう言った。
数日後、息子は11歳で亡くなった。
その子のお葬式の後
「生きててくれてありがとう」
そう母親に言われた。
- 682 :病弱名無しさん :03/03/29 02:58 ID:CoXoMkfa
- お袋の兄貴(漏れの叔父)は、6才で亡くなった。
いつものように、近所のガキと木登りしてた柿の木から落ちて
動けなくなった、落ちただけなのに様子がおかしいと病院へ連れていったら
白血病だった。もう50年も前だから、当時は白血病の例すら少なくて
入院すると、エライ医者とその部下が集団で検診に来たそうだ。
次々と10何人もが、6才の叔父のお腹を触って検診する。
「冷たいから、お前ら触るな!」と医学生の手を払いのけて怒る小さな彼を
泣きながら見守るしかなかった婆ちゃん。
治療の方法すら余りなくて、最期は鼻血がずっとポタポタ止まらなくなった。
それで鼻から脱脂綿をずーっとつないで、ベッドの横の洗面器に
鼻血がたまるようにしたらしい。絵本で読んだのか「天使さまが見えるよ」
と最期の頃には、うわごとのように言ってたそうだ。
小学校に入学したばかりだった。ほとんど使われる事のなかった
ピカピカのランドセルを残して、亡くなった。享年6才。
叔父の写真は今も仏壇にあり、90才になった婆ちゃんが毎日拝んでいます。
- 793 :病弱名無しさん :03/04/26 15:22 ID:iun+ssJl
- 大好きだった友達が、交通事故で死んだ。
彼に会いに行く途中だった。
知り合いの車に乗せてもらっていく途中、運転していた知り合いが
事故を起こし、彼女だけ車から投げ出されて死んだ。
即死だった。
突然の死で、通夜も葬式も全然実感がなく、ボケ〜っとしているうちに
終わった。
葬式の帰り道、桜が満開でものすごくきれいだった。
東京に住んでいた彼女は4月早々に花見を済ませ、
彼女と一緒に花見に行った友人は、彼女が桜を見ながら
彼の話を楽しそうに語り、彼から来るメールを気にしていたと言う。
「彼女はもう桜を見ることが無いんだな」と思った瞬間、
号泣してしまった。
あれから4年。こっちは桜が満開です。
桜を見るたびに彼女のことを思い出し、胸が苦しくなる。
- 810 :病弱名無しさん :03/05/03 00:47 ID:K2EI4U+u
- 友達が、20代前半で第二子を妊娠中→検査で子宮ガン発見。
若いとガンの進行が早いこと、絶対に母体が無事では済まないこと、
お腹の赤ちゃんにも転移する可能性が高いことなどを告げられていたのに、
彼女は「子供を殺すことは出来ない」と、産んだ。
産後、全身にガンが転移した状態で、手術すら出来なかった。
命がけで産んだ赤ちゃんも、すでにガンが転移していた。
赤ちゃんは小さな体で何回も大手術をうけたけど、ダメだった。
たった半年も生きることは出来なかった。
やせ細って、意識も朦朧としている中、彼女はベッドの上で毎日毎日、
「赤ちゃんはどう?」「淋しがってない?」と周囲に聞いていた。
お見舞いに行った友達は、赤ちゃんがすでに亡くなっていることを知っていたので、
「もう赤ちゃんに会ってくれた?可愛いい?私も早く会いたい」と言われるたびに、
涙をこらえるのが必死だった。
ドラマでこういうシチュエーションの時、「私の命はどうなってもいいんです」
なんて言って、出産して、運がよければ母子ともに無事。
悪くても母親が死んで「あなた(子供)を助けるために、お母さんは・・・」
なんてことが多い。現実は全然違うんだと言うことを思い知らされた。
何一つ良い事はなかった。この事が無かったら、向井亜紀さんのように
子供を諦めたケースを「結局自分の命の方が大切なんだな」なんて
冷たい目で見てしまったかもしれない。
命がけで産んだ我が子の苦しみも、死も、何も知ることなく
死んでしまった彼女。残された3歳のお兄ちゃん。
何が正しいことなのか、わかりません。
泣ける話というより、今でも思い出すと辛くて悔しくて泣いてしまう話です。
- 742 :病弱名無しさん :03/04/04 01:32 ID:ET02uUgs
- おやじが亡くなったのは、オレが大学受験を控えた12月でした。
それまでの三年間、おやじは入退院を繰り返していて、会社も辞めて。
おふくろが旅館に賄いで勤めてそれで我家はなんとか持ちこたえていました。
そんな親を見ていて、高校でたら働こうと思っていたら、おやじが、気にするなお前を大学出してやれるだけの
蓄えはあるから国立落ちても私立に行って、大学は出ろと言ってくれました。
国立大の推薦試験が12月にありました、その試験を受けるのに仙台に一泊することになり
その夜、いえに電話でおやじの容態を聞きました。
おふくろは、今日はいいみたいでお前の事を心配していたって言ってました。
その時、おやじは亡くなっていたそうです。
あとで、おふくろになんで教えてくれなかったって酷く当たると、父さんが最後まで
お前には絶対に教えるなってそういったから。
声も出ませんでした。
おやじをうちに連れて帰る車の中で、何度も何度も冷たくなったおやじの手を握り締めて泣きました。
推薦が通って、大学に進学して、そして就職して。
いま、自分に子供が出来て・・・・。
おやじのオレに対する思いを感じました。
自分に愛する者が出来て、おやじのオレに対する思いを感じました。
ありがとう、今年もまたおやじの墓前に子供をつれてお参りします。
- 523 :病弱名無しさん :03/02/16 07:44 ID:tR1zWFqj
- 親からもらった愛情なんて、「親孝行」なんてもので、とても返せるものじゃない。
あなたの愛情は、同じように、あなたの子供にそそげばいい。
立派に生きて、やがて生まれる新しい生命に、せいいっぱいの愛情をそそげばいい。
親に返すことなんてできないよ。 不可能だよ。 親の愛だけは、無理。 あなたの心と体と
全身で感じて、受けとめるだけでいいんだよ。
大丈夫。 その気持ち、その愛情は間違いなく親から子へと伝わるから。
そうやって生命は続いていくんだよ。
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