PickUp #217  2003.07.10   <- Prev  Home   Next ->


No.217 お母さんが作ってくれた弁当をさ・・・ より

622 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/13 01:57 ID:M23zFUGW
地味くさかった親の弁当、食べずにパン買って丸々残すこともあった
(今になってみると、自分では煮物、キンピラ、まるで作れない)
高校の最後のお弁当には、母親の感傷じみた手紙が添えられていた・・・
読んで速攻捨てた。恥ずかしかったから。
友達に見つかったら困るし。
そんな母が今、リンパ系?の謎の病気で入院です。
私には何もしてあげることができない。
わきの下のリンパを取り除く手術の後、父親が弁当を買ったきた。
その時、母親の最後の弁当の手紙のこと思い出して・・・
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
今、母が逝ってしまったら、私、一生自分のこと許せないよ。
このスレ読んでて涙が止まらない。

655 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/15 08:53 ID:UD9RYvDm
昔々の話です。
私の友人が「気持ち悪い・不味い・ダサい・ダイエット」のため
幼稚園の頃からドブや川に弁当を捨てる女の子でした。

何故かそれが「カコイイ」と流行ってしまって、私以外数人残して女の子は
次々にドブに捨てるようになってしまった。

半年たったある日初めに捨てた女の子の母親が交通事故で亡くなり
(しかもひき逃げ)
母親の弁当を二度と食べられなくなってしまいました。

「あのね・・お弁当ね。ごめんなさい・・」
友人の葬式のこの言葉が頭から離れなくて
弁当は絶対喰ってます。

たとえパイナップルが染み込んだご飯でも
ひじきとくずれたイチゴが合体しても。

682 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/16 13:29 ID:okjZhslw
中学の時、母親が作ってくれたお弁当が毎日楽しみだった。
母親が詰めている時も絶対に中身を見ないようにしてた。
その方が開けた時まで「何入っているんだろう?」って楽しみが続くから。
友達にもうらやましがられるほど彩りも綺麗で、栄養のバランスも考えてあったし
毎朝早起きして出勤前に私と妹の分を作ってくれる母の後ろ姿にいつも感謝してた。

ある日「お母さんの唐揚げとさわらの照り焼き、すごくおいしい」と言ったら
照れくさそうに「唐揚げなんて味見してないのに〜(母は鶏肉が食べられない)」
なんて言いながらも母がとても嬉しそうな顔をしていたのが忘れられない。
それ以来その二つがお弁当によく登場するようになった。

そんな私も結婚して、夫に毎朝お弁当を作るようになった。
中学時代母に作ってもらったお弁当を思い出しながら作るものの、どうしても
母のお弁当よりは劣ったものになってしまう。
「あぁ。お母さんはあんな手のこんだ物を朝から作ってくれてたんだな」とか
自分でやってみるとよくわかる。
好きだったさわらの照り焼きも、どうしても母のようにおいしくできない。
夫は元々小食で、しかも仕事が忙しくなってストレスがたまればたまるほど食欲がなくなる。
申し訳なさそうにお弁当を残す日々が続くと、少しでも食べて元気が出るようにと夫の好物をお弁当に
入れる事が多くなった。
このスレを見て思い出した。そう言えば私が受験でストレスが溜まりきっていた頃
唐揚げとさわらの照り焼きがお弁当にしょっちゅう入っていた。
あれは今の私と同じ、母の「少しでも元気が出るように」って気持ちがこもっていたんだな・・・と。

夫は私がお弁当を詰めているところを絶対に見ない。
お昼まで楽しみだからって。こんなお弁当でも喜んでくれてありがとう。
明日も頑張って早起きしよう。

689 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/17 09:50 ID:mh0/eH6Y
俺は小中高と給食やら学食やらで、毎日弁当を作ってもらってはなかったが
遠足とかのイベントではがんばって作ってくれた。
そこに必ず入っていたのが醤油卵というやつ。今で言うと煮卵だ。
ゆで卵に三つくらい切れ目を入れて、醤油と砂糖のたっぷり入った汁で甘辛くで煮込む。
黄身にも汁がしみて、これがンマイ!でも見た目が茶色で地味だから、キタネーとかいって馬鹿にするやつがいたな。
でもンマイんだからちっとも気にしなかった。むしろ、このうまさを知らないやつを哀れに思っていたよ。

そんな弁当を作ってくれたかあちゃんも今はすっかりばあさんになって実家で一人暮らしだ。
あちこちからだが痛くて、動かなくて自分で料理もしない。出来合いの総菜か弁当ばかり食べている。
でも、俺が帰省すると、痛いだキツイだ言いながら手料理を食べさせてくれる。
ありがとう、かあちゃん、ありがとう。
あなたの作ってくれる食べ物は俺の何より一番の好物です。
まだまだ長生きして食べさせてください。

695 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/18 12:26 ID:u4Udf8EU
先日同窓会で、懐かしい面々に会った。
一人が駆け寄ってきて、「あの時作ってくれたお弁当、
今でもはっきり覚えてるよ。美味しかった。本当にありがとう」と
目をウルウルさせて言われた。
何の事か分からなくて、必死になって思い出した。
高校入学で初めて親元を離れて暮らし、寮の食事は激( ゚Д゚)マズー。
親の声が聞きたくても、先輩の手前上そうそう電話が出来ず、
休みは部活で実家に帰れず・・・で重度のホームシックになっていた子だった。
ちょうど自分の母親が入院して、自分でお弁当を作らなきゃいけなかったから、
余計なお世話かな・・・と思いつつ、その子の分も作っていった。
「二人でベランダで食べよー」って声かけて、お弁当を渡したら、
涙をこぼしながらかっ込んでた。
そんな10年前の話。

今は、毎日旦那にお弁当を作ってます。
ゆで卵は嫌い、とか明日の卵焼きに○○入れて、なんて注文もうるさいけど、
綺麗に残さず食べてきてくれる。
帰ってきて玄関で「ただいまー!今日もお弁当美味しかったのー!」って
言ってくれると、明日も頑張ろうって思える。
・・・でも今朝は激しく寝坊しました・・・ごめんなさい。

697 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/18 13:40 ID:bN13tE0K
戦時中、母の通う小学校に集団疎開してきた少女。
疎開先でもやはり食糧事情が悪かったらしくいつもお腹がすかせていた
母の家は農家、明日おにぎりを持ってくる約束をした
しかし母はそのことをすっかり忘れてしまい、次の日学校へ行くと
本当に楽しみにしていたその少女は泣き出してしまった。
おにぎりなんていつでも食べられる母にはなぜ泣くのかわからず
家に帰って母親に話すと母親はいそいでおにぎりをにぎって
「すぐに持っていってあげなさい」と母に渡した。
母はいそいでその少女にそのおにぎりを持っていったそうです。
おにぎりの話になるたびに思い出す話。

そんな我が家は金はないがお米は常に有り余るほどある。
「米さえあれば人間は生きていける」というのが祖母の口癖
いつもありがたくいただいてます。。天国のおばあちゃんへ孫より

727 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/23 04:27 ID:dpf+mKNd
高1の冬、母が家を出た。
私は高校になってから自分でお弁当を作っていたので
自分なりのやりかたが身についてきていた筈だったが、
その日以来何故か、母のお弁当を再現するように作るようになった。
幼稚園の頃大好きでよくリクエストした、
クッキー型で花形に抜いたサンドウィッチの上にチェリーを飾ったものを
お花畑のように敷き詰めたお弁当を作った時は、
その手間に対するお腹に溜まらなさ具合に、改めて母に感謝した。
母が居なくなる少し前から、やたらと私に台所仕事を教えてくれたのも
食べ盛りの子供達を残して行かなければならない母の精一杯の気持ちだったのだろう。
食べ物ってずるいよな、と今でも思う。
酔って暴力を振るう父から唯一庇ってくれた母に置き去りにされた事を恨む事もあったが、
母の味の記憶にはそんな事は帳消しになってしまうだけの力がある。

大学に進学して最初に始めたバイト先の小料理屋では、賄いがお弁当だった。
帰りが遅くなってしまうのを心配したおかみさんが、
そこのおうちのご飯をお弁当にして帰りに持たせてくれるのだ。
ご主人の病気に合わせた減塩食で、「若い人が食べても美味しくないでしょう?」
と言われたが、久しぶりの人の手作りのお弁当は、
東京に出てきて食べたどんなものよりも美味しかった。

食に関して恵まれた人生を歩んでこられて良かったと心から思う。
そんなこんな色々詰まっている事なんて感じさせない、
当たり前のようにさくっと食べられるお弁当を、
6時には出て行く旦那のためにこれから作ってくる。
その意味に気付いて貰うのは、二度と食べられなくなってからでいい。

913 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/13 14:09 ID:eMPnR64l
高校時代は母の作ったお弁当に文句ばかり言っていた。
社会人になって自分でお弁当を作るようになって、弁当作りの苦労がわかった。
その母が末期癌で入院。
退院してきてからは、「お弁当を作らせてくれ」と。
あまり無理して欲しくなかったけど、作ってもらうことにした。
やっぱり自分で作ったのとは比べ物にならないぐらい美味しかったし、
自分で作ってないから蓋を開けるときの楽しみもある。
それを母に言ったらすごく喜んでいた。
毎日、帰宅後一番に「お弁当おいしかったよ」と言った。
いよいよ動けなくなった母に「何もしてあげられなくてゴメン」と言うと
「お母さんはあんたと家にいて、毎日お弁当作ったりしたかったんだよ。
それができたんだから、いいんだよ」と言った。
母が他界して、また自分でお弁当を作る毎日。
毎朝「あんたにお弁当を作りたかった」という母の言葉を思い出してしまう。
人生の最期に子供にお弁当を作りたいと言う母に、私はなれるだろうかと考える。

911 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/12 12:03 ID:sfSQdVSj
俺の両親が別れて母親と別居後、
父方のばあちゃんが毎朝一生懸命弁当を作ってくれた。
母親は人間的に問題があったが、料理は上手かったので、
ばあちゃんには悪いが、弁当は数段レベル落ちした。入っているものも地味だしね。
でも、ばあちゃん一生懸命作ってくれた。
当時は感謝とか口に出すのが照れくさくて何も言えなかったけど、
本当は当時から物凄く感謝してた。
しかも、うちの父は養子なので、俺とばあちゃんは血は繋がっていなかったんだ。
んで、高校卒業後、何とか恩返ししなきゃと思ったけど、
社会人になっても何だが照れくささがあって(←あほ)、なーにも孝行せずに、
年を取っちゃったけど、5年前に、ばあチャン亡くなった。

結局、何もしてあげられなかったな・・・・・最後も看取れなかったし。
俺は本当にアホだな。



912 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/12 21:51 ID:8MXit6ky
>911
毎日空の弁当箱見るだけでばあちゃんうれしかったと思うよ。
だから毎朝一生懸命弁当作ったのさ。

あなたが立派に社会人になったのが
ばあチャンに対する最高の孝行さ。




     

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